咎人
この小説を読むにあたって。
この小説は、完全な自己満足小説です。読んで不快に思う方が続出すると思われます。
残酷な描写ありというように、結構エグくしたつもりです。それでもよろしければ、読んでみてください。尚、読み終えた後による文章の評価、設定、誤字などは受け付けますが、中傷といった行為は即刻削除させてもらいます。その辺りをご了承の上、拝読してください。
咎。それは罪。
人の欲望によって起こりし事件。罪を犯した者、咎人となり果てん。
咎。それは罪。
様々な罪。殺人、強盗、暴行、強姦、詐欺。罪無き人を傷つける、忌むべき物。
咎。それは罪。
罪は裁かれる。人々によって。神ではなく、人が人を裁き、法に乗っ取り罰を下す。
咎。それは罪。
裁かれし咎人、罰によって更正せんとす。だが真に更正する者は極僅か。
咎。それは罪。
愚かなる咎人、さらに人を傷つけんとす。真の咎人の欲望は留まること知らず。
咎。それは罪。
己に報いが来ることを知らぬ咎人に、人は罰を下すこと敵わず。
咎。それは罪。
その罪に真の罰を下せしは、咎人以外ならず。
夜の東京。日本の中心都市。多くの人々が住まうこの大都会は、夜の暗闇を建造物から放たれる人工の灯火によって、色鮮やかに輝く。大通りを歩く人々の表情は、その明りと同様様々。
笑っている家族連れ。仕事に疲れた顔をしながら歩く会社員。互いに未来を思い描くカップル。友人同士のじゃれあい。
夜の暗闇を明るく照らす光の下、人々は夜の街を歩く。
だがしかし、これは表の顔。大多数が住む街には、化粧に覆われ隠された素顔がある。
非合法組織による薬物売買、住む家を失った浮浪者、暴力を振るう若者。法律など知らぬと言わんばかりに、裏の世界を生きる人々。そこで必死に生きようとする者もいれば、己の欲望に忠実な者もいる。
表には通用する法律も、裏では通用しない。事件など日常茶飯事。人の欲望渦巻く裏の世界に、表の人間が迷い込んだら最後。今までの日常に戻ることは難しい。
それは東京だけではない。日本中の街、否、世界中の共通点である。人間は欲深く、そしてそれに忠実。いかにその本能を抑えられるかどうかで、人生を生きていく生き物。それが人間。だがしかし、その本能を抑えられない人間もいることもまたしかり。
表の明るさと、裏の暗さ。その世界を、高い場から見下ろす者が一人いることに、誰も彼もが気がつかない。
黒。全身を覆う黒。まるで夜闇に溶け込むかのような黒。漆黒のフード付コートを着、体のみならず顔にまでスッポリと深くフードを被り、口元さえも見せようとしない。その上から下まで黒一色の男は、東京のシンボルマークとも言われる東京タワーの天辺に、両足を揃え、コートのポケットに両手を入れたまま下界を見下ろす。銀色のファスナーが首元まで絞まり、唯一開いているのは腰から下まで。閉じられていないコートの裾が、風で靡いて踊り狂う。
そして黒い服と相まって、異様な雰囲気を出す物が、その腰にあった。
日本刀だった。
だがただの日本刀ではない。漆塗りの黒い鞘に、いくつも貼られた奇妙な文字がビッシリと書き込まれた、古ぼけ、破れかけた汚れた長方形の紙。それは、古来より悪霊などを払うことを所業としてきた者達、陰陽師が使う物、『護符』である。
神聖な魔除けがかけられた護符。だがそれはただの飾りなのか、もしくはすでに効力を発揮していないのか、その刀から僅かに漏れる得体の知れない“何か”を抑える役目を担っていない。
「…………。」
高所にいるせいで強い風が吹きつける中、男はコートのポケットから両手を出した。右手は何の装飾もない光沢のある革のグローブ。
そして左手には、無骨な鋼色に鈍く輝くガントレットがはめられていた。
ガントレットの手の甲には、見る者に戦慄を与えるような恐ろしい形相をした鬼の顔が彫られ、額の角が飛び出して鋭利な刃物になっている。それは拳だけに収まらず、コートの袖で隠れて視認こそできないが、肘まで覆っているそれは、攻守に特化した造りとなっていた。
物々しい武装を施した男は、ただ無言で下界に広がる目が眩む程明滅している街を見下ろす。フードに隠されたその顔には、どのような表情が浮かんでいるのか。それを知る者は誰もいないし、第一東京タワーの天辺にまで来る者など物好き以外いるはずがない。
男は、しばらくじっとしていた。動くのは、裾まで広がる黒いコートのみ。
やがて、男はその場で身を翻した。
煌びやかな表通り。しかし、そこが日の光というのであれば、当然影がある。表通りの脇にある、誰もが目も向けないような薄暗い路地。そこに一歩入れば、そこは裏の世界へと続いている。
表通りもマナーがなっていない人々によってそれなりの量のゴミが落ちてはいるが、この裏の世界には清掃員という存在がいない。よって、人が歩ける程度の狭い道が、建物の壁と壁とではなく、ゴミが左右を挟む形で出来上がっていた。プラスチック製のカップや酔っ払いの嘔吐物、電化製品のガラクタ……誰もが見てて嫌悪感を露わにする光景がそこにはある。
それだけではない。ゴミから発せられる鼻を刺すようなツンとしたすっぱい臭いから、吐き気を催すような肉が腐りきった臭い。
そして、壁にもたれたまま座り込んで荒い息を吐く男性から発せられる鉄の臭い。
「や、やめてくれ……助けてくれ……!」
スーツを着た男性は、恐怖と痛みで顔を歪め、そう繰り返す。腹から湯水のように湧き出てくる大量の血を止めようと傷口を抑え、その左手も血塗れになっている。失われていく血液と共に、男性の顔から血の気が無くなって徐々に白くなっていく。額からは痛みによる汗が噴き出ていた。
「キヒヒ……。」
そんな男性の前に立ち、見下ろす青年。金色に染めた髪とフカフカの毛が付けられたフード付きの紺色ジャンパー。ラフな姿をしている青年のその黒革製の手袋を付けた右手には、血塗れの大型ナイフが握られていた。表街道から漏れ出してくる僅かな光に、刃で血に濡れてない部分が鈍く反射する。
青年は、血塗れの男性を見下ろして頬がこけ落ちているそのシャープな顔を歪ませて笑い、並びの悪い歯を剥き出す。目は狂気に染まり、爛々と輝く。
「やめてぇ? お前、何バカなこと抜かしてくれてんのぉ?」
嘲りを込めたその声に、男性は顔を強張らせる。青年はゆっくりした足取りで、男性に近づいていく。
「“趣味”はさぁ? やってる本人が飽きた時にやめるもんだろぉ?」
そこで一旦区切り、元々醜い顔をさらに歪めた。そして、
「……お前が決めることじゃねぇだろぉがぁぁぁぁ!!!!」
ナイフを逆手に持ち、青年は叫びながらそれを振り上げ、男性の左胸に勢いよく突き立てた。鋭利な刃はスーツの布を易々と貫通し、男性の皮を、肉をも切り裂き、心臓へと到達する。
「あが! が、ぁ………!」
男性は口から血を吹き出し、小さく呻く。一瞬、想像を絶する痛みを感じた後、スゥっと体から力が抜け、視界は暗転し、呼吸も止まる。突き破られた心臓も活動をやめ、男性は恐怖で歪んだ顔のままその身を屍へと変えた。
男性の呼吸が止まったことを確認した青年は、ナイフを引き抜く。瞬間、突き刺さっていた箇所から血が触れでて、男性のスーツはさらに赤く染まっていく。
恐怖に目を見開いたまま死ぬ男性の表情。むせ返るような血の臭い。常人なら驚き、恐れるであろう光景。
「ヒャハッ! やっべぇ超たのし~……!」
だが、この光景を生み出した張本人は、ナイフの腹に付着した血を舐め取って笑う。
歪に、狂的に、無邪気に、心底愉快に。
罪悪感など欠片も感じていないかのような素振り。今、この瞬間を心底楽しんでいる子供のよう。
青年はしばらく笑い続けていたが、おもむろに事切れた男性の傍に落ちている手提げカバンを拾い上げ、ファスナーを開ける。そして中を漁り、やがてその中から一つの皮製の財布を取り出し、カバンを用済みとばかりに放り捨てた。地面に落ちたカバンから、仕事用の書類やペンケースが衝撃で飛び出し、乱雑に散らばる。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……お、五万も入ってやがる! いい仕事してんじゃねぇかこのノッポ!」
財布の中にある札を数え、ニタリと笑う青年。そして財布から金を全て抜き取ると、後のカード等使い物にならない物は財布ごと物言わぬ男性に投げつけ、青年はその場を後にした。
数時間後、この血の臭いが表通りにまで届いたことにより、警察が駆けつけるが、犯人である青年はすでにそこから離れていたのであった。
20XX年。最近、このような殺人事件が相次いでいる。被害者は老若男女関係なく、しかもほとんどの人間が血縁者でもなければ友人関係でもない無関係な人々ばかりという、完全無差別殺人。警察は必死に捜査を進めているが、未だ難航しているという。
警察は、何故こうも無関係な人達ばかり被害に合っているのか疑問に思っている。だが、疑問に思うことなど無意味なのだ。
犯人は完全なる愉快犯なのだから。
青年、『小田原 誠』。
2006年、○○高等学校を卒業し、とある医療専門大学に受験するも失敗。それから何度も入試に挑むも全て落ち、5浪している。元々、両親が頭が固く名誉欲の強い人間であったため、息子に多大な期待を寄せて医療を志すよう子供の頃から徹底的に叩き込んできた。だが、大学に受からない子供にいつしか失望し始め、ついには虐待を始めてしまった。
以前から暗く、内向的な性格だった小田原は、両親からの虐待を受けてさらに暗くなっていく。子供の頃から勉強、過度の期待、学校で受け続けたイジメによって精神は擦り切れ、さらに親からの虐待によって溜まりに溜まっていたストレスが爆発。包丁で両親を殺害する。
両親の悲鳴を聞いた近隣住民から警察の通報を受け、小田原は少年院へと送られた。
この時から、すでに彼の中である物が切れた……もとい、目覚めた。
両親を刺殺した瞬間に感じた肉を切り裂く感触。恐怖で引きつる顔。命乞いをする両親を見た時に生まれた優越感。その全てが、小田原の中に隠されていた本能を呼び起こし、やがてそれは快感となって小田原の体を満たした。
人間は、一度覚えた快感を忘れることはなかなかできない。例えるなら、そう、TVゲームの対戦型格闘アクションをやっている時、高難易度コンボを華麗に決めた瞬間に感じる高揚感と爽快感。一度味わった者は、またそのコンボを決めようとゲームにのめり込んでいく。
小田原の場合がそれである。もう一度、何かにナイフを突き立てたい。自分に恐怖する者の顔が見たい。またあの優越感を味わいたい……小田原の脳が狂気に染まっていくのにさほど時間はかからなかった。
少年院を出た後、彼はとある非合法の店で大型のナイフを買い取った。軍隊で使用するサバイバルナイフで、分厚い刃に手にしっくり馴染む柄。徹底的に厳選し、小田原は一番自分に合った物を選んだ。その時、頭の中では獲物を刺している自分を想像していた。
やがて彼は、肩ならしにと野良猫を一匹捕まえ、刺し殺した。野良犬も、彼の餌食となっていく。ナイフから伝わる、肉を裂く感触、そして鼻を刺す血の臭い。さらに殺しに生き甲斐を感じ始めた小田原は、ついに殺人に及んだ。
まず最初は、自分を苛めていた元クラスメイトとそれを見捨てた教師。自分を金ヅルにして貢がせてきた恋人を偽っていた女……怨みを晴らすように殺していった。
最初こそ若干の躊躇いがあったものの、自分を嘲っていた者達が命乞いをする瞬間を見た時、両親を殺した時を上回る興奮が身を包み、やがて嬉々として殺していった。
やがて復讐を終えた小田原は、遂には一般人にまでその刃を向け始めた。そして、殺した人間の所持金を奪い、偽名を使って身分を偽り、風俗店に入り浸り、そこで知り合った女性の家を転々として生活してきた。さらに、そこでの生活が飽きたら世話になった女性も殺し、証拠が残らないよう山へ埋めたり、燃やして灰にしてきた。そして自分がいたという痕跡も消し、別の街へ逃げ、そこでまた同じことの繰り返し。
当然、警察もこれを無視するわけがない。無差別殺人事件として、全力を挙げて捜査しているにも関わらず、小田原が入念に証拠隠滅をしているために思うように進まない。
すでに彼は、殺人が依存症になるほど殺しを楽しみ続けていた。罪悪感という言葉など一蹴するほどにまで、彼は殺しを楽しみ、狂い、壊れている。
そして今日も、彼は一人の会社員を殺し、所持金を奪って意気揚々と歩く。思った以上の収穫、小田原はこの五万円を何に使うか考えていた。また風俗店で女を抱くか、酒を飲むか。この五万だけでなく、今まで奪ってきた金を使えば、両方行くことだって可能だ。間抜けな警察は、自分の居場所を未だ掴めていない。
こんなにも人を殺し続けているのに見つけられないのだ。小田原は警察を完全に舐めきっていた。
「ヘヘヘ、これで当分遊んで暮らせるぜ……。」
奪った金を懐に入れ、彼は薄暗い路地を抜けて一路煌びやかな建物が立ち並ぶ繁華街へと足を向ける。行き先は先ほど決めた。
やがて彼は、繁華街の一角にある、一つの店の前に立つ。その店は、でかい看板の淵をたくさんのランプで輝かせ、その店名と水着姿の女性が誘惑するようなポーズをとっている画像をアピールしている。
早い話、風俗店である。
彼はニタリと笑い、これから中で行う行為を想像しながら、早足で店の入り口を潜った。
その時、店の向かい側の電柱。そこの影から、漆黒の服を纏った男が自身の背を見ていることに、小田原は気付かなかった。
「じゃあね~『正敏』さん。また来てね~♪」
「おお。また来るぜ。」
数時間後、小田原はショートカットの女性に笑顔で見送られながら店を出た。『正敏』という名は、そこで使った偽名だ。
中で行為を終えた小田原は、そのまま建物の間の路地裏へと入っていった。
このまま帰ってもいいが、先ほど店で失った金を補うためにも、また金を奪っておこうと考えたのだ。
だが、それよりも彼は殺しがしたかった。やはり彼にとって、例えどんないい女性と性行為を行ったとしても、殺人ほど気分がいい物はない。
実に軽い動機。命をなんとも思っていないような思考。快楽殺人鬼は街灯もない薄暗い路地を歩きながらニヤニヤ笑った。
だがこんな時に限って人が通らない。本来この時間帯ならホームレスやチンピラがたむろしている事が多いのに、人影さえ見えない。小田原はだんだんイライラし始めていた。
(ヤロォ、誰でもいいから来いよ。ガキでもジジイやババアでもいいからよぉ!)
ギリギリと歯軋りし、ポケットの中でケースに納まったナイフを弄ぶ。小田原は、一日に三人以上殺さないと気が済まないのだ。
彼がターゲットにするのは、金持ちのよさそうな人物か、身寄りのなさそうな浮浪者。
前者は金欲しさを兼ね、後者は普通に殺しを楽しむため。浮浪者を殺しても、人目につかない場所に死体を放り込んでおけばいい。家族がいない者は誰も連絡をする人間がいないため、発見が遅れるのだ。飢えを満たすにはちょうどいいということなのだろう。
だが、今回そういった人達が一向に現れない。おかしい、と思う以前に、小田原は苛立ちの方が勝っていた。
いい加減、誰かを殺したい。今日は無償に誰かを殺したい。なのに何故誰も来ない。クソが、早く殺させろ。早く早く早く早く早く!!
脳内で何度も念じる小田原……ふと、視界の端で何かが動き、小田原は目を向けた。
「ミャァ。」
猫だった。漆黒の、金色の目が妖しく光る黒猫。その大きさからして大人の猫なのだろう。その猫がプラスチック製のゴミ箱の上で丸まり、尻尾をユラユラと揺らしながら小田原をじっと見つめていた。
「猫……か。」
小田原は目の前の猫が、最高の獲物に見えた。
昔は、手始めにと人間ではなく、動物を対象に殺しを行ってきた。動物ならば大した罪にならないだろうという考えの下だったが、やがて対象が人に移ると、動物を殺すのはほとんど無くなった。
だが、今この飢えた状態に出てきたこの黒猫は、小田原にとって最高の獲物に見えた。何でもいいから早く殺したい。このナイフをその毛皮に突き立てたい……この欲求が小田原を突き動かす。
だが、黒猫は危機を察知したのか、素早くゴミ箱の上から飛び降り、路地の奥へと走っていく。
「あ、待てコラ!!」
慌てて小田原は後を追う。せっかくの獲物を逃してたまるか! という一心で、小田原は猫を追う。路地を黒猫はその柔軟な体を活かしてゴミ箱や廃棄された電化製品といった障害物だらけの道を駆けていく。対し、小田原は体は細身だが人間であるため、障害物に激突しまくる。ゴミ箱を蹴飛ばして中身をぶち撒け、電化製品に躓いて転びかけるも何とか体勢を立て直して走る。その殺意と狂気に満ちた視線は、下手をすればすぐに闇に溶け込みそうな黒猫へと注がれていた。ただでさえ明りのない道を、闇同然の毛色をしている猫を追うというのは至難の業。だが、本能というべきか、あるいは殺意の執念によって小田原は黒猫を見失わない。
猫と人間というシュールな鬼ごっこは終わりを迎える。黒猫が曲がり角を曲がると、小田原は勝利を確信した。
この街に住み着いて大分経つゆえ、大体の地理は把握している。確か、黒猫が曲がった所は行き止まりだったはずだ。
「逃がしゃしねぇぜ、この畜生が…!」
ほくそ笑み、小田原は猫がいるであろう角を曲がった。
が、そこにあるのは薄汚れたコンクリートの壁だけ。黒猫の姿はなかった。
「いねぇ……!?」
せっかくの獲物がいないことに驚いた小田原は、辺りを探す。地面に落ちているのは、乱雑に散らばった生ゴミとゴミが入った袋。コンクリートの壁は高く、高さは五メートルもある。縄か何かが無ければ、上へ上ることも叶わないだろう。
だが、どれだけ探しても黒猫の影も形も見えなかった。小田原の中に怒りと悔しさが沸き起こり、苛立ち紛れに足元にあったゴミ袋を思い切り蹴り飛ばす。ゴミ袋の中から腐敗して悪臭を放つ生ゴミが飛び出し、壁にぶつかって散らばる。
「クソッタレっ!!!」
小田原にとって、獲物が逃げることは何よりも耐え難い。しかも相手は人間ではない、ただの猫。これが余計に怒りを煽る。
この怒りを、殺意をどこに向ければいいのかわからない。周囲に人影も、動物の影もない今、彼は内から溢れ出てくる欲求に悶えた。
地団太を踏み、小田原は喚き続ける。「あの黒猫、絶対に殺してやる!!」等と叫び、生ゴミをグシャグシャと踏みつけた。足が汚れようが関係ない。ただただこの鬱憤を晴らしたかった。そうして、しばらく生ゴミを踏みつける音が鳴り続く。
だが、ふと小田原の背後から硬い靴音が聞こえた。
少し落ち着いた小田原は、その音を聞いて振り返る。
そこにいたのは、あの黒猫の体毛よりもさらに黒い、漆黒の闇を形にしたようなコートを着込んだ人物。スッポリと被ったフードによって、その顔は確認できない。暗いためにボンヤリとその輪郭を見ることしかできないが、ガッシリした体格からして男と見える。
だが、小田原にとってそんなのは全くもって関係ない。今、彼の中にあるのは逃した黒猫の代わりに表れた人間に対する喜びと殺意のみ。
「見つけたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ポケットからナイフを取り出し、ケースを捨ててその刃を向ける。先ほど殺した男性の血がまだこびり付いているが、その鋭さは一向に衰えていない。目をギラギラと光らせ、舌なめずりして相手を見据える。
だが、対峙する男からは怯えが感じられない。ただその場でじっと立っているだけ。フードで顔は見えないが、恐怖で硬直してるというわけでもなさそうだった。
ただ、“見つめている”。小田原のことを見ているのだ。その深い闇を仮面にしたその奥からじっと。
「ヒャハッ!! 死ねゴラァァァ!!」
小田原は涎が滴る舌を出して狂った形相でナイフを手に男に迫る。ナイフを脇に寄せ、その刃を男の腹目掛けて突き出す。
一直線の単調な動作。一般人なら、先に小田原の狂気に当てられ、恐怖して回避すらままならずにその凶刃の餌食となっていただろう。
だが男は違うようだ。動揺する素振りも見せず、スっと横へ移動すると、小田原は男の横を通過した。
一撃で仕留めるところを回避され、小田原は逆上する。
「避けんじゃねぇ!!!!」
頭に血が上った小田原は、ナイフを薙いで男を切りつけようとする。だが、男は一歩下がるだけでそれを避ける。
小田原は執拗にナイフを振り回し、男を切ろうとする。その動作は実に単調、かつ隙だらけで遅い。
大型とは言え、武器の中では小振りな部類に入るサバイバルナイフ。その名の通り森林などで敵と遭遇した際、格闘戦に用いられるよう軍用の物。当然、軍にいる者はナイフの難しい扱い方を学ぶために訓練を受ける。
だが小田原は軍の人間ではない。ただ何の力もない人間達を突き刺してきただけに過ぎない。そんな人間が格闘戦に秀でているわけがない。
対し、男は小田原の動作の一つ一つを把握しているかのように、振るわれる刃を軽々と避ける。ナイフの弱点であるリーチが短いという特性があるので、少し体を動かせば避けれる。
それに気付かない小田原は、いい加減痺れを切らし始めた。元々沸点の低い彼からしてみれば、男が避け続けるのを見るのはストレスが溜まり続けるのだ。
「うがぁぁぁぁぁ!!! 死ねよ、お前さっさと死ねヨォォォォォ!!!!」
目を見開き、小田原はナイフを大きく振り上げた。だが、男は今度は避けようともしなかった。
(殺ったっ!!)
小田原は自分の勝利を確信し、ナイフを力いっぱい振り下ろした。
暗い路地の行き止まりに、液体が飛び散る音がする。そして、汚れた壁に血による赤い斑点がいくつも付着した。
だが、小田原は手応えを感じることができなかった。
「……へ?」
小田原は素っ頓狂な声を上げ、疑問に思った。確かに自分は振り下ろして、目の前の奴を殺したはず。なのに何故手応えがない? 何で肉を切り裂いた感触がしない? 第一、何でこの男は無傷で立っている?
突然、ナイフを持つ手に違和感を感じる。何だ? と不思議に思って、振り下ろした手を見てみた。
右手が無くなっていた。
「……あれ?」
訳がわからない。何故手がないのか? 何故自分の手が無いのか? 何故? 何故?
混乱し、理解できずにいる小田原。だが、理解せずともそれは事実に違いない。
「あ、あ、あ、あ…………!」
だんだん頭がハッキリし始めてきた。手首から先が消えた部分から、ジワリ、ジワリと感じ始める物。
それは、“痛覚”。
「あああああああああぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁあああァァアアアアアアアアアアアア!!!!!」
血が溢れ出し、小田原は自身の右腕を抑えて絶叫する。膝を着き、無意識のうちに蹲って痛みに抗おうとした。
だがドクドクと流れ出る血と連動するかのように、想像を絶する痛みが波のように押し寄せてくるのに耐える術など小田原にはなかった。
そして、小田原は激痛によって霞む視界でソレを捉えた。
男の右手にいつの間にか握られた、スラリとした刀を。自身の得物であるナイフよりも長い、明りが無いのに鋭く光るその刃を。
一瞬……まさに神速と言わんばかりの速さの抜き打ち。誰も見切ることは叶わないその剣速により、小田原の右手は切り飛ばされた。
その証拠に、小田原の前にガチャンと落ちてくる物があった。その見慣れた血塗れのナイフの柄には、持ち主のいない“手”だけが力いっぱい握られている。
それが自身が愛用していたナイフと、自身の手だと理解するのに時間はかからなかった。
「あぁぁ! あ! ああ! アアアアアアアアアアアアアアアアア!!??」
自分の前に落ちてきた手を見た瞬間、小田原は叫び続けた。先ほどあった殺意など、もうとうに消え失せている。
その脳を支配するのは、“恐怖”。誰が切り取られた自分の手を見て恐怖しない者がおろうか。
泣き叫ぶ小田原。だが、男は右足を振るい、サッカーの如く振り上げた。
「ゲブゥっ!?」
顔面を鋭い爪先でもろに蹴り上げられた小田原は、豚のような声を上げて強引に顔を持ち上げられる。そしてその鼻っ面目掛け、男は左腕を引き、拳を放つ。その左手には鋼で作られた篭手が付けられており、威力を倍増させている。殴られたと同時に口から前歯が一本抜け、地面に落ちる。声を上げる間もなく吹き飛んだ小田原は生ゴミが入った袋の山に突っ込み、背中を固い壁に打ちつけ、肺から空気が飛び出す。
潰れた鼻と折れた歯、背中に受けた衝撃による痛み、そして先ほどから手首から先に感じる激痛。それら全てがごっちゃになり、小田原は咳き込みながら錯乱する。
生ゴミから発せられる吐き気を催す腐敗臭の中、小田原は顔を上げ、見た。
目の前に迫り来る靴の裏を。
「ブッ!!」
すさまじい力で繰り出された蹴りは、口にぶち当たって前歯全てを折る。それだけでは終わらない。靴の底に鉄を仕込んでいるのか、革製とは思えない硬度を誇るブーツによる蹴りは執拗に顔面を襲う。
頬の中が切れ、血が滴り落ちる。潰れた鼻はもはや原型を留めず、形容できないほどグジャグジャに変形する。顔中に痣ができるが、口から、鼻があった場所から流れ出る夥しい血によって、その痣は見えなくなった。
蹴るのをやめたかと思うと、今度は手にした刀を逆手に持ち、振り下ろす。その切っ先の先には、右足の太ももを捉えていた。
「ガァァァァァッ!!!」
寸分違わず、刃は小田原の足の筋肉を裂き、骨をも貫通した。
人間の骨を刀で切るのには、熟練された技と腕が無ければ難しい。それをいとも容易く男は裂いた。
突き刺した箇所はちょうど血管があった場所らしく、血が溢れ出し、男が刀を引き抜くとさらに血が流れ出る。足の激痛に、小田原は声にならない呻き声を上げる。
だが、容赦なく男はさらに左足の太ももにも刃を向け、勢いよく貫いた。
「ギッ!!」
先ほどと同じ激痛が左足にも走る。そして、今度は足に刺したまま、手首を回して刀の刃を回転させ始める。
「アガッ! ギァァァァァ!!!」
右足とは比べ物にならない痛み。グリグリとねじり込むように肉を抉り、傷口を広げつつ侵食していく刃。電流が迸るかのような感覚。それが一回転されるごとに押し出されるように一定間隔を空けて迫る。
しかもそれだけではない。その刃は、何故か熱を持っているかのように熱かった。外気に触れ、熱を持たないはずの金属。しかし、その内側から出てくるような熱。それがさらに痛みを倍増させていく。
一通り肉を抉り取ると、男は刀を引き抜いた。抉られた箇所はポッカリとピンボールほどの穴が開き、血が滝のように流れ出る。
すでに小田原は痛覚によってパニックになっていた。痛みに顔を歪め、唯一無事の左手で足を抑える。
直後、その左腕が上に引き上げられた。
「イィッ……!」
突然、左手の自由が利かなくなったことによる戸惑い、そして左手首に感じる鋭い痛み。何かが手首に巻きつき、引っ張り上げられているようだ。
否、実際に引っ張り上げられている。男の篭手から伸びている細い糸……鋼鉄製のワイヤーによる物だった。
左腕だけではない。手がない右腕も、上腕にワイヤーが巻きついて強引に吊り上げられていく。肉に食い込んでいく細い刃によって、プツリと音を立てて肉が切れ、血が流れ出ていく。
「アアァァァ…! ひ、ひてェ……ひてェよぉぉぉぉ!!」
歯を折られ、鼻が潰れたことにより、うまく言葉を発することができない小田原は、二本のワイヤーによって無理矢理体を起こされ、十字架の磔のような体勢となった。ただ、膝を着いていることによって前に倒れそうになる上体の体重のせいで、さらにワイヤーがきつく縛り上げていく。無意識のうちに少しでも痛みを和らげようとして体を動かすが、僅かな動きでも痛みが増すばかり。
地獄のような甚振り。小田原は荒い息と血を吐き、かろうじて動く顔を上げた。男が刀を左腰に差してある鞘に収め、地面に落ちている小田原の手を拾い上げているのが見えた。
正確には、小田原の右手だった物に握られているナイフ。男はナイフをその手からもぎ取ると、使い用のないその手は背後のゴミ袋の山の中に放り捨てた。
人体の一部と思っていないようなその行為と、男がこれからしようとしていることを想像し、小田原は震え上がった。
そして、その身をあらゆる物が包み込んでいく。
男に対する “恐怖”、
想像を絶する“苦痛”、
迫り来る死に対する“絶望”、
そして何故こんなことをしてしまったのかという“後悔”。
それら全てが絡まりあい、小田原はもう正常ではいられなくなった。
元から正常とは言えなくとも、それでも彼には思考というものがあった。しかし、それらさえも無くなり、あるのはただ人間が本来備え持つ物だけが残った。
「ひゃ、ひゃめへふれ……ひゃふへへふれ……!」
それは、生存本能。
“やめてくれ、助けてくれ”と訴える小田原の前に立つ男。しかし、その顔は深く被ったフードで全く見えず、そこにあるのは闇。その闇は、小田原を包む負の感情を表しているかのような深い物。
「も、もうひほほろしなんへひねぇ…! ひねぇから、は、はふへへふれぇ……!!」
“もう人殺しなんてしねぇ、しねぇから助けてくれ”……それを男は、ナイフをその手で回転させたりして器用に弄びながら黙って聞く。
やがて男はナイフの回転を止め、ゆっくりとフードによって見えない顔を小田原へ向ける。
【助けて……だと? 否。】
朦朧とした頭の中に、突如声が響き渡ったことで小田原は驚き、目を見開く。だが、声、というより、言葉が浮かび上がっただけ……声ではなく、ただ文字が頭の中に書き込まれていくような、形容し難い物を感じる。
【これは戯れ……貴様が行ってきた“趣味”でしかない。】
それが男から発せられていると理解するには時間がかからなかった。そして、以前自分の獲物に向けて放ったその言葉を聞いて、小田原は滝のような涙を流し、恐怖で口元を震わせる。流れた涙は、頬にこびり付いた自身の血と一緒に流れ落ちていく。
そして、男は小田原の腹にナイフの切っ先を向ける。
【故に貴様に】
そして、男はナイフを握る手に力を入れ、
【拒否権などありはしない。】
「ひゃめろおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
ズブリ。
分厚い刃は腹の肉を裂き、埋まっていく。さらにそこから刃を上に向け、勢いよく振り上げると、腹は縦一文字に掻っ捌かれ、血がドバドバとあふれ出た。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
激痛に絶叫する小田原。男はナイフを逆手に持ち替え、大口を開けて叫ぶ小田原のその口目掛けて勢いよくナイフを突き立てた。
「ガブァ……ッ!!」
血塗れていた口の中に刃が入り、下唇と舌を深く切り、そして喉を貫いた。それにより、小田原は白目を剥きつつ力が抜けていく。
薄れていく意識の中で見た男のフード。最期まで小田原は男の顔を見ることはできず、地獄へと落ちていった。
「…………。」
項垂れた小田原をしばらく見つめていた男は、左手首を回す。すると、どういう原理なのか小田原の遺体に巻きついていたワイヤーは解けていく。だが自由になった腕に力が入ることなく、小田原は腐臭漂う生ゴミの中に、冷たい躯としてその身を預け、倒れ伏した。
遺体から流れ出てくる鮮血。それはどんどん血溜まりとなっていき、男の靴を濡らす。
それに気を留めず、男はズボンのポケットを漁り、ある物を取り出した。
それは、筆。習字でよく使う、太い筆。男は筆先に付けられた専用のケースを取り外した。本来、墨を用いて黒く染まるその筆先の毛には、墨ではなく、赤い液体……血によって染まっている。
男は屈みこみ、その筆の毛に小田原の血液を含ませる。そしてそれを、小田原の背後にある薄汚れた壁に走らせていった。
少しして、男は筆をケースに入れて元のポケットに仕舞う。やがて、足元で白目を剥き、恐怖に慄いた表情のまま事切れている小田原をチラと見る。
「…………。」
物言わぬ遺体に、男は何を思うのか。やがて男は、無言のままコートを翻してその場を後にした。
路地裏のとある一角。赤黒く変色し始めた血溜まりと、腐敗して悪臭を放っていた生ゴミとによる、二つが混ざり合って凄まじい臭気を漂わせる空間の中に、かつて殺人を生き甲斐としていた青年が、顔面をグシャグシャにされ、右手首を切り取られ、そして口内にナイフを突き立てられて屍と化して横たわっていた。
そして、その青年の背後の壁。そこにでかでかと、おそらく青年の物だろう血で文字が書かれていた。
『この者、いくたの罪なきものを己のかいらくのため殺めてきた咎にて死をあたえん』
月明かりが照らす、とある建物の屋上。そこの淵で、男は月を見上げて立っていた。
すでに深夜のせいか、道を歩く人もまばらで、車の通りも少ない。出勤時間も終わり、残業を残している会社ビルの窓以外は全て照明が消え、街を静寂が包み、眠り始めている。
「ニャァ。」
月を見上げている男の足元から鳴き声がし、男はゆっくりとした動作で足元を見た。そこにいたのは、小田原が追いかけ回し、ついには捕らえることが出来なかった黒猫。
黒猫は、満月の夜に見ると不幸が訪れると言い伝えられている。いわば、不幸の象徴であり、忌み嫌われる者。そんな黒猫が、男の足元に擦り寄ってきていた。
だが男はそれを忌み嫌うこともせず、ただじっとしていた。触ることもしなければ、振り払おうともしない。それでも黒猫は、男の血塗れた足をペロペロと舐めていく。
やがて一通り舐め終えたのか、猫はその場に座って自分の左前足で顔を拭う。そしてまたミャァと一鳴きすると、黒猫はその身を翻し、素早い動きで駆けて行き、屋上から隣の建物へ飛び移り、消えていった。
猫が去った方をしばらく見ていた男だったが、興味を無くしたように再び月を見上げる。
煌々と輝く、丸い月。満月の夜、男はただ何をするわけでもなく、その深く被ったフードの中から、その月を見上げ続けた。
―――その者、咎人が咎を重ねんとした時に現れる。
―――黒き衣に身を包み、闇夜に溶けて駆け抜けてゆくその姿を捉えること叶わず。
―――妖しき刀、硬き拳、鋭き鉄線、それらを操り咎人を屠る。
―――愚かなる咎人を裁くのは、人の法にあらず。
―――愚かなる咎人を裁けるのは、咎人以外ならず。
―――咎とは、罪なり。だが咎を持たぬ者はこの世におらず。
―――咎人とは、犯した咎を愚かにも重ね続ける者の総称を指す。
―――命は尊く、そして重い。しかし、それらは愚かな咎人には当て嵌まらぬ。
―――安い命。軽い命。そう決め付け、愚かな咎人を狩り続ける。
―――ゆえにその者も愚かなる咎人なり。だが彼は、咎を重ね続ける。
―――その先に待つ物、それすなわち地獄。それすら恐れず、男はただただ裁いてゆく。
―――幾多の血を浴び、命を奪い続ける咎を背負い続ける咎人。その者の名はすでに過去の物。
―――だがあえて言うなれば。咎を重ねるその男を名づけるとするならば。たった一文字の漢字のみが当て嵌まろう。
「…………。」
輝く月の光の下。男はその場で身を翻し、裾のコートで身を包む。瞬間、その姿がブレたかと思うと、男の姿はその場から消えていた。
男がいた痕跡はない。冷たい風が、そこを吹きつけて塵を巻き上げていった。
―――その男、『咎』の一文字を背負いし者なり。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今回は短編という形にしましたが、時間がある時などに長編として載せてみようと思います。
他の小説も書き進めます。ただ、今少しスランプ気味ですので、申し訳ありません。
では、これにて失礼します。