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5中編 幼すぎる野望

 晴仁はその場に崩れ落ちて動けなくなる。頭に、背中に砂利が食い込んで痛むが、そんな事は気にならない。押し寄せる後悔が胸を押しつぶすことに比べたら――。


「オレがバカだった……。こんな風に散財されるなら、競輪で一山狙った方がまだマシだったぞ……!」


 年甲斐もなく泣きじゃくる晴仁に、アフロ頭が歩み寄ってきた。焼肉ダレの甘辛い匂いが強い。


「どうしたよボウズ。お前も食いな、豚トロがそろそろ焼けるし」


「呑気に食ってんじゃねぇよ詐欺師! 人の金で!!」


「おい、早合点するなって。ちゃんと願い事を叶えようとしてるよ。成功者になりたいんだろ?」


「早く叶えろよ。こっちはもう一文無しでだぞ」


「わかったわかった、まぁ食いなよ」


 差し出された紙皿を晴仁は乱暴に奪い取り、箸が渡されるのを待たずに食らいついた。犬食い、焼き立ての肉で唇がひりついた。肉の脂が体に染み込むようだ。タンパク質を摂取するのも一週間ぶりだった。


「いやぁ、やっぱり皆で食う焼肉はうまいよね。そしたらね」


 満面の笑みを浮かべたアフロ頭が帰ろうとする――晴仁がジャージの袖を掴んで引き止めた。


「おい! 願い事!」


「えっ? ここまで来たらあとは勝手に話が進むけど?」


「訳わからんこと言うな、早く成功者にしろよ! オレはもう一文無しだ。泊まる所もないんだぞ?」


「だったら好都合だよ。スペシャリストだらけだから」


 アフロ頭が他の男たちに目を向けた。髭面で薄汚れた男たちで、彼らは河川敷に住んでいる自由の民――つまりホームレスだった。


 晴仁は再びその場で打ちひしがれた。


 荒川の住民たちは、この若きホームレスを歓迎した。肉を振る舞った事もそうだが「ジンさんの紹介を無下にはできねぇよ」と口をそろえる。アフロ頭の男は「ジン」と呼ばれていることを、このときになってようやく知ったが、晴仁は大して気にもとめなかった。


 一番の問題は、ホームレスにまで転落した境遇で、自身の運命を呪いたくなった。


「にいちゃん、これ使えや。余ってたやつだから」


 ホームレスの1人が厚手のシートを何枚かくれた。あるいは段ボール、さびついた台車と、ガラクタに近い物もやたら集まった。更には「ゲンタ」と名乗る老人が、なにかと世話を焼いてくれた。


「足りねぇ部品は貸してやるよ。またそのうちうまい肉を食わせてくれや」


 手早く家を建てたゲンタは、歯を見せて笑った。半数の歯は抜けたあとで、隙間だらけだ。


「ありがとうございます……」


 その日は1人、ブルーシートの家で眠った。河から吹き付ける風が騒がしい。隙間風が、体から体温を奪い、段ボールのベッドも寝心地は最悪だ。


「落ちる所まで落ちたんだ、オレは……」


 髪をかきむしって身悶えた。今や成功者どころか、元の暮らしの水準――愚鈍な父親が必死に守ってきた中流程度の生活――でさえ、今となっては遠い。


(何歳まで生きられるかな。三十路前には死んでそう)


 1日も早くここから抜け出すべきだ、そう考え込むうち、いつの間にか眠っていた。


 迎えた翌朝、外に出て日差しを浴びる。腹立たしいくらいに快晴だ。スマホを取り出してみたが――動かない。電池切れだろうと思い、それがムカついて、辺りの枯れ枝を蹴り飛ばした。


「ケータイを充電したいのか、兄ちゃん?」ゲンタが一部始終を、隣の家から見ていた。


「あ、はい。そうですけど……」


「だったらシユさんの所だ。たぶん貸してくれるぞ」


 手招きするゲンタの後を追い、離れた家にやって来た。「充電させてくれ」垂れ下がるブルーシートをかき分けながらゲンタが言う。


 晴仁もおずおずと続いたところ、中の様子に圧倒された。見たこともない機材が並び、トレイには金属部品が山積みだ。まるで小さな工場だ――ここが荒川の河川敷ということを忘れそうになった。


「そこらを勝手にさわるなよ。シユは365日休まず機械をいじくりたいって理由で、家族も仕事も捨てて流れ着いた変人だ。ついでに神経質だ」ゲンタがそっと囁いた。


 シユと呼ばれたホームレスも老人だった。ギョロリと大きな瞳が特徴的で、まるで鷹にでも睨まれた気分にさせられた。


「充電器は、そこにあるものを好きに使え。なんなら一台くらいくれてやる。肉を食わせてもらった礼にな」


「おっ、気前がいいねぇ。助かる助かる――」


「小僧にだ、お前じゃない」


 肩をすくめたゲンタが「これ使えるか?」と、小さな器具を渡した。電池式ではなく手巻き式で、ケーブルはタイプCだ。晴仁のスマホとの接続は――問題なく、あとはつまみを回転させるだけだった。


「手作業か、クソめんどい……!」


 晴仁はつまみを回しはじめた。負荷の重たさには苦労したが、しかし彼の険しい顔は、すぐに驚きで満ちる。


 ものの数分でフル充電ができた。スマホを立ち上げると――電力は99パーセントまで回復していた。


「なんだこれ……! こんなに早くできるってどういうこと!? オーバーテクノロジーか何か!?」


「どうした兄ちゃん。そんな驚く事かい?」ゲンタが両目を見開いている。


「これもう、立派な発明品ですよ! すごいなんてもんじゃない!」


 手放しで褒められた格好のシユだが、彼の表情は変わらない。鷹の目を向けたままで手のひらを払う。早く出ていけ――と言うかのように。


「これ……何か使えるんじゃないか……?」


 晴仁の脳裏に熱い電流が駆け抜けていく。矢継ぎ早に浮かぶイメージが、起死回生のチャンスを知らせるようだ。まるで天空から垂らされた蜘蛛の糸だ。彼はためらわずに掴んだ。


 それから最寄り駅まで駆けていった。そしてロータリー付近で座り込む。段ボールの切れ端に「スマホを一瞬でフル充電! 一台百円!」と書いた。


「これはいける、絶対ヒットするぞ……!」


 しかし期待に反して、皆は素通りした。足を止める者さえおらず、ただ時間だけが過ぎていく。日差しがジリジリと肌を焼き、アスファルトも熱を帯びていく。たまらず木陰に逃れたのだが、通りから少し外れた位置で、人の目に止まりにくくなった。


「クソッ……せっかく凄いもんがあるってのに、誰も見てくれない……!」


 苛立ちとともに額の汗を拭ったその時だ――誰かが晴仁の前で足を止めた。勢い良く顔を持ち上げる。


「いらっしゃいませ……」晴仁の顔は瞬く間に曇った。相手がアフロ頭で、星型サングラスを身につけていたからだ。


「やぁボウズ。もうかりまっか?」


「チッ。さっさと行けよクソ詐欺師」


「酷い言われ様! おじさん、こう見えて真っ当に生きてんのよ?」


「どこがだよ。五千円返せ」


「それは出来ないよ。ボウズを成功者にする約束をしたわけだしね」


「うるせぇな。つうか邪魔だよ邪魔! お前がそこにいると客が来ないだろ!」


「そっか、そうだよね。ごめんごめん。じゃあ頑張ってねん〜〜」


 去り際にジンが小さく呟いた。「これでお金を稼ぐ苦労も分かるよね」と。その言葉は妙に深く突き刺さり、心の奥底をかき乱した。


「なんだよ偉そうに……自分は泥棒のクセに」


 それからは冷やかしすら訪れはしなかった。この怪しげで、露店というより家出少年の溜まり場としか言いようのない店構えは、往来の人を遠ざけてしまう。


 それでも転機はやってきた、何の前触れもなく突然に。


「大変申し訳ありません! 今、ドライバーを手配しているところでして、はい」

 

 近くの寂れた雑居ビルから1人の男が現れた。スーツを汗だくにした青年で、スマホを片手に通話しつつ、しきりに頭を下げている。どこか緊迫した口調だったが、そこに悲壮感まで加わることになる。


「あっ、電池が……! こんなときに!」


 青年は真っ暗になった画面を見つめては、辺りをキョロキョロ見回した。今にも泣き出しそうなその顔を、晴仁は見逃さなかった。


「そこのお兄さん、充電できるよ」


「ハァ?」スーツ男は、初めのうちは避けようとしたが、充電と聞いて晴仁を見据えた。そして差し出された充電器に釘付けになった。


「貸してやるよ。だから充電できたら百円くれよ」


 スーツ男は腕時計を見て、左右を見渡してと忙しなく動いてから、晴仁の充電器をむしりとった。ケーブルをつないでつまみを回す。するとダイオードランプが赤から、間もなく緑に切り替わるのを、信じられない顔で眺めた。


「本当だ、充電できた……!」


 スーツ男はすかさず通話を再開した。そして平謝りするとともに、電話口で何度も頭をさげた。


「おい、金くれよ。タダじゃねぇんだぞ」


 抗議する晴仁に、クシャクシャの千円札が押し付けられた。男は特に礼など告げず、雑踏の中に消えていった。


「なんだよあの野郎。失礼なやつだよ」


 多少の不満は残るが、ようやく成果が出た。開店して半日、ついに手にした売上は――紙幣だった。


「よぉし、これからジャンジャン稼いでやる!」


 もう千円も稼いだらネカフェ代になる上に、カップ麺まで食える。即席の掘っ立て小屋ではなく、空調の効いた屋内で暮らす事ができる。晴仁は迷いなく後者を選ぶつもりだ。


 しかし世の中、欲張ると上手くいかなくなるもので、晴仁は顧客に出会えないまま夜更けを迎えた。座りっぱなしで腰が痛くなったこともあり、不本意ながら河川敷へと戻っていった。


「おう兄ちゃん! どうだったい?」


 焚き火の傍でゲンタが叫び、何人かがこちらを見た。晴仁は逃れるようにして遠巻きに逃げるものの、ついには掴まってしまう。


「へぇ〜〜。あの充電で千円も稼げるもんだなぁ」感心した口調とともにゲンタは、晴仁から売上を奪い取った。


「あっオレの金!」咄嗟に晴仁が声をあげると、ジロリと睨まれた。「おいおい、自分1人の手柄じゃないだろ。シユさんの道具と、シユさんにお前さんを紹介したことで、やっとこさ金になったんだ。コイツは皆の金って事になるだろ?」


「汗水流して働いたのはオレなんだけど!」


「ここじゃあ喜びを分かち合うルールだ。そうやって手を取り合いながら生きてるんだよ」

 

「そんな……無茶苦茶だ!」


「まぁそうカッカすんなって。ちゃんとお前さんにも食わせてやっから。こんだけあれば米買えるな米!」


 こうして晴仁のなけなしの金は、またもやホームレスに掠め取られてしまった。


 買い出し、それと料理を待つと、炊きたてのご飯にレンジアップした唐揚げが2個渡された。温かな湯気と香りが食欲をそそるが、晴仁の恨みを晴らすには至らない。


(クソッ。こんなことならネカフェに直行したら良かった。3時間パックならいけたのに……!)


 2度とここには戻るまい。そう決意して米を貪り食う。


(お前らとも今夜限りだ。せいぜい笑ってろよ、落伍者どもめ!)


 煌々と燃える焚き火が、ゲンタたちの赤ら顔を照らした。酒も入っており上機嫌そのものだ。


 その様を冷めた目つきで晴仁は見ていた。内心でもう一度「見るに堪えないクズども」と呟いた。


〜後編に続く〜

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