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5前編、幼すぎる野望

 晴仁はるひとには金がない。少ないというレベルではなく、生存が危ういほどだ。そこまで追い詰められた若干20歳の青年は、今、モニター画面に釘付けだった。


「頼む、頼むからバズってくれ……!」


 祈りながら左クリック。そして表示されたのは、大手動画サイトのアカウント画面だ。そこに並ぶ数字はどれもこれも酷いものだ。登録者数、再生数、イイネ数のどれも悲惨そのもの。最新動画の『今日のオレに密着 〜まさかの大奇跡到来〜』などは、誰も観ていないに等しい。


「ふざけんな! オレの人生がかかってんだぞ、ちょっとくらい応援しろよ!」


 テーブルを叩いた拍子にキーボードが跳ねる。すると、薄い壁の隣から舌打ちが聞こえてきて、晴仁は縮こまった。気まずくなってしまい、安っぽいドアをスライドさせて部屋を出た――ドリンクバーのグラスを片手に持ちながら。


「やべぇよマジで。人生詰んだ〜〜」


 投げやりな言葉とともに通路を行く。薄暗い店内に所狭しと並ぶ本棚、コミックエリアは立ち読みが多いので避ける。脇の道は18禁コーナーに近く、荒い呼吸が耳障りだ。


 晴仁は内心で利用客を見下しながら、狭い通路を通り抜けた。


(オレはお前らとは違う。無為に過ごすバカじゃないんだ!)


 ドリンクバーでソーダを並々と注ぐ。その上に無料のバニラアイスを、山のように盛り付ける。食費を極限まで絞ると、自然とこんな食生活になっていた。


 そんな移動中でさえサイトチェックは欠かさない。歩きスマホで閲覧したのはクラウドファンディングのアカウントだ。目標金額は――3億円――かなり強気な額面だ。肝心の事業はというと、具体性の欠片もなく、世の中に寄与するとは思えない大言壮語が並ぶばかりだ。


 コメント欄は荒れに荒れた。「働けクズ」「コジキ乙」という物ばかり、冷やかしの雨あられだった。


「暇人どもが! オレの覇業を邪魔すんな!」


 シングル席に戻り、どかりと椅子に腰掛けた。働いたとして何になる――と憤慨する胸の内が、口から漏れていた。


「オレは目覚めた人なんだよ。クソみたいな労働地獄なんか頼まれたってゴメンだ。1秒さえも働かずに大成功してやる……」


 この夏に、大学を無断で中退した晴仁は、両親に「動画投稿で食っていく」とのたまった。すると泣きに泣かれた。紛糾する家族会議の末、晴仁は百万円の手切れ金とともに実家を追い出されたのだ。


 それからは無謀にもホテル暮らしを始めてしまい、資金は光の速度で減少した。一方でまともな収入は皆無。結局は一ヶ月かそこらで、格安ネットカフェに流れ着いたのである。その境遇は、膨らみつづける自尊心を痛く傷つけた。


「金出さないならコメントすんなよ、暇人どもめ……!」


 苛立ちに任せてキーボードを叩きまくる。背後でドアノックの音がした。エンターキィを強く打ってからスライドさせると、そこに半笑いの店員が立っていた。


「ええと、何……?」晴仁はいぶかしむ。


「精算お願いします、それと退店も」


「金は払うよ。それと延長で」


「すんません。今日は改修工事があるんで、これ以上の滞在はダメなんすよ」


 ヘラヘラ笑う店員を前に、晴仁は荷物をまとめた。店を出て、当て所もなくさまよっている間も、足取りはアスファルトを踏みつけるようで、すこぶる機嫌が悪い。


「何だよあの態度! これだからバイトは使えねぇんだ!」


 そのバイト経験さえもない彼が勤務態度をなじるのは筋違いだが、不満は止めどなく溢れ出た。


 それよりも次の寝床を探さなくてはならない。暑さが和らいだとはいえ、野宿など自尊心が許さない。そもそもスマホの充電が出来ないことが問題で、彼の生命線であった。


「他に泊まれそうなネカフェは……。よそは高いんだよな」


 行場を失ってフラリと訪れた河川敷、土手の上に並ぶベンチに腰掛ける。財布の中を見るのが怖い。紙幣はきっちり確認、記憶通り1枚のみ。小銭まで数え上げ、ポケットもまさぐってみた。残金は一万円に満たない。七千円弱といったところだ。


 そこまで把握して目眩を覚えた。残暑の残る日差しが意識を刈り取るように、まぶたに強く突き刺さる。


「どうしてこうなったんだ、ちくしょう……。誰か金をくれよ……!」


 するとそこへ、救いの手とも言うべき声がかかる。


「どうしたの、悩み事?」


「えっ?」


 顔を持ち上げてみると、見知らぬ男が立っていた。真っ黒なアフロヘアーに星型のサングラス、薄汚れた赤ラインのジャージの上下、そして黒ずんだスニーカー。


 悪目立ちする上に薄汚い男が、気安く話しかけてきた。古びた公衆トイレの臭いが感じられて、晴仁は横を向いた。


「若いうちは良いよね。悩む時間がたくさんあるから」


 不審な男は構わず語り続けただけでなく、隣に腰を降ろした。晴仁は「ヤバいやつが来た」と、呟いては立ち去ろうとする。


 だが、魔法のような言葉を耳にして、その足が止まった。


「今なら何でも願い事を聞いてあげるけど」


「……はぁ?」さすがに晴仁は声をあげて振り向いた。不審者はサングラス越しに笑った。


「悩んでるんでしょ? 力になるよ。ほら、願い事を言ってごらん」


「何言ってんだアンタ。人助けの前に自分の人生を何とかしろよ」


 鋭い切り返しに、アフロ男は手を打ち鳴らして笑った。「言うねぇ!」と曇りなき笑顔を浮かべた。


「ずいぶん不審がってるね。でもオイラは神様みたいなもんだから。神の子で、目覚めた人で、魔法使いでもあるんだよね。宇宙そのものと言っても良いかな」


「バカじゃねぇの……」


 普段ならすぐに立ち去っていた。そして半日後には奇妙な出会いを忘れたろう。しかし今は、誰かの助けを求めているのも事実。いかに怪しくとも、すがりたい気持ちが頭をもたげ、退散する気持ちを押し込めてしまった。


「なんでも聞いてくれるのか?」晴仁は睨みながら聞いた。


「もちろん。早く言ってごらん、日が暮れちまうよ」


 確かに太陽は西に傾きそうだ。晴仁はダメ元で思案した。この怪しい男に何が出来るかは分からなくとも、現状を打破するキッカケが欲しかった。


「オレは大成功したい」


「それじゃわかんないよ、もっと具体的に頼む。成功の定義なんて人それぞれなんだからさ。ちなみにオイラの成功は、打ちのめされてる奴を笑顔にすることなんだわ」


 偽善者め、しかも注文も多い――苛立つ晴仁だが、ひとまずは誘導に応じた。

 

「楽しいことだけで生きていきたい。サラリーマンとかバイトとか、つまらねぇ事しないで。なんかこう……オレにしかできない、すげぇ事をやりたい!」


「あ、うんうん。なるほど。なんか分かったよ〜〜」


「分かったって、叶えてくれんの!?」


 晴仁が思わず前のめるが、その鼻っ面に手のひらが突き出された。


「えっ、これは?」


「いくら出す?」


「はぁ!? 金とんのかよ!」


「そりゃそうよボウヤ。あのね、願い事ってのは本気にならなきゃダメなんだよ。クーラーのきいた涼し〜〜ぃ部屋でゴロ寝してる奴に神様が微笑む? ありえないねぇ。恩恵があるのは本気になった奴にだけだよ」


「言葉の意味はわかる……でもマジで金ねぇんだけど!」


「いいじゃん。無いなりに『誠意』を見せてごらんよ。その覚悟が運命を推し進めるかもよ?」


「やっぱり、話なんて聞くんじゃなかった……!」


 晴仁は憤慨してきびすを返した。その場から離れようとするのだが、背中に男の言葉が突き刺さった。


「アンタのやり方じゃきっと上手くいかないよ。あれこれ試して、ダメだったから打ちひしがれた。そうだろ?」


 晴仁は何も言い返せなかった。そして再び男の方を見た。ビルの間から差し込んだ日差しが、星のサングラスを赤く染めていた。


「覚悟できてる? 成功者になるための覚悟が」


 男は煽るように右手をヒラヒラと揺すぶった。


 この時、晴仁も冷静ではいられなかった。追い詰められ、実家とも縁を切り、所持金は底をつきかけている。何かしら大博打に出ない事には状況を覆す事ができない。


 さまざまな要因が、晴仁の背中を強く押した。財布からなけなしの五千円札を取り出したのだ。


「これ、マジで全財産だから」嘘をついた、しかしあながち間違いでもない。あとは小銭が残るのみで、最後の紙幣ではある。


「なるほど。なかなかの気迫だね、いいよいいよ」男が五千円を掴もうとするが、晴仁が離さないので、紙幣は宙に浮く形になった。


「頼むぞ。これ、オレの3日分の生活費だから。騙しやがったらマジで殺しに行くから、忘れんなよ!」


「オッケーオッケー、任せてよ。そんな心配しなさんなって、悪いようにしないからさ!」


 男は懐に紙幣をねじ込むと、晴仁の背中をバシバシ叩いた。


「そんじゃ、明日の今くらいの時間にここに来てな」


 男が立ち去ろうとするのを、今度は晴仁が止めた。黒ずんだジャージの裾を強くにぎりしめる。


「おい、話がおかしいぞ! オレの願いは!」


「そんな秒で叶うわけ無いじゃん。1日くらい作業時間をくれよ、そんじゃあ」


 男は手を振り払うと、ノンビリと立ち去っていった。その場に残された晴仁は、しばらく河川敷をウロついた後、繁華街に消えた。


 やって来たのは別のネットカフェで、オープン席だ。リクライニング席で一晩泊まるだけの金はない。


(頼むぞマジで。オレの大事な大事なお金なんだぞ……)


 机に突っ伏して眠る。立て続けに飲んだ甘ったるいジュースのせいか、睡魔が強烈だ。あまりの気怠さに、サイトチェックをする気も起きない。そもそも見た所で、より深い絶望を味わうだけだろう。


 焦る気持ちを押し殺して、浅く眠る。怪しげなアフロ男との約束を信じて――。


 翌日。支払いを終えて、晴れて無一文と化した晴仁は、昨日の河川敷へと向かった。


 すると河原では、みすぼらしい男たちがより集まり、火を起こしていた。香ばしい肉の匂いがよだれを誘う。晴仁はここ何日も、甘味以外を口にしていなかった。


 その集団の中にアフロ頭を見つけて、土手を駆け下りていった。


「おい、アンタ! 昨日の!」呼びかけるとアフロ男が振り返った。星型のサングラスを見て、少しだけ安堵する。


「やぁやぁ昨日のボウヤ。早かったね」


「ノンキだなオイ。それよりどうなんだよ、願い事は!」


「あぁうん。だいたい上手くいったよ、ホラ」


「ホラって、何……?」


 見るからにホームレスの面々は、妙に機嫌が良い。缶ビールを片手に、紙皿にも焼いた肉が盛り付けられている。


 眺めるうち、晴仁の顔が青ざめていった。


「昨日はありがとね、ボウヤ。お陰でこうして豪華なメシが食えてるよ」


 その言葉を耳にするなり、晴仁は膝から崩れ落ちた。そして寝転がって天を仰ぐ。「やっぱり騙されたんだ……」


 もはや立ち上がる気力などない。どこまでも透き通る空を、這いつくばりながら見上げていた。


〜中編に続く〜

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