20、新生レジスタリア王
レジスタリアの街は、想定以上に混乱していた。何軒かの焼かれた家から黒煙が立ち昇り、その付近で、武器を握りしめた住民たちが真っ向から激突していた。彼らが持つのはモップに草刈り鎌といった殺傷能力の乏しいものだが、本気だった。振り下ろす力には殺意が込められている。
「あぁ、こんな事になってたのかよ。クライスが焦る理由もわかる気がする」
城壁から見下ろすアルフレッドが呟くと、隣のリタが答えた。
「式典は口実よね。アルフをレジスタリアに呼び込むための。そして争いを止めようって魂胆」
「あの甘党野郎。首をへし折ってやろうか」
「それで、どうするの? このまま帰る?」
「いや……」アルフレッドは、自分の腰にしがみついて震える愛娘の頭を優しく撫でてやった。「止めよう」と続けた。
「シルヴィ。おとさんはこれから、ケンカを止めてくるから。ここで大人しくしてるんだよ?」
「うん、きおつけてね?」
シルヴィアの頭をわしゃわしゃ撫でてやると、ミレイアに娘を預けた。
「よし、行くか。アシュリーだけ付いてこい」
「えぇ〜〜? なんでアタシが?」
「怪我人を治してやれ。こんなつまらない争いで死なせるのも哀れだろ」
「あぁもう、クソ面倒ですねぇ……」
城壁から魔王が跳躍して、その横で白い翼が大きく羽ばたく。
アルフレッドが着地したのは噴水広場で、そこは激戦区のひとつだ。皮肉にも式典の仮設舞台が設置されており、そこで2派に分かれた住民が激突していた。
彼らは武器を片手に叫ぶ。「魔王様をお迎えするんだ!」対面の集団が怒鳴り返す。「人外のバケモノになんか従えるか!」と。
大通りの石畳は、あちこちが鮮血で染まっていた。倒れ伏す住民の中には、瀕死の重症者も少なからずあった。
「はぁ〜〜めんど。ほらほら人カスさん。目覚めなさいな〜〜」
アシュリーが怪我人に何かをふりかけた。金色に輝く粉で、肌に触れるとすうっと溶けていく。
すると次の瞬間には、傷口が塞がり、昏睡していた男たちが立ち上がった。
「おぉ、すごい! 綺麗さっぱり治って……いてて!」
「おやぁ、どうしました人カスさん? もしかして足を捻挫してますか? 薬の量がちょいと足りなかったみたいですねぇ」
「あの、お姉さん。足もついでに治してくれると助かるんだけど……」
「あっ、ごめんなさぁい。追加の治療は銀貨3枚でどうです? 薬にも限りがあるんで、好き放題には使えないんですよねぇ」
アシュリーがあこぎな商売を始める最中、アルフレッドは紛争の仲裁に乗り出した。
「やめないか、お前ら!」
激突する両軍の間に割って入る。ただならぬ気配を察知した住民たちは、思わず静まり返ってしまった。
「今すぐ武器を捨てろ。死にたくなかったらな」
息を飲んで息を潜める住民たち、そこが割れた。現れたのは筋骨隆々の大男で、瞳に不敵な光が宿っている。
「何だテメェ? 偉そうにぬかしやがって!」
王国派の群衆から抜け出るなり、アルフレッドに絡んだ。そして大きな斧を肩に担いでは、見下ろしてきた。
「テメェが噂の魔王か? 随分とチンケだな。テメェが魔王ならオレは神様くらいじゃねぇのか?」
「何言ってんだお前。神を自称するとか、頭大丈夫か?」アルフレッドの物言いに、男は気色ばんだ。
「揶揄に決まってんだろこの野郎!」
ためらいなく振り下ろされた斧を、アルフレッドは素手で受け止めた。その手のひらは青白い光を帯びており、それが刃が食い込むのを阻んでいた。
「お前みたいな馬鹿は百万人と見てきたから、もう諦めてる。説教くれてやるのも面倒だ」
斧の刃を掴んで引き寄せる。男がたたらを踏んで前のめった。そして、男のボサボサ頭を鷲掴みにした。
「1つだけ覚えておけ。長生きしたけりゃオレに逆らうな!」
叫ぶとともに放り投げた。男は錐揉み回転しながら空を舞い、城外の大木に激突しては、盛大にへし折った。
それまで固唾を飲んで見守っていた住民たちは、一気に血の気が引いた。アルフレッドが「武器を捨てろ!」と怒鳴ると、全員がその場で手の内のものを足元に落とした。
するとそこへ、クライスが拍手するとともに顔を出した。式典の舞台の裏からひょっこりと。
「いやはや、さすがは魔王様。鮮やかなお手なみで」
「クライスてめぇ。のんびりと眺めてやがったのか」
「荒事は苦手です。代わりに自警団の面々が、怪我人の搬送などして頑張っていますし」
「相変わらず口の減らねぇやつ」
「ではちょうどご足労いただいた事ですし、式典を始めましょうか」
「この空気でやらせんのか!?」
「むしろ今のほうが、イザコザが少ないと思われますので」
こうしてクライスの指揮のもとで、式典は開かれた。旗があがる。真っ赤な下地に白い三本爪。愛らしいワンちゃんとおぞましき臓物の走り書きは、再加工で消されていた。
舞台に登るアルフレッドと、魔王の一家。観衆はどよめいた。リタの狐耳を目にしては「獣人だ」と口々に囁きあう。辺りは困惑と反感の気配で満ちていく。
(やっぱりな。南部人なら、こういうリアクションだよな)
魔王は冷めた視線を観衆に向けた。スピーチは白紙のまま、いまだに何も考えていない――が、そこで閃く。
(よし、これでいこう。反応が悪けりゃレジスタリアは見捨てる。それで良いや)
アルフレッドは壇上を歩み、1人で観衆の向き合った。そして開口一番、こう言い放った。
「お前ら、神を信じるか?」
唐突な言葉に、観衆は口をつぐんだ。魔王は続けた。
「神を信じないとしたら、何にすがる? 強大な王国の権威や軍事力か?」
「魔王様に他なりません。血と肉を捧げるべきです」ミレイアが背後から口を挟んだ。
「オレのような、人外の『バケモノ』にすがって生きようというのか?」
「魔王様に忠誠を誓うのです。証としてレジスタリアの民は、右手の小指を納めなさい。大人も子供も分け隔てなく、例外などありませんので」と、またミレイア。
魔王は堪えきれなくなり、ミレイアに歩み寄った。
――いやマジで、邪魔しないでくれる? そもそも指なんて要らないし。いやいや、脾臓とかもっと要らない求めてないって。ちょっと黙ってて頼むから。
アルフレッドは群衆に向き直ると、長めの咳払いをした。
「ええと、お前らは神か王家か魔王か、何かにすがって生きようとしている。だがオレに言わせれば、全てがつまらんものだ。まやかしと言っても良い」
この言葉に観衆は再びざわついた。魔王本人が「自分もまやかしである」と断言したのだ。思わず耳を疑ってしまう。
アルフレッドはさらに続けた。
「武力なんてのは、本当の力じゃない。この世でもっとも尊く、そして信じるべきものとは――」
シルヴィアを抱き上げた。クリーム色の犬耳が、緊張したように震えた。
「信じるべきは子供の純真さ、清らかさ、眩い笑顔だ。そこから見いだせる明るい未来だ。この世で最も尊く、そして守り抜くべきものでもある」
観衆たちは無言のままで眼を見開いた。
「オレに忠義を誓えとは言わん。別に望んでもいない。だが娘シルヴィアの愛くるしさに心酔しろ、崇め奉れ!」
ざわめきが波をうつように広がっていく。最初こそは反感を示した住民も、シルヴィアの顔を眺めては様子が変わる。
――なんかカワイイ、ありだな……。
――綺麗なお目々。まるで宝石みたい。
辺りの空気が和らいでいく。その変化を、アルフレッドよりも先にシルヴィアが察知した。
シルヴィアは父の胸から飛び降りると、前に進み出ては飛び跳ねた。そして最高の愛嬌によって、南部人と向き合った。
「みんなで、いっしょにアソボ!」
小躍りしつつ歌うシルヴィア。「あ〜〜り〜〜さん」と、手遊び歌を披露した。観衆たちも戸惑いを見せながらも、手拍子を鳴らし、あるいは振り付けを真似るなどした。
その様子をアルフレッドは後ろから眺めていた。
(まぁ及第点かな。概ねは受け入れられたと)
そして小さくため息をつく。レジスタリアも魔王の領土に加える事に決めた瞬間だった。忙しくなりそうで、それが酷く憂鬱だ。
それでも、大勢の前で楽しげに踊る愛娘を、優しい眼差しで見守り続けた。