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3、最期の約束

 近々懐かしい知り合いが尋ねに来るよ、準備をしないとね――。とある昼下がりに、義父が突然言い出した。


「あら珍しい。どなたです?」


 そう聞き返すも、私に心当たりはない。義父は人付き合いが苦手な方で、家を尋ねる人など限られている。コウイチ、カズオ、ケンザブロウ――浮かぶ名前はどれも故人だった。


「名前はね、よう知らんよ。なんて言ったかなぁ?」


「はぁ……」あんまりな返答に、思わず間抜けな声が漏れてしまった。


「ともかく準備だよ。片付けないと、ね。恥はかきたくないから」


 テーブルの端を掴みながらヨロヨロと立ち上がった義父は「とにかく部屋を片付けんとねぇ」と言った。そして廊下半ばのでドアを開いては叫ぶ。「妙子さん! ワシの部屋が狭くなっとるぞ! どうなっとるんだ!?」


 私は怒鳴り返した。「そこはお手洗いでしょ!」


 この日を境に、ただでさえ老人の世話で面倒な日々に『片付け』というタスクが上乗せされた。正直なところ、気が休まる暇がなかった。


 トイレが自室じゃないことを繰り返し説明して、やっと納得した義父が2階にあがったときのこと。私は洗い物を進めようとしたのだが、けたたましい物音で中断させられた。2階の床が抜けたかと思うほどの衝撃だった。


「お義父さん、何してるんです?」


 大怪我したかもしれないと、階段を慌てて駆け上がる。それは骨折り損になったのだと、無事な義父を見て思う。彼は何を目論んだのか、荷物で満載の段ボール箱を畳に落としていた。


「やめてください! 床が抜けるでしょう!?」


 義父はきょとんとしていた。


「いや、片付けねぇと。友達が来るからさ」


「まさか2階にあげるつもり? 応接室で良いでしょうに。仮に部屋に入れたとしても、押し入れの中まで覗き見るような相手なんですか?」


 程々にしてくださいと釘を刺して、台所へ戻った。


「はぁ、いっそ怪我でもしてくれたら大人しくなるのに。あぁ、寝たきりになったほうが、水だの便所だのうるさくなるかしら」


 実子である夫は転勤族で、もう何年も帰宅していないし、一人娘も大学で下宿中の身だ。つまり戸籍上の父親と二人暮らし。まっとうな相手ならまだマシだが、痴呆に片足を突っ込んでる今、私の負担は増すばかりだ。特別老人ホームにでも押し込んでしまいたい――という意見は、まだ通っていない。


「ようやく静かになったか。はぁ、しんどい……」


 家事が一段落して、リビングで横になる。テレビを興味薄に眺めつつ時間が過ぎていく。


 私は何のためにここに居るのか。さらに言えば、何がよくて生きているのか――わからなくなる。夫や娘の世話をしているうちは気にしなかった事が、今は毎日のように考えてしまう。


「たまには思いっきり外に出たい。年寄りの世話なんて考えずに……」


 いつの間にかウトウトして、昼寝をしてしまった。目覚めると、窓がかすかに赤い。時計を見れば16時を過ぎており、そろそろ夕食の準備を始めなくてはならない。


 時間の無駄遣いをしたもんだとガッカリする。自由時間を寝て過ごすだなんてと、悔やんでも後の祭りだった。


「お義父さん。晩御飯はなににします?」


 階段のそばで問いかける。かすかな物音は聞こえるが、返事は一向に返ってこない。面倒だが階段を登っては、ふすまを叩いた。


「お義父さん、起きてますよね? 入りますよ」


 開けてみると、失望と怒りで絶句した。義父の部屋6畳間には、これでもかとガラクタが転がっており、足の踏み場もなかった。


 奇声とともになじってしまいたい――という衝動には辛うじて堪えた。


「お義父さん、これは何事?」自分の頬がひきつるのが分かる。義父はやはりきょとん顔で、それが一層に腹立たしい。


「だから、片付けをしていてな。物が多くて困ってるんだ」


「押し入れに突っ込んでおけば良いでしょう! それよりどうするんですか、こんなんじゃ寝られないでしょう!?」


「いいんだ。捨ててくれ」


「は?」今度は私がきょとん顔になってしまう。「捨てろって、ここの全部? 趣味の釣り竿とか、小説とか服とか色々ありますけど」


「あぁそうだよ。捨てちまってくれ」


 義父は吐き捨ては階段を降りていった。そして大きなボリュームで時代劇を見始めた。


「捨てろとかいうけど、信用できないっての」


 これまでに義父は物を失くしては「盗んだな!」とたびたび問い詰めてきた。何のことはない、トイレに置き忘れたとか、他愛もない原因だった。本の一冊でその騒ぎだ。愛用品を粗方捨てたとしたら、どんな目にあうか――逆上されることは簡単に想像できた。


「まったく、仕事を増やされて。たまったもんじゃないよ……!」


 散らかし放題の私物を、可燃と不燃だけにわけて、ゴミ袋につっこんだ。いつでも捨てられるように、それでいて保管も容易であるように。


 衣服にアルバム、細かな釣具、手紙。その数は膨大で、1人分の人生といっても差し支えない。その『人生』がゴミ袋4つに収まった。そして押し入れを開けて、思わず息を飲んだ。空っぽだ。ホコリが隅に落ちているくらいで、小物1つ置いてはいなかった。


 見ていると何故か怖くなり、ゴミ袋をつっこんだ。少し無茶な詰め方だったが、一応はふすまを閉じる事ができた。


「何なのよもう……気味が悪い」


 その日の夜中、私は夫に電話をかけた。


「そろそろヤバいって、何が?」


 電話越しの声は、どこかウンザリしているようだった。他人事か、アンタの父親だろう――と言いかけてはやめた。


「頃合いだと思うよ。自分の部屋が分からなくなったり、荷物の整理が出来なくなったり、ちょっと手に負えないよ」


「えぇ……じゃあ、頼むつもり?」


 老人ホームに相談することは、以前から話題になっていた。そのたびに夫が難色を示すので、話は一向に進んでいない。


「でもなぁ、親父が口癖のように言ってたんだ。死ぬ時は自宅で――って。その願いを叶えてやりたいよ、息子としてはさ」


「それは傍で世話してる人間のセリフでしょ! アンタに言う資格なんてない!」


「わ、わかったよ。そう怒るなって。月末には帰れると思うから、その時にゆっくり話しよう、な?」


「待てるわけないでしょ。明日、面談の予約取り付けるから。どんな結果になっても文句言わないでよね。わかった?」


「明日? 急だなぁ」


「アンタにとってはそうでしょうよ」


 夫は渋々了承した。翌朝、10時になるとともに各所へ電話をかけたが、なかなか担当者が捕まらなかった。それでも民生委員と連絡がついた。その日の午後に来てくれると言うので、ありがたく受けた。


「お義父さん、今日は大事な話がありますからね」


「あ、あぁ」


 妙にボンヤリしているが、好都合だと思った。下手に出歩いたり、シャッキリしているよりも、今の様子のほうがそれらしい。民生委員も納得してくれるだろう。


 午後が待ち遠しい。時計を見ればまだ11時前で、そろそろ昼の用意をしようかとも思う。


 すると義父が口を開いた。


「あぁ、来たねぇ。今玄関のところにいるよ」


「えっ、来たって誰が?」


「友達だよ。約束だったからね」


 なんて間の悪い事だ。今日は引き取ってもらおうと、玄関まで小走りになった。ドアの向こうから枯れ葉を踏みしめる音がする。本当に来客があった。


「あのすみませんが、今日は用事が――」


 ドアを開いては、呆気にとられてしまった。人の姿はどこにもない。確かに足音らしきものを聞いたのだが。


 そこで不意にぬるい風が頬を撫でた。風の音が、何か囁き声のように感じられて、とっさにドアを締めた。呼吸があらくなる。心臓もうるさいほど脈打っており、首筋まで熱くなった。


「なんなのよ、もう。イタズラとか……?」


 薄気味悪くなって台所に駆け込もうとして、違和感に視線が引き寄せられた。茶の間――古びたソファに座る義父が、手をダラリと下げていた。畳に転がる湯呑みが、残ったお茶で弧を描いた。


「お、お義父さん!?」


 駆け寄ると、しわだらけのまぶたが微かに開く。それが酷く遠いものに感じられ、胸に鋭い痛みを覚えた。


「来たよ、昔からの友達が」


「しっかりしてください! 誰も来ちゃいませんから!」


「聞いておくれ。オレたちは、オギャアと生まれた時から、みんな約束してるんだ。最期の日に会いましょうってな。そいつは絶対に破ることのでにない、大事な大事な約束なんだよ」


「い、いま救急車を呼びます!」


 スマホは台所だ。立ち上がろうとして、義父が私の腕を掴む。強い力だ。老人のそれとは思えない。


「長い事世話になったね。忘れんでくれよ。アンタにも友達は必ずやってくるから、それまで悔いのないようにな……」


 その言葉を最後に、義父は2度と目を開くことはなかった。駆けつけた救急隊員が近くの病院に運び込み、緊急治療が開始された。しかしその甲斐もなく、この世から旅立ってしまった。


 持病持ちだったとはいえ、義父に大病と言えるほどの患いはなかった。死因は――医師も首を傾げはしたが――心不全と決まり、診断書が書かれた。夫も娘も死に目には間に合わなかった。


 それからも慌ただしく日々は過ぎていった。葬儀、身辺整理、遺産の行方。夫に兄弟はなく、義母もすでに鬼籍だったために、相続でのトラブルとは無縁だった。


 そして一周忌が終わって。


「さてと、次は何を買おうかな」


 久しぶりのショッピングビル。フロアマップを眺めていると、大荷物を抱えた夫がようやく追いついた。


「なぁ、もう買うのは良いんじゃないか? とんでもない量だぞ」


「そんなことないでしょ。何年家に引きこもってたと思ってんの。それに遺産もたくさんあるわけだし、気前よく払ってほしいわね。お世話代として」


「お前の言い分も分かるけどさ……!」


「とにかく、しばらくは私の世話をしてもらから覚悟しててね。わかった?」


「あぁ、はい……」


 夫はげんなりした顔になりながらも、荷物持ちを請け負ってくれた。誰かの世話になるなんて、いつぶりだろう――と少し懐かしむ。


(アンタにも必ず友達はやってくるから)


 ふと、義父の言葉が脳裏をよぎった。あの時の『友達』とはなにか、考える事が増えた気がする。そのたびに不思議と身が引き締まる気にさせられた。


「ねぇあなた」足元をふらつかせる夫に聞いた。


「なんだよ、休憩か?」


「悔いのないようにしようね」


「いや、待て。世の中には節操って言葉もあってだな」


「そんな訳で次はどこへ行こうか。8階の貴金属エリアとかステキじゃない?」


「頼む! もう勘弁してくれ!」


 夫の悲痛な叫びがホールに響き渡った。その声なぜか面白く聞こえて、思わずお腹から笑い声をあげてしまった。


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