出会い
ファースたちはテントを設置した。
「どうも、ありがとうなのだ!」
小柄な獣人の少女・トゥアがぱっと顔を輝かせ、満面の笑みでファースにぺこりと頭を下げた。
「……よく笑えるな」
カルマが低く呟く。一瞬、自分が責められたのかとトゥアが肩を跳ねさせる。しかしカルマの視線は、真っ直ぐファースに向けられていた。
「ん? なに?」
ファースが首をかしげる。
「あのゴブリンが、どんな恐怖と痛みに襲われて死んだか。……想像してみろ」
「えー、怒ってる? でも、それに何の意味があるのさ」
「お前なら、もっと穏やかに終わらせることもできただろう」
「でもさ、そうする意味ってある?」
その無慈悲な返しに、カルマは短く息を吐いた。
「意味は、個人の内側にだけあるものじゃない。ノアリスも……同じことを言っていた」
その名が出た瞬間、ファースの口元がゆっくりとつり上がる。彼は唐突に腕を上げた。
「おい、ファース、やめろ!」
フィリップの制止が飛ぶ。
パチン――
乾いた指の音と同時に、カルマの影が蠢き、黒い魔獣の姿が立ち上がる。
グオオオオオオオオ――!!
「キャアアアアアアアア!!」
ミレイナが悲鳴を上げ、リクが叫ぶ。
「カルマさん、逃げて!!」
唸りをあげる黒の獣。だがその牙は、影の主――カルマには向けられない。
カルマは、ただ無言でその眼を見据えていた。
「少しくらいビビってくれてもいいのに」
ファースが口をとがらせる。
「か、カルマさん襲われないのだ!?」
トゥアが驚愕の声を上げた。
「それは、さっきの《スーサイド・シャドウ》じゃないよ」
ファースは気楽な口調のまま説明を始めた。
「これは《尽き果てぬ欲望〈ハングリー・シャドウ〉》。宿主を守る影だけど……代償として、ずっと“飢え”を抱える。喰わせなきゃ、宿主は一日で餓死する。どれだけ食っても満たされない、文字通りの底なしってやつ」
「やっぱり怖いのだ……!」
トゥアが震える。
「……仲間に殺されるくらいなら、死を選ぶ」
カルマの静かな一言に、ファースは口元を隠してくすくすと笑った。
「ふふっ、またそういう健気なこと言うー」
パチンッ。
影の獣が墨のようにカルマの足元へと戻る。
「……お腹、空いたでしょ? ご飯にしようよ」
猫のような声を残し、ファースは気ままにテントの外へと歩いていった。
グゥゥゥ~~……。
間の悪い音が、静寂を破った。
カルマの腹が鳴ったのだった。
「……なんなんだあの人。ちょっと、危険人物じゃないですか?」
リクが眉をひそめる。
「トゥア、怖くて毛が全部逆立ったのだ……。笑ってるのに、笑ってないのだ……」
トゥアが震える声で訴える。
「病的な反抗期ってやつさ。もう千年くらい続いてる」
フィリップは苦笑を浮かべた。
「……あいつ自身、自覚していないわけじゃない。ずっと苦しんでる、自分の在り方に」
カルマがぽつりと漏らす。
「そうは見えないけどな」
フィリップは半ば呆れたように返した。
「見せないだけだ。……ファースを“素直”にさせられたのは、ノアリス、ただ一人だった」
その名が出た瞬間、またもや空気の温度が変わった。
場の誰もが、息を呑む。
「……その、ノアリスって人は、今どこに……?」
リクの問いかけに、神経がわずかに震える気配が走る。
張り詰める空気。
全員が、触れてはならないものに触れたかのように沈黙した。
「……あ、あの……?」
リクの声は、まるで迷子のように場に彷徨った。
やがて、カルマが静かに口を開く。
「その話も、いずれ避けては通れない。ただ……皆、あの件には過敏になっている。特にバレンタインは……自制が効かないかもしれん」
そう言って、カルマは振り返る。
「フィリップ、先に食事を。リクには……俺から話しておく」
フィリップは無言で頷き、テントの外へ出ていった。
グウウウ〜……。
「なんか……あまり穏やかじゃない話ですね」
リクが苦笑する。
「……一言では、とても言い表せない」
カルマの返事は、まるで過去を手繰るように低く重かった。
そこへ、フィリップがテントに戻ってきた。
「どうした?」
カルマが問いかける。
「バレンタインがさ。隠しごとは嫌いだから、全部目の前で話せって」
「……それはちょっと怖いな」
「ヤバくなったら技をぶっ放す前に席を立つ、って言ってた」
「信用していいのか、それ」
再び、グウゥ〜と不穏な音が鳴る。
カルマの腹だった。
小さくため息を吐くと、カルマは立ち上がり、テントの外へと向かう。
「うわ〜、美味しそう〜!」
「すっごくいい匂いするのだ! これ、絶対うまいやつだよ!」
ミレイナとトゥアの歓声が、野営地に響いた。
テーブルには、まるで宴のような料理が並んでいる。湯気を立てる濃厚なスープ、香ばしく焼き上げられた肉料理、艶やかなソースがかかった副菜……空腹を煽る匂いが辺りに満ちていた。
「ファースが作った。料理も“創造”のうちだ、彼にとっては」
カルマが言う。
「不思議な力ですね……でも、便利だ」
リクが感心したように呟いた。
一同は早速、箸を手に取る。
「うっま……!」
「ファースさん、これ本当に美味しいです!」
「ガツガツガツッ!」
賑やかな食卓に笑みが広がる。
「さて、自己紹介でもしてやってくれ」
カルマが言うと、フィリップがスープをひと口すすってから口を開いた。
「じゃあ僕から。【賢者】、フィリップ・スタルク。ウィザード系の第九階位までの魔法は、すべて修得済みだ」
「第九階位!? そんなもの、存在するんですね……」
ミレイナが目を丸くする。
彼女自身、世界でも指折りのウィザードである。それでも、第七階位の魔法をようやく扱える程度だった。
「まあ、今は魔法より《真言》の研究に夢中なんだけどね」
「マントラ……?」
フィリップは親指と人差し指で小さな四角を作る。
その“窓”の向こう――ミレイナたちには彼の瞳しか見えなかったが、彼の視界には異次元の書庫が広がっていた。
情報化された典籍の数々。幾重にも重なる叡智の迷宮が、静かに脳裏に展開している。
「《ヴェーダ空間》から、《アーラニヤカ》や《ウパニシャッド》といった異世界のマントラを取り出してる。もう少しで、別位相の《タントラ空間》における《無常瑜伽》の区分まで整理が終わりそうなんだ」
「は、はぁ……」
ミレイナは言葉を失い、目をぱちくりと瞬かせるばかりだった。
「次は僕だね」
ファースが椅子の背にもたれ、軽やかに名乗った。
「ファース・ア・ファース。【趣味人】って肩書だけど、影を使った技術が得意分野。まあ、見た通りさ」
「この料理の食材って、何なんですか?」
ミレイナが不思議そうにスープをすくいながら訊ねた。
「僕の魔力だよ」
「……え?」
「いわば手料理ならぬ、“魔料理”だ」
カルマが口を挟むと、フィリップがさらりと補足する。
「すぐ慣れるよ」
「ガツガツガツッ! おかわりほしいのだー!」
トゥアが皿を持ち上げ、目を輝かせた。
「この料理、食べると力が湧いてくるのだ!」
「ははっ、ごめんね。魔力は尽きないけど、触媒のストックが切れちゃっててさ」
ファースが肩をすくめると、リクが呆れたように言う。
「……トゥア、ちょっとは遠慮しろよ……」
「さて、最後はバレンタインだね〜」
ファースがニヤリと笑うと、バレンタインは面倒くさそうに応じた。
「私はバレンタイン。【修羅】。以上よ」
「えぇ〜? バレンタイン、照れてる〜?」
「……ぶっ飛ばすわよ、ファース」
バレンタインは軽く睨みつけたあと、小さく息を吐いて言い直す。
「私の名はアン。アン・バレンタイン」
「まあ、アンさんって可愛らしいお名前ですわ」
ミレイナが微笑む。
「その呼び方、やめて。“さん”もいらない。バレンタインでいい」
「俺は、いい名前だと思うけどな」
カルマの一言に、バレンタインの頬がわずかに染まった。
「それにしても……バレンタインさんは、桁違いに強いですね」
リクが口にした本音に、バレンタインは苦笑する。
「さっきの技? あれ、本気じゃないわよ」
「えぇっ!?」
「五分の一くらいの出力だったね」
ファースがイスを揺らしながら言った。
「三分の一よ」
訂正するバレンタインに、フィリップが頷いた。
「《爆裂状態》じゃなかったしね。あれを使えば、能力値が三倍。威力も五倍にはなる」
「……まあ、そんなところ」
「《爆裂阿修羅覇王拳》……最後に使ったの、千年以上前だろ」
カルマが記憶をたぐると、バレンタインはさらりと返す。
「撃つ価値のある相手が、いなかっただけよ」
その空気のまま、カルマが少し声を低めて言った。
「今ここにいるのが、《六師外道》の現メンバー全員だ。残る二人は……【聖者】のウォルフガング、そして【聖騎士】ノアリスだ」
その名が出た瞬間――バレンタインが無言で“魔料理”に噛みついた。
「《虚無》に挑んだ俺たちの過去は、以前も少し話したな。だが――」
カルマがあらためて皆を見回す。
「今こそ、きちんと語ろう。俺たち《六師外道》の物語を」