トゥア救出
リクは息を呑み、顔を上げた。
「カルマさん……その前に、俺は仲間を救わなくちゃいけないんです」
声は抑えていたが、滲む焦りは隠せなかった。
「トゥアという獣人の女の子で……昨夜、食料調達に出たまま戻ってきません。
――ヴァジュラで、彼女の居場所を探せませんか」
カルマはわずかに目を細めたあと、短く頷いた。
「いいだろう」
そう言って、手にしたヴァジュラを軽く放る。
金属の筒は静かに宙を舞い、回転しながら不可思議な軌道を描いて遠くへと飛び去っていった。
「行くぞ」
カルマは振り返らずに歩き出す。リクとミレイナも無言でその背を追った。
やがて三人は、黒い口を開けた洞窟の前へたどり着いた。
カルマは地面に落ちていたヴァジュラを拾った。
洞窟の左右には、血で染め上げたような紅い旗が風に翻っていた。
ミレイナの顔から血の気が引いていく。
「これは……! リク様、いけません!」
声が震えていた。
「この印は――エクストラゴブリンのものです!」
リクは唇を噛み、拳を握りしめる。
「くそっ……よりによって、最悪のゴブリンだと……!」
――エクストラゴブリン。
それは魔王の支配すら受けつけない異端の種。
その知性は“ゴブリン”の名に収まる存在ではなかった。
ミレイナが洞窟の奥を凝視し、押し殺した声で言った。
「リク様……この奥から、トゥアの気配を感じます」
リクは無言で頷いた。
カルマ、ミレイナと共に、慎重に洞窟の闇の中へ足を踏み入れる。
岩肌に靴音が鈍く響き、濡れたような空気が肌に絡みついてくる。
一歩ごとに、夜の気配が深く沈んでいくようだった。
――そして。
「……! トゥア!」
リクの目が闇に慣れたその瞬間、鎖に繋がれた小さな影が視界に入った。
両腕を天井から吊られたその少女は、力なく項垂れ、静かにそこにいた。
「リク……さま……?」
かすかな声が、鎖の軋む音に紛れて届いた。
「今、助ける!」
リクは駆け寄り、ためらいなく剣を抜く。
鋭い金属音とともに鎖が断ち切られ、トゥアの身体がリクの胸元へ崩れ落ちた。
その体温は、信じがたいほど冷たかった。
リクは彼女を抱えたまま踵を返す。
カルマとミレイナも続き、三人は来た道を駆け戻った。
そして外へ飛び出した、その刹那――
「……!」
木立の陰から、無数の気配が湧き上がる。
ゴブリンたちが、あらかじめそこに潜んでいたかのように現れた。
武器を構え、にやにやと笑いながら、じりじりと囲い込んでくる。
ミレイナが息を呑む。
「しまった……! これは罠だったのね!」
そのとき、ひときわ異様な姿のゴブリンが現れた。
金の王冠を頭に乗せた、やけに整った装備の個体。
明らかに、この群れのリーダーだ。
「おやおや。これは驚いた。魔王を討ったご立派な勇者様が、まさか泥棒とはね」
リクが一歩、前へ出る。
「ふざけるな。トゥアは俺たちの仲間だ!」
王冠のゴブリンは肩をすくめ、したり顔で応じる。
「ふむ……では、こう考えてはどうかね。
――“奪った瞬間から、それは我々の所有物”。違うかね?」
そのいかにもゴブリンらしい暴論にリクは歯を食いしばった。
「……俺は魔王を倒した勇者だ。それでも、やるつもりか?」
その瞬間、ゴブリンたちが一斉に笑い出した。
リクはその光景に思わず息を呑んだ。
やはり、このゴブリン種は異質だった。
「ケッケッケッケ……」
群れの奥から、背を丸め、ボロをまとった老婆のゴブリンが現れる。
「彼女の名は、ドロシー」
王冠のゴブリンが誇らしげに紹介する。
「我が一族が誇る“クリエイター”。――ゴブリン界で唯一、上位職にまで至った魔術師だ」
ミレイナの顔が引きつる。
「じょ……上位職ですって……?」
――この世界で上位職に至る者は、ほんのひと握り。
リクもミレイナも、まだその域には届いていない。
カルマが、ボロをまとったゴブリン老婆――ドロシーを鋭く見据えた。
「驚いたな……。魔術に長けたゴブリンは稀にいるが、“創造魔法”を扱うクリエイターともなると、話は別だ。その術は、型に嵌らない。稀なセンスを持つ者は、前例にない独自の魔術を生み出す。油断するなよ」
リクは静かに剣を握り直し、頷いた。
「……わかってます。カルマさん――伝説の勇者の力、頼りにしてますよ」
その瞬間だった。
「ミレイナ!! 下だ、離れろ!!」
カルマの怒声に、ミレイナが咄嗟に足元へ視線を落とす。
「えっ――!?」
だが、遅かった。
いつの間にか、ミレイナの右足に巨大なヒルのような生物が絡みついていた。
それは激しく脈動しながら赤黒く膨れ上がる。
「リク!! ミレイナから離れろ!!」
カルマの声に、リクが振り返る。
その直後――
バアアアアアアアアンッ!!
ヒルが爆発した。
轟音とともに、ミレイナの右脚が爆散する。
肉片と血煙が宙に散り、視界が一瞬、真紅に染まった。
「アアアアアアアッ!! あしっ、足が――!!」
ミレイナの絶叫が森に響く。
「ミレイナ!!」
リクが駆け寄ろうとするが、その前にカルマが叫んだ。
「“炸蛭”……人工モンスターだ。
魔力を帯びた血を吸って、膨張・爆発する。足元に注意しろ!」
――ボタボタボタッ!!
頭上の木々から、無数のスラッグボムが雨のように降ってきた。
ひとつが、カルマの肩にぴたりと張り付く。
「チッ……まずい!」
カルマが顔をしかめる。
「こいつら、殺気がねぇ……! だからカウンターが発動しねえんだ!!」
バアアアアアアアン!!
爆裂音が轟き、カルマの首元から血が噴き出す。
そのまま地面に倒れ込み、動かなくなった。
「カルマさん!!」
リクの叫びと同時に、ゴブリンたちが歓声を上げる。
「ヒャッハッハッ! 呆気ねえ仲間だな! よし、とどめを刺せ!」
「オオオオオオオ!!」
群れになったゴブリンたちが、カルマ目がけて突撃してくる。
リクは咄嗟に剣を構え、必死にその身を守る。
「ククク……スラッグボムを避けながら、いつまで持ちこたえられるかな?」
ゴブリンリーダーの嗤い声が響く。
リクのすぐ横に、ヌメる影がひゅっと落ちた。
見れば、足元の地面には無数のスラッグボムが這い回っている。
「くっ……! カルマさん、早く!」
「……すまん……!」
カルマが地面に手をつきながら、よろよろと立ち上がる。
血を滴らせながらも、叫び声とともにゴブリンの群れへ突撃した。
「うおおおおおおおおッ!!」
無数の剣や斧がカルマに向かって一斉に振り下ろされる――
ドゴッ! ドゴッ! ズンッ!!
3体のゴブリンが弾き飛ばされた。
「カウンター発動!!」
「すげえ……! 一気に3匹ぶっ飛ばした!」
リクが目を見張る。
「バカ野郎!! 学習しろっ! カウンター持ちに不用意に手ぇ出すんじゃねえ!」
ゴブリンリーダーが部下たちを怒鳴る。
カルマはゴブリンたちの群れに突っ込んだ。
「うおおおおおおおおッ!!」
だが、様子がおかしい。誰ひとり、カルマに手を出そうとしない。
「……!? な、なんだ……?」
カルマが足を止めた刹那、ゴブリンリーダーの声が響いた。
「そいつは無視しろ! リクを先に殺せ!!」
標的が切り替わる。
ゴブリンたちの視線が、いっせいにリクへと向けられた。
カルマは咄嗟に一体へ突進し、体ごとぶつかって押し倒そうとする。
ガンッ!!
だが、ゴブリンは盾を構えて受け止め、そのまま力任せにカルマを振り払った。
すかさず、刃を手にした別のゴブリンがリクへと襲いかかる。
「ぐあっ……!」
リクの腕と脚に切っ先が走る。
血飛沫が舞い、リクは地面に倒れ込んだ。
「ヒャッハッハッ! "勇者の首"は俺が獲る! テメェら、手ぇ出すんじゃねえぞ!」
ゴブリンリーダーがリクに近づく。
だが次の瞬間、カルマが場違いな笑い声を響かせた。
「……ハハハハハハ!!」
倒れ込んだまま、肩を揺らして笑っている。
ゴブリンたちが一斉に視線を向ける。
リーダーが眉をひそめた。
「気を引こうってか。無視しろ!」
だがカルマは、なおも笑いながら首を横に振る。
「気を引いてる? 違うな」
「……?」
「バレンタイン。フィリップ。ファース。――お前らが来てくれると、信じてたぜ!」
リーダーがはっとして振り返る。
いつの間にか、ゴブリンたちの背後に、三つの影が立っていた。
風に揺れるマント、無言のまま睨む眼差し――すでに戦意がその身から溢れている。
「……カルマさんの、仲間?」
ミレイナが呟く。
「てことは……伝説の“六師外道”……!」
カルマは、血をにじませた唇で笑った。
「安心しろ、リク。こいつらはいつも勝利をもたらしてくれる」