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7、聖杖使いの切実な葛藤

 地中奥深くの洞穴で今、まばゆい閃光が駆け抜けた。それが巨大な竜の肌を斬り裂いた。鋼鉄の鱗を弾き飛ばして、内なる皮膚に傷を刻む。しかし浅い。


 魔法で仕留め損なったことを、少年術士ホーリィは苛立った。


「クッ、外したか……。グレイドさん!」


 呼び声に応じて、1人の剣士が飛び出した。ヒグマのような頑強な体つきに、斬馬刀と同等の大剣を容易く扱う男――聖剣使いのグレイドだ。


「喰らえ、トカゲ野郎が!」


 対する竜は怒り心頭だ。前足を高らかに持ち上げては、グレイドを踏み潰そうとした。しかしその一瞬の隙にグレイドは低く潜り込み、巨大な腹めがけて聖剣を一閃。ちょうどホーリィが斬り裂いた箇所を狙ったのだ。


 致命の一撃だった。竜は緩やかに倒れ、同時に、地震のごとき揺れを辺りにもたらした。


「ふう、やっと倒したか。手間かけさせやがって……」


「助かりましたグレイドさん。頼りになります」ホーリィが礼を言うとともに頭を下げるのだが、グレイドのセリフが遮った。


「それよりホラ、ここのお宝はどうなんだ?」


「ええと、奥にありますね。開けてみましょう」


 倒れ伏した竜のちょうど真後ろに、古びた宝箱が置いてあった。罠はない。魔法の力を使い、慎重に開けてみると、その中には――。 


「グレイドさん、ありました。碑文に書かれていたとおり伝説のアイテムが!」


 ホーリィは思わず歓喜の声をあげた。箱の中には、シルクよりも滑らかな指ざわりの布が入っていた。


「これが、本当に『隠者のはごろも』なのか?」グレイドは半信半疑だ。しかしホーリィは、自分の指先に布を当てながら言った。


「見てください。この通りです、透明になりましたよ」


 続けてホーリィは頭からかぶってみせた。短い金髪や知性あふれる顔だちが、そして法衣や聖杖などすべてが、はごろもによって消えてしまう。唯一足元だけが取り残されており、その場で軽快なステップを踏んだ。


 グレイドも布を受け取り、同じようにかぶる。鍛え抜かれた大柄な体は透明化した。鋼鉄鎧も聖剣も透けてしまい、向こう側の壁が見えた。それでも信じきれないグレイドは、手鏡を受け取って自身を写そうとする。そこでも何も見えないと知り、低く唸った。


「完璧に隠れてるな。これなら誰にも見られずに済むだろう」


「やりましたね、グレイドさん!」


 はごろもは2枚あるので、2人同時に透明化する事が可能だ。そこでお互いが口を開いた。


「早く邪神の塔を攻略して、石化視の怪物ゴルゴンを討伐しましょう――」


「王都に戻って女風呂を覗きに行こう」


 全く別の目的を口走ったことで、グレイドは気まずそうに横を向いた。両目を見開いたホーリィはすかさず詰め寄る。


「えっ、今、何て言いました? のぞき?」


「あ、いや。それはだな……」


「グレイドさん! 状況を理解してるんですか!? 今や王国は崩壊寸前で魔王軍の侵攻は激しさを増すばかり! 平和をもたらすには、1日も早く魔王を討伐する必要があり、そのために四天王の1人ゴルゴンを――」


「うるせぇ! そんな事わかりきってんだよ、ひねりつぶすぞクソガキ!」


 逆上したグレイドが、大きな手でホーリィの頭を鷲掴みにした。ぎりぎりと骨が軋む。憎悪に満ち溢れた視線にさらされたホーリィは「すみません」と涙目で謝ることで、どうにか解放された。


 だがグレイドの不満は収まらない。


「お前はいいよな! 街の美人から『かわいいボウヤ』とか言われてモッテモテでよ!」


 実際、ホーリィは街の女たちから大人気だ。端正な顔立ちもそうだが、まだ12歳という幼さに不釣り合いな知性。それに華奢な体つきでも危険を厭わない強さが、女心を強くくすぐるようである。


「僕は別に、好き好んでそうなってる訳じゃ……」


「それに引きかえオレはもう――みんな怖がるし。ヒグマだとかオーガだとか、散々な言われようで、全然モテやしない……」


 身の丈2メートルを超えるグレイドは、確かに街の人々から恐れられていた。小柄な女が向き合う時は、山を見上げるようにしたものだ。その顔には大抵、恐怖が入り混じっている。


「そんなことを気にしてたんですか。大丈夫ですよ。晴れて魔王を倒せば英雄ですから。人気もうなぎ登りで、女の人も集まりますって」


「それは成功したら――の話だろ。魔王を倒す前に死んだらどうすんだ。何にもならねぇだろ、がんばった分だけ損じゃねぇかよ」


「いや、でも、僕たち『精霊神の使徒』はそういう使命ですし」


「オレは皆のために命を張ってんだぞ。そのオレが死地に出向くのに、何の労いも約得もないってのか? そんなフザけた話があって良いのか!?」


 グレイドが憤るままに壁を殴った。すると洞窟全体が激しく揺さぶられた。竜が倒れた時より揺れたかも――とホーリィは驚く。


「ええと、つまりはですよ、グレイドさん……これから頑張るためにも、風呂のぞきがしたい。という事?」


 グレイドは神妙にうなずく。


「夜のお店に、そんなサービスがあるらしいですが、それじゃあダメなんですか?」


「いやだ。素人がいい」グレイドはさらに続けた。「のぞきがダメってんなら、オレもう戦わねぇから。世界なんて滅びちまえ」


 最悪だ、最低の男だ――。ホーリィは肝が凍りついた気分にさせられた。よりにもよって、世界を盾に脅迫するだなんて、ある意味では魔王より邪悪な男だと絶望する。


(グレイドさんが聖剣使いじゃなきゃ考えるまでもない、即却下だよ。でも聖剣じゃないと魔王を倒せないし、どうしたらいいんだ……!?)


 思い悩み、悶絶するホーリィ。しかしグレイドは頑なで、冗談で済ませるつもりはないらしい。『世界平和』と『卑劣な犯罪行為』を天秤にかけた結果、ホーリィもようやく腹をくくった。そして暗い面持ちで脱出魔法を唱えて、地上にワープした。


 王都バルデラント――。地上に残された最後の王国であり、グレイドたちを支援する王家の住まう都だ。そこに『隠者のはごろも』を携えた2つの陰が、闇夜を駆け抜けた。


「やっぱり覗くなら貴人じゃないと。それも姫様ってのが最高だ!」


「グレイドさん、どうして僕まで同席させられるんですか?」


「そりゃ、万が一ばれた時にさ、2人居たほうが分散するし。オレひとりヘンタイ扱いされたくねぇし」


 最低だよアンタ――。ホーリィは罵倒の言葉を辛うじて飲み込んだ。彼はグレイドに首根っこを掴まれたままで、王宮へと連れ去られた。


 布を羽織り、宮廷内に侵入する。道はある程度把握しており、聞き耳を立てれば、皆の動きが分かる。


『姫様が湯浴みをしたいそうです』『おや、ずいぶんとお早いですね』『気分が優れないとかで。食事も不要とのことです。代わりに赤ワインを少々ご所望でした』『では諸々を整えましょうか』


 会話を盗み聞いたホーリィは首を傾げた。ここの姫君は下戸で、社交場でもブドウジュースしか飲もうとしない。それが胸の奥で引っかかってしまう。


「グレイドさん。何か様子がおかしいですね。あの姫様がワインを飲むだなんて。しかも体調不良なのに」


「いいタイミングだぜ。もうすぐ風呂だってよ」

 

 グレイドは鼻息を荒くするだけだった。ホーリィは大きくため息を吐いた。こんな頭ピンクゴリラと同じ聖神器使いだと思うと、運命を呪いたくなった。


 それから2人はやって来た――姫の湯殿。男子禁制の魅惑の世界だ。石タイルを踏むだけでも、グレイドは煩悩を無限に膨らませては恍惚としてしまう。


 後ろに続くホーリィも、内装の美しさには感心させられた。純白の石壁にレンガ壁、それと大理石の湯船からは温かな湯気が立ち上る。室内はキンモクセイの魔造花で彩られており、甘い香りが鼻腔を喜ばせてくれた。


「世界で一番高貴な女の裸が見れるなんて……最高だぜ」


「あぁ、なぜ精霊神様は、グレイドさんを選んだんだろ……ミスチョイスじゃないか」


「うるせぇな。ガキには分かんねぇだろうよ」


 分かりたくもないよ――ホーリィは風呂場の片隅で顔を伏せつつ、心のなかで叫んだ。隣に潜むグレイドは、今か今かと鼻息を荒くして待つ。


 やがてメイドの1人が着衣したままで、中に入った。ひとしきり様子を確かめた後に「ようございます」と静かに告げた。


 すると現れた。一糸纏わぬ美女が、艷やかな肌をあらわにしながら、風呂場へと足を踏み入れたのだ。彼女は1人きりだと確信している――身体を隠したりはしない。


「あとは私1人で構いません。あなたたちは下がりなさい」


 姫はたおやかに告げると、湯船の脇で膝をつき、手桶ですくった湯を浴びた。白い艷やかな肌が濡れて、宝石のように輝いた。


 それらの全てをグレイドは見逃さない。充血した目を皿のように見開いて、鼻息でキンモクセイの花びらを揺らし、下卑た笑い声を漏らした。


 ホーリィは心のなかで謝罪を何度も何度も繰り返した。それが何の慰めにもならないことは、聡い彼は理解している。だからせめて自分だけでも見ないように――両目を鉄のカーテンで覆うつもりで、固く閉ざした。


 だがその時だ、辺りに異質な気配がフッと現れた。ホーリィの背筋に鋭い寒気が走り、間もなく強烈な圧迫感を肌で感じ取った。


「グレイドさん、これは……」


 ホーリィが呼びかけるも、グレイドは鼻息を荒くした。


「へっ、へへっ。いい色してんなぁ、桃白色っていうのかな。頼み込めば吸わせてくれたりしねぇかな」


「あぁ、本格的にダメだこいつ……」


 ホーリィは変わらず圧迫感に堪えた。喉は渇きを覚え、耳鳴りも激しくなり、何者かの気配がさらに濃くなった。


 それが臨界点を迎えた時――風呂場の宙に赤黒い光が輝いた。同時に姫君は立ち上がり、裸のままで光にひざまずいた。


 光が低い声でうなった。


「石化視のゴルゴンよ。首尾はどうだ?」


 姫は頭をさげたままで答えた。


「はい魔王様。人間どもを欺くことに成功しました。国王から召使いにいたるまで、誰一人として疑ってはおりません」


「姫の身柄は?」


「ひとまずは地下室に閉じこめました。あとでゆっくり始末をつけようかと」


「そうか。グレイドどもが『隠者のはころも』を手にしたと報告が入った。おそらくは邪神の塔に直行することだろう。それが罠だと知らずに」


「はい、さすがは魔王様の深謀遠慮、感服仕ります。私の影武者に塔を守らせた上で、その本体が人間の本拠地を叩く。まさに天才的な策略にございます――」


「クックック。これで人間どもの抵抗もおしまいよ。いかにグレイドがバケモノじみて強かろうが、拠点を失えば弱っていくだろう。そこを叩くのだ」


 そこまで聞いたホーリィは、その場でたちあがった。「やはりそういうことか魔王どもめ!」声は妙にひっくり返っていた。


 姫になりすましたゴルゴンと、魔王の光は揃って慌てふためいた。


「なっ、貴様は聖杖の小僧! なぜこんなところに!」


「僕だけじゃないぞ、ほら!」


 ホーリィはグレイドの布もひったくると、筋肉でふくらんだ男がその場に姿を現した。


「げぇ! グレイド!?」ゴルゴンが顔をひきつらせながら叫ぶ、しかしすぐに訝しがる。


「待て、なぜお前らは風呂に潜んでいた? まさか風呂のぞきを――」


「僕達がそんなことをする訳がない! これは精霊の導きによるもので、ここなら正体を明かすと教えてくれたんだ!」


「ちっ、小賢しい……。精霊の小虫どもめが……!」


 姫の身体は蠢きながら変わっていった。皮膚は樹木のように緑色に、そして艷やかな髪は全てが、おぞましきヘビに変貌したのだ。


「くたばれ! 2人揃って石像にしてくれるわ!」


 ゴルゴンが瞳を怪しく光らせた。とっさに目を伏せたホーリィたちは、隠者の布をかぶった。すると彼らの姿は消え去り、ゴルゴンも相手の位置がわからなくなる。


「お、おのれ! どこにいった!?」


「ここだよ、間抜けな魔物め!」


 ゴルゴンの背後に回ったホーリィは、聖杖を差し向けていた。そして魔力を杖の先に充填させ、必殺魔法を放つ――スターライトクルセイド!


 真白の光線がゴルゴンの胸を貫き、チリとなって霧散した。そして代わりのように、宙空に赤黒い結晶体が現れた。四天王の魔力核――魔王城の扉を解錠するのに必要はアイテムだった。


「これで3つ目、あと1つ……!」


 ゴルゴンの魔力核を握りしめるホーリィに、魔王の光は嘲笑った。


「なかなかやるな、人間の分際で。だがその快進撃がいつまで続くかな」


「どういう事だ?」ホーリィが光を睨む。


「貴様ら人間世界では、風呂のぞきは罪になるらしい。この窮地をどう逃れるのか――見ものだな」 


 光は嘲笑とともに消えた。


 するとそこへ、メイドがやって来た。「姫様、なにか騒がしいようですが――ッ!?」ホーリィと目が合う。メイドの顔は恐怖で歪んだ。


「あなたは……どうしてこのような場所に!?」


 間もなく騒ぎを聞きつけて、衛兵に騎士団長、果ては国王まで押し寄せてきた。


「グレイド殿、ホーリィ殿、これはとういう事か説明してもらおうか!」


 疑いの眼差しは強烈で、騎士団長などは今にも抜剣しそうなほどだ。


 ホーリィは背中に冷たいものが走るのを感じた。しかし彼の明晰な頭脳は、この程度では揺らぎもしなかった。


「ご説明しましょう。私やグレイドさんは下賤にも覗き行為を働いた訳ではありません。魔王の策謀を防ぐためでした。姫が四天王の1人ゴルゴンに化けており、撃滅することに成功しました。これが証拠の魔力核です」


 差し出した結晶体が美しくきらめく。それを国王たちは『おぉ』と声をあげた。


「ふむ、なるほど。しかしだなホーリィ殿。せめて我らに話を通して欲しかったところだ」


「拙速だった事は謝ります。ですが一刻を争う事態でした」


 ホーリィは手の内の聖杖を掲げてみせた。「御覧なさい。私の心に一点のくもりも無いことは、この杖が証明してくれます。今も変わらず、精霊神様は私を所有者と認めてくださってます」


 それが何よりの証だった。押しかけた人々は深く頭を下げて、詰問したことを詫びた。その姿を眺めたホーリィは、内心で安堵の息を漏らした。


(助かったぁ……。色々な思惑が重なったけど、どうにか上手くまとまってくれたな)


 そこでふとグレイドに目を向けた。すると、彼も聖剣を手にしようとしていたが、抜けない。何か強烈な力に阻まれているようだった。


 力付くで剣の柄を握りしめる。が、反発する力も何倍にも増大し、ついには持ち主の手から逃れた。


 石タイルに聖剣が深々と突き刺さってしまった。


「ええと、これは、つまり?」


 グレイドは、精霊神から所有権を剥奪された――それを如実にあらわにした瞬間だった。資格を失うほど心が汚れている事の証明だった。


「うむ。グレイド殿には、少々話を聞かせてもらおうかな」

 

 衛兵が陣形を組んではグレイドを取り囲む。その時グレイドは大きな顔で、ふと、小さく笑った。


 それから迎えた翌日。囚われの姫君は速やかに救出され、ホーリィは感謝された。その気持ちは熱烈なハグとキスとして現れ、彼は小さな体で受け止める事になった。


 そんな歓迎ムードには手早く別れを告げて、王都の郊外へやって来た。


「さてと、魔王の討伐を急がないとね」


 ホーリィの手には聖杖、そして背中には聖剣があった。


 聖剣の所有権を奪われたグレイドは、性犯罪者として投獄された。特に狙いが姫君であったことが国王の逆鱗に触れてしまい、いつ出獄できるかはわからない。年単位の反省が求められる事は確実だった。


 背中の聖剣が重たい。物理的にも、責任という意味でも。しかしグレイドのお守りに比べたら、何てことはなかった。


「さぁて、次の聖剣使いを探しに行きますか!」


 ホーリィは大きく伸びをしてから、原野を歩き出した。青く透き通る空がどこまでも、どこまでも続いているように見えた。


〜完〜

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