5後編 幼すぎる野望
今すぐこんな所から抜け出してやる――その一心で充電器を片手に街へ出た。翌朝まで待てず、夜中の繁華街へと赴いた。
「たかり屋に詐欺師どもの巣窟だ。さすがはこの世で最底辺の連中、絵に描いたようなクズばかりだ……!」
わざわざ夜に店開きしたのは、小賢しい計算もある。酔客相手なら、金額やお釣りを誤魔化せるかもしれないと期待したのだ。1日うろついただろうし、ちょうど電池が心もとなくなるタイミングでもある。
「充電いかがですか〜〜、1台百円っすよ〜〜」
出番はないかと、道行く人を観察してみる。行き交う人の属性は昼間とは別物だ。主婦や学生に外回りサラリーマンだったものが、疲れ切った大人や酔客になった。
そして晴仁は気づく。思わぬ商売敵――モバイルバッテリーが猛威をふるい、彼の商売を邪魔していることに。彼らはバッグからバッテリーを取り出しては電力の足しにした。怪しげなホームレスの器具など頼る必要はなかった。
「なんだよフザけんな……オレはこれに賭けるしかねぇんだよ!」
無為な時間が過ぎてゆく。やがて終電が走り去ると、駅前から人の姿がめっきり減った。繁華街はむしろ往来が増えはしたが、商売には全く結びつかなかった。むしろ冷たい視線を浴びてしまう。
身なりの良い初老の男が、派手な女を連れては嘲笑った。
――見ろよ浮浪者だ。あんまり近寄るなよ。
――本当だ。みっともないね。
薄笑いを浮かべつつ、晴仁の前を通り過ぎていく。酒と香水の臭いで鼻が曲がりそうになり、晴仁は横を向いた。耳にも嘲笑が刺さるが、その場で堪えた。
「今に見てろよ。絶対に、どうにかして這い上がってやる!」
その言葉は現実を変えた。彼の暗い情念が新たな商機を引き寄せたのだが、飛びつくのには躊躇った。
相手はおよそ20代の男たちで、威圧的だった。髪を派手に染めて大きなタトゥーも入れて、吸いかけのタバコを道端に捨てている。道いっぱいに広がって、他の通行人を押しのけるようにして歩く。まさに我が物顔だった。
「やべっ、スマホの電池きれちったけど!?」
大声を響かせては、他の仲間がゲラゲラと笑う。ここは行くべきか――晴仁は迷うのだが、耳には嘲笑が生々しく残っている。そうだ、のしあがるんだ。汗で湿る両手を強く握りしめ、男たちに歩み寄った。
「あのう、電池切れっすか?」晴仁の声はかすれていた。
「あ? 誰だよお前」
「すごく便利なのがあるんすけど、どうです? 百円で」
おずおずと差し出した充電器を、赤髪の男が怪訝な顔で見据えたが、おもむろに手を伸ばした。ケーブルをつなぎ、つまみを回す。すると、驚く間もなく充電が終わった。
男たちは一転して歓喜の声をあげた。
「うおっ、やべぇこれ! もう終わったんだが!?」
赤髪の男が叫ぶと、他の連れ合いも「貸せ貸せ」と騒がしくなる。反響は上々そのものだ。
「あのう、お金を……」晴仁はおずおずと問いかけるが、頬の緩みを抑えきれない。これで儲かるなと思うと、ジワリとした喜びが込み上げてくるのだ。
赤髪の男は百円玉を手渡した――が、その顔は悪意で歪められていた。
「気に入ったから買ってやるよ。百円で」
「えっ、いや、違う! 1回の使用料って意味で、本体を売るつもりじゃ――」
「んだとテメェ! そんな事言ってねぇだろ!」
赤髪が晴仁の鼻っ面に拳を叩きつけた。辺りに鮮血が飛び、ダラダラと鼻血がこぼれだした。
「さっさと消えろ、殺すぞ」
男たちは背を向けて立ち去ろうとした。充電器が奪われる寸前だ。起死回生の、唯一無二の発明品が、言いがかりと暴力によって他人の手に渡ろうとしていた。
「返してくれ!」
晴仁は背中から飛びかかり、充電器を奪い返そうとした。しかし、手もなくその場で投げ飛ばされてしまう。背中から壁に叩きつけられて息が止まった。
「触んじゃねぇよ、きたねぇな!」
激情した赤髪が晴仁に殴り、蹴りつけた。もはやサンドバッグ状態で、晴仁が動けなくなってからも、散々に叩き込まれた。
「返せよ、それ……」
それでも手を伸ばし、充電器を掴んだ。赤髪がとっさに手を引いたところ、その弾みで充電器のコードが本体から千切れた。こうなれば、物理的に充電が不可能であると、素人目にも明らかだ。
「うわ最悪、壊れたし。こんなもん要るかよ」
充電器が晴仁の足元に転がされたが、手に取るだけの体力がない。ぼんやりとしながら路地裏に座り続けた。
しばらくして、眠気が押し寄せてくる。少し不吉な気がした。
(これはヤバいかも……)
晴仁はよろめきながら立ち上がり、充電器を携えながら表通りに出た。「誰かたすけて」掠れた声で助けを求めた。
しかし、誰もが遠巻きに逃げるばかりで、救いの手は1つとしてなかった。「なんだこいつ、きったねぇ!」罵声が聞こえるばかりだった。
このまま死ぬんだろうか。騙され、殴られ、罵られて死んでゆくのか――その時、ひとつの光景が脳裏をよぎった。荒川の河川敷、気の好い笑顔で笑うホームレスたち。足が自然とそちらに向いていた。
彼らが助けてくれる保証はない。多少の金でもあれば動くだろうが、収益は100円のみ。それで手当が受けられるかは、もう賭けるしかない。
河川敷までが遠い。ひきずる足からも感覚がない。腹の奥も妙に熱く、袋が破けたような不吉な感覚がある。河川敷はまだか。一歩ずつ縋るように進む。
そして土手まで来て、彼は力なく膝を着いた。
「これを、登れって……?」
河川敷に行くには、長い坂を登らなくてはならない。普段でも労に感じるほどの高さ――今のコンディションでは不可能としか思えなかった。
(もうお終いだ……)と投げやりになったとき、聞き慣れた声が鳴り響いた。
「おおい、どうしたんだよ兄ちゃん!」
坂をゲンタが駆け下りてくる。そして晴仁を脇から抱きかかえた。息は酒臭いが、顔面はどこか青ざめた様子だった。
「助けてゲンさん。お金は、これしか無いけど」
血で赤く染まった百円玉を手渡そうとする。ゲンタは受け取らず、突っ返した。「バカ言ってねぇで、行くぞ」晴仁に肩を貸して、坂を登っていった。
「今日はツイてるぞ、ジンさんが来てるからな!」
「ついてる?」晴仁には問い返す体力すら残されていなかった。あの陽気な詐欺師に何が――という悪態も言葉にならない。
河川敷は今日も寄り集まって酒盛りだった。お気楽な空気はジンの言葉で一変する。
「これはマズいな……。みんな急いでくれ! 綺麗な水に救急キット、きれいな布! とにかく使えそうなものを持って来い!」
5、6人の男たちがブルーシートの中に消えていく。ゲンタも、晴仁をジンの傍に降ろすと、同じように家の中へと駆け込んでいった。
「ずいぶんとこっ酷くやられたなぁ」晴仁を河原に寝かせたジンは、そっと触診を始めた。血の渇いていない服をなぞるように触れていく。
「一番街の裏路地で、男たちに殴られて」
晴仁は辛うじて経緯を告げた。ジンは力なく首を横に振った。
「次からは二番街のあたりがいい。派出所が近いから、襲われることも少ないんだ」
「オレに『次』なんて……」
晴仁は激しく咳き込んだ。口元に当てた手が真新しい血で染まる。鼻血でないことは、自分自身で理解していた。内臓が破けている。そうとしか思えず、得も言われぬ恐怖が込み上げてきた。
「大変な勉強だったな、でもこれで分かったろう。お金を稼ぐってことは簡単じゃないんだ」
ジンはいまも晴仁の腹を服の上からまさぐっている。少しだけ、みぞおちの辺りが温かくなった。
「以前の君は、奇をてらうことで稼ごうとした。動画にしろ、クラファンにしろ、目立てばお金になると考えた。確かにそういう手法もあるかもしれないけど、それはあくまでも奇策。本当の意味で稼いだ事にならない」
触診は続く。腹からジワリとした温もりが消えていく、それと同時に、痛みも抜けた気がした。
「君は理解したはずだよ。どうしたらお金を稼ぐことが出来るかを」
「えっ?」
「一度、上手くいったじゃないか。それから何を学んだ?」
そこまで問いかけられて、脳裏に浮かんだのは若いサラリーマンだ。彼はひどく慌てており、スマホの充電が出来たことを喜んでいた。
「困ってる人を、助けた……」
「そういう事! お金の稼ぎ方ってのはね。成功者はみんなそれを念頭にしてたんだよ」
「そうなのか……?」
「まぁね、今すぐ真理にたどり着けとは言わないよ。療養しながらゆっくり考えたら良い」
最後にジンは、自分の手のひらに息を吹きかけた。すると、からっぽの手のひらから無数の光の粒が飛び立った。全てが――蝶でも舞い降りるかのように――晴仁の体に降り注いだ。それらが全身に溶け込んだころ、体の痛みはすっかり消えてしまった。
ジンはサングラス越しに笑う。「みんなには内緒だよ。公然の秘密みたいなもんだけどさ」そして今度は、顔を後ろに向けて叫んだ。「ひどいのは打撲くらいだ、湿布を多めに持ってきてくれ!」
そこから晴仁の記憶は曖昧になる。浅い眠りを繰り返し、たまに水を飲まされた。いつしか空腹を覚えて耐え難くなり、立ち上がると、自分の掘っ立て小屋の中だと気づく。シートをめくってみれば、夜明けの空が見えた。
担ぎ込まれた日の翌日か――と思いきや3日も過ぎていた――という衝撃の事実をゲンタが告げた。
「気分はどうだ? 全然起きねぇから心配したけど、ジンさんは平気だって言うから。今は『ゆりかご』で寝てるだけだからって」
「ゆりかご……ねぇ」
そう言われて、晴仁は納得した気分になる。胸の中で渦巻いていた成功に対する焦燥感も、そしてホームレスたちに抱いた嫌悪感も、名残すらなく消え去っていた。
別人に生まれ変わったみたいだ。誇張ではなく、晴仁は心からそう思った。
「ゲンさん、オレ分かったかも」
「ん? 何が」
「成功者になる方法が。ちょっと待ってて、すぐに大金を稼いで、みんなにご馳走するから」
「それは嬉しいが、無理すんな? またブッ倒れられちゃ困るからよ」
「ちょっとサイトを更新するだけだから」心配そうな視線を浴びて、くすぐったい気分になった晴仁は、すぐにスマホを操作した。
表示されたのはクラウドファンディングのマイページ。そこに写真付きで、新たなプロジェクトを投稿した。「もう電池切れは怖くない! 秒でチャージできる画期的な充電器!」文面も悩むことは一切なく、さながら天から降ってくるかのようで、なめらかに入力した。
「困ってる人を助けることが、お金に繋がるんだよな。アフロメガネがそう言ってたし」
あとは時間が解決する――ゲンタからカップ麺を半分分けてもらい、腹を満たしてから二度寝。そして目覚めたところ、サイトから通知がいくつも寄せられた。
「さっそく来たな。オレのサクセスストーリーが今ここに始まる――」
コメント返信は多かったものの、否定的なものばかりだ。「うさんくさい」「盛りすぎ乙」という言葉だらけで、具体的な話は1つとしてなかった。ユーザーたちが訝しむのは無理もない。メーカー務めでも技術者でもない青年が、画期的な商品を生み出せるだろうか。ましてや他社製より群を抜く性能――デタラメと疑われて当然だった。
晴仁はスマホをシートに叩きつけた。
「なんでだよオイ! これが正解じゃないのかよ!?」
若々しい憤りの声が荒川に響き渡った。晴仁が本当の成功を手にするまでは、もうしばらく時間がかかりそうである。
〜完〜