超事象魔法ヴァンダライズ
「俺の職位は【高等遊民】。その前は【放浪者】だった」
カルマは焚き火の揺らめきの中で、淡々と語り始めた。
「演奏や歌で周囲に魔法的な恩恵を与える、いわゆる支援系の職だ。だが――俺には致命的な欠陥があった。そういう才能が、壊滅的にない」
リクが目を瞬かせる。
「音痴で不器用。努力も続かない。ギター、ピアノ、バイオリン、フルート、ハーモニカ……ありとあらゆる楽器に手を出しては、どれも中途半端に投げ出してきた」
言葉には自嘲が滲んでいたが、その眼差しは遠く過去を見つめていた。
「そんな半端者の俺を、何の見返りもなく仲間に引き入れてくれたのがノアリスだった」
その名に、一同の空気が少しだけ引き締まる。
「彼はこう言った。“上位職になれ”。理由は単純だった。上位職になると、取得経験値――つまり魔力の成長効率が3倍になる」
「さ、3倍……!?」
リクが食べかけのスプーンを止めた。
「ああ。それだけじゃない。俺たちは《取得経験値+100%》のアクセサリーを二つずつ装備していた。加算されて、合計で5倍。信じられないような成長速度だった」
「すっげーのだ……!」
トゥアの声が、子供のように弾んだ。
「だが、ノアリスが俺を仲間にした本当の目的は別にあった。伝説のワンダラー・ブルーグラスボーイが発見したとある専用スキル――」
カルマは、焚き火の奥に視線を落とすようにして言った。
「《フォギー・マウンテン・ブレイクダウン》。演奏系スキルの中でも、最高の“ぶっ壊れ”だ」
「なんか……名前からしてすでに強そうですね」
リクの声には、半ば呆れのような感嘆が混じっていた。
「効果の説明には少し順を追う必要がある。それまで三日坊主だった俺が、本気で取り組んだ。ノアリスに高価なバンジョーを手渡されてな。上達するたびに自分が“役に立てる気がした”んだ。毎日、決まった時間に弦を弾くことが習慣になった。だが――その裏で、ファースとフィリップが密かに“あるもの”を創っていた」
「あるもの……?」
リクの声に警戒の色が混じる。
カルマは言葉を区切り、静かに結論を落とした。
「“人工モンスター”だ」
「じ、人工……モンスター!?」
「えええっ……!? クリエイターって、そんなことまでできちゃうんですね……」
ミレイナの声がひっくり返った。
「ああ、正真正銘の外道行為だった」
カルマは、炎の奥に視線を投げながら淡々と語り出した。
「俺たちは、莫大な魔力が湧き出す無人島を見つけた。そして、そこに“魔力をモンスターへと変換する装置”を設置した。……原理は、正直俺にも分からない。だが確かに、あれは機能した」
焚き火がパチリと爆ぜる。
「その装置が生み出したのは、攻撃もせず、ただ蠢くだけの有機体だった。戦闘能力は皆無。ただ、倒すだけで経験値が――二十五万。名は《スケゴルト》」
「……すごすぎて、何がどうすごいのかも分からない……」
リクが呆然と呟く。
「なんだろう……なんだか、やっちゃいけないことのような気が…」
ミレイナが声を潜める。
カルマは小さく笑って頷いた。
「実際、倫理的には限りなく黒に近いグレーだったと思う。こんな仕組みを考え、実行した奴らは、俺たちぐらいだろうな。そして――俺はついに、完成させたんだ。《フォギー・マウンテン・ブレイクダウン》を」
「そのスキルって……どんな効果なんですか?」
リクの目が真剣になる。
「取得経験値の“最終値”を、二十倍にする」
「に、にじゅうばい!?」
カルマは指を折りながら説明する。
「さっき言った通り、上位職の3倍と、アクセサリー2つで加算2倍――合わせて5倍だ。そこにこのスキルの20倍を重ねると……5×20、つまり一撃で100倍の経験値が得られる」
「ひえええええ!? じゃあ、25万が――2500万になるってこと!?」
「ああ、その通りだ」
カルマの声音はあくまで平静だったが、その目には、かつての異常な興奮が宿っていた。
「初めて実戦でこのスキルを使った日……あの光景は今も忘れられない」
ファースが堪えきれずに吹き出し、フィリップが肩を震わせる。
「俺が演奏を始めると、仲間たちは島中のスケゴルトをかき集めてきた。百体ほど。それをひとつにまとめて――バレンタインが、一撃でまとめて粉砕した」
「そ、それで……!?」
リクの声が上ずる。
「その瞬間、俺たち全員のレベルが一気に5000上がった」
バレンタインが腹を抱えて笑い出し、フィリップとファースも堰を切ったように笑い転げる。
カルマも喉の奥で、くくくと笑いを漏らした。
一方、リクたちは――その異様すぎる話を前に、ただ呆然と固まるしかなかった。
――無理もなかった。
リクの現在のレベルは八十。レベル五千どころか、五百ですら伝説級とされるこの世界において、彼らの到達点はすでに「常識」という尺度をはるかに超えていた。
「……けど、話はここで終わらない」
カルマが淡々と続ける。
「魔力は絶え間なく湧き出し、スケゴルトも無限に湧いた。俺たちは飽きることなく狩り続け、夜には酒を酌み交わしては騒いだ。……あの時間が、人生で一番愉快だったよ」
「その……最終的には、どこまでレベルを上げたんですか?」
リクがおそるおそる尋ねる。
「そこで、俺たちはこの世界の“仕様”に気づいた。レベルには上限がある」
「上限……?」
ミレイナが小さく声を漏らす。
「リク、お前さっき《インスペリオ》で俺のステータスを覗いたよな。レベル、見えたか?」
「いえ……なんか、数字がバグってるみたいで、表示されませんでした」
「それはバグじゃない。セルの幅が足りてないだけだ。広げてみろ」
「……セルって広げられるんですか!? ……やってみます」
リクは再び《インスペリオ》を唱え、言われた通り表示領域を拡張してみる。
そんな機能があるとは知らなかった。
そして、画面いっぱいに広がった数値を目にした瞬間――言葉を失った。
「……あの、カルマさん……これ、正気の数値じゃありませんよ……?」
「いくつ……なんですの?」
ミレイナが震えるように尋ねる。
カルマは静かに告げた。
「五十六億七千万。それが、俺たちが到達したレベルだ」
時間が止まったかのような沈黙が落ちる。
目の前の“現実”が、ただの冗談のように思えた。
「想像の域を……完全に超えていて、頭が追いつきませんわ……」
ミレイナが呆然と呟く。
「安心して」
バレンタインが苦笑しながら口を挟んだ。
「こいつ、さっきのゴブリンにも負けるくらい弱いから」
「その通り。見かけ倒しの数字さ」
カルマはあっさりと頷いた。
「レベルには上限があり、ステータスにも“人間としての限界”がある。レベルだけ跳ね上がっても、身体や精神が追いつくわけじゃない。俺は、ただの張子の虎だ」
「……でも、ならどうして、そこまでレベル上げを?」
「単純に楽しかったんだ。宴を終わらせたくなかった。それだけさ」
ふっと目を細め、カルマは視線を落とす。
「ただな……もうひとつ、この世界の根幹に関わる秘密を知ってしまった。
――魔力にも、限界がある」
「魔力の……上限?」
「そう。俺たちはあの島でスケゴルトを狩り続け、絶え間なく魔力を吸収し続けた。
だが、ある時から異変が起きた。――世界そのものの魔力総量が、目に見えて減っていったんだ」
ミレイナの瞳が揺れる。
「だから……今の時代、魔力が希薄になってるのですね」
「そういうことだ。世界は“混沌”を脱し、ゆっくりと均衡へと向かい始めた。だがな――」
カルマは目を伏せ、声の調子を低く落とした。
「限界までレベルを上げ、すべてを手に入れたはずの俺たちは、その先で……ある噂を耳にした。【虚無のサーガラ】。世界の片隅で“終わり”が始まっていた」
言葉と同時に、空気が微かに震えた。
「俺たちはその噂を追い、やがて“彼女”に辿り着いた。姿は、ただの寡黙な少女だった。あまりに無垢で、あまりに静かで――それでも、俺たちは引き返さなかった。せめて、苦しませずに終わらせようと、全バフを纏ったバレンタインが【爆裂阿修羅覇王拳】を放った」
そこでカルマは一拍置き、ゆっくりと首を横に振る。
「だが――」
リクたちが固唾を呑んで見守る中、彼は静かに言った。
「彼女は、びくともしなかった」
リクの肩がわずかに揺れる。
「その瞬間、俺たちは悟った。俺たちが積み上げてきた“強さ”は、この存在には通用しない。根本的に次元が違うんだと」
フィリップが手元のスプーンを置き、口を開いた。
「それで僕が、《ヴェーダ空間》の知識を元に【超次元曼荼羅意図】の理論を組み立てたってわけさ」
バレンタインがため息混じりに肩をすくめる。
「いまだに、あれの仕組みはさっぱり理解できないけどね」
カルマも苦笑する。
「俺も同じだ。ファース、お前は分かるか?」
ファースは首を横に振った。
「無理無理。ウォルフガングの爺ちゃんも匙を投げてたし。ノアリスだけだよ、フィリップと真剣に話してたのは」
フィリップの声に、わずかな懐かしさが滲む。
「ノアリスは、僕とは違うタイプだった。“理屈を超えた智慧”で物事を理解しようとしてた。そして、彼は気づいたんだ。――【リ・クリエイション】が発動されると、その反作用として、世界を破壊する【“超”事象魔法】が同時発生することに」
ミレイナが眉をひそめる。
「“事象魔法”……? それは、どういう……」
フィリップが指先で円を描くように宙をなぞった。
「一般に、魔法は人間や魔族の手によって発動されるものと思われている。でも実際は、自然そのものが魔力を帯び、因果を引き金に“魔法”を発動することもある。たとえば、災厄の雷、瘴気の嵐、異常な豊穣。それらはすべて、“事象”による魔法なんだ」
ミレイナは静かに息をのむ。
「自然そのものが魔法を……。なんて壮大な話……」
フィリップは頷き、続けた。
「歴史上、最大級の事象魔法は――64万年前の【シヴ山の破局噴火】だ。あの山は、星の深層に眠る魔力を封じる“栓”の役割を果たしていた。けれど、ある時それが崩壊し、世界の構造ごと吹き飛ばすほどの魔力が噴出した。その影響で、当時存在していた生物の95%が絶滅したと言われている」
その凄惨な規模に圧倒され、トゥアが耳を塞ぐようにして叫ぶ。
「ひ、ひええええええっ! 聞いてるだけで怖いのら〜!」
フィリップは苦笑しながらも、穏やかな声で言葉を継いだ。
「でもね、破局の果てに世界は変わった。魔力が満ち、生物たちはそれを宿す存在へと進化したんだ。破滅が、新たな始まりを生んだんだよ」
ミレイナが小首をかしげ、ためらいがちに口を開いた。
「私は、魔力の起源は――世界を巡る伝説の龍が、尻尾から魔力を振りまいたのが始まりだと教わりましたわ」
フィリップが微笑を浮かべながら頷く。
「ルシアス王国に伝わる《光の龍の伝説》だね。それは“伝承”だよ。人々が希望を込めて語り継いできた美しい神話さ。けれど今、僕が語っているのは――“史実”だ」
そう前置くと、フィリップの声音が一段低くなった。
「ともかく、《シヴ山の破局噴火》をはるかに凌駕する規模だと推測されているのが、《超事象魔法》なんだ。そしてそれは、《超次元曼荼羅意図――リ・クリエイション》と対をなす、不可分の存在だ」
リクが拳を握り、顔を曇らせた。
「つまり……そんな危険な力を、俺たちは自分たちの“虚無”を消し去るために使おうとしてるってことなんですか……?」
静かな沈黙のあと、カルマが短く、しかし揺るぎなくうなずいた。
「ああ。この世界に巣食う“虚無”を払うために、俺たちはその代償を選んだ。だが、当然その選択には――異を唱える者たちもいる」
ファースは背もたれに体を預け、椅子をゆるやかに揺らしながら、頭上の木々の枝をぼんやり見つめながら語り出した。
「《セフィラ・イゼア教団》。この世界の裏側で、二千年以上も密かに権力を握り続けてきた老舗の宗教組織さ。政治も経済も、歴史さえも、水面下で動かしていたと言われてる」
ファースは椅子を揺らすのを止めた。
「その中枢にあるのが《サイレンス》っていう秘密結社。幹部には、僕たちと同等か、それ以上の“猛者”が揃ってる――な~んて、そんなわけないよね。伝承、伝承~♪」
そう言って、いたずらっぽく笑った。
カルマの視線が、遠い記憶の彼方へと沈んでいった。
「……ここから先は、“いなくなった仲間”の話になる」
静かな間が流れる。
その沈黙をそっと破ったのは、バレンタインの低い声だった。
「話しなよ」
命令でも、懇願でもない。ただ、心の扉に手をかける、穏やかな合図だった。
カルマはひとつ息を吐き、静かに語り始めた。
「俺たちは、《リ・クリエイション》の理論が完成するのを、フィリップとノアリスに託していた。だが――ある日、ノアリスが突然、姿を消した」
「え……?」
リクが小さく声を漏らす。
「最初は、いつもの気まぐれだと思った。一人で街に出たのだろう、明日には戻ってくるだろうと……だが、一日経ち、三日が過ぎ、一週間を過ぎても戻らなかった」
フィリップがうつむき、無言で頷く。
「俺は《バジュラ》を使い、彼の居場所を探ろうとした。けれど、バジュラは一切反応せず、まるで導く先が存在しないかのように地面へ落ちた……信じがたかった。あのノアリスが、何も言わずに姿を消すなんて」
その場に重苦しい沈黙が垂れこめる。
トゥアが不安げに口を開く。
「ノアリスさん……死んじゃったのら?」
「ちょ、ちょっとトゥアちゃん!」
ミレイナが慌ててたしなめるが、カルマはそれを制するように手を上げた。
「……いや。そう考えるのが、最も自然だった」
「す、すみません……こいつ、ほんと空気読めなくて……」
リクが頭を下げる。
「いいさ」
カルマは穏やかに目を閉じた。
「……俺たちは、それでも二百年、ノアリスを待ち続けた。だが、ある節目のように、ウォルフガングが静かにこう言った。“すまない、わしは疲れた”……そしてそのまま、静かに息を引き取った」
その言葉の重さが、火の消えかけた焚き火のように静かに胸を締めつける。
カルマは仲間たちに言い聞かせるように、ゆっくりと続けた。
「ノアリスは消える前、俺たちにこう言っていた。“何があっても、僕を信じてほしい”と」
フィリップが力なく笑みを浮かべた。
「僕たちは……今もノアリスを信じている。いや、信じるしか、できないんだ。けれど――千二百年という歳月は、あまりにも長すぎるよ」
カルマが静かに顔を上げ、前を見据えた。その瞳には、確かな決意が灯っていた。
「……だからこそ、もう一度を起こす。俺たち自身の物語に、終止符を打つために。そのためには、“アークビショップ”と“パラディン”の力が必要だ」
そう言って、カルマの視線がまっすぐリクへと向けられる。
「前にも言ったはずだ――アークビショップは、お前だ、リク。そして……パラディンは、アラン・ミクリだ」
その名が放たれた瞬間、リク、ミレイナ、トゥアが言葉を失い、時間が止まったような静寂が支配する。
リクが、かすれた声でつぶやいた。
「……アラン・ミクリ。それって……まさか……」
脳裏に浮かぶのは、かつて戦場で相まみえた、かつての英雄。裏切り者として魔王の側に立ち、そして、自分たちの手で倒したはずの人物――
カルマが重々しくうなずいた。
「ああ。お前たちが“敵”として討ったその者こそ――俺たち《六師外道》が探し求めている、最後の仲間。アラン・ミクリだ」