第6章:深淵の都と、沈黙の女王
死の門を越えて冥界に降り立った俊の前に広がっていたのは、限りなく静寂に近い灰の世界だった。
灰白色の空。色を失った地面。空気はぬるく、風はなく、まるで“時間そのもの”が凍っているようだった。
――これが、死者たちが住まう冥界。
俊はゆっくりと一歩を踏み出す。
足音は吸い込まれ、反響はしない。音が消えていく。
その中に現れたのが、冥界の都だった。
建物はどれも低く、崩れかけた石造り。すべてが時間の果てに存在しているかのように、朽ちる寸前で停止していた。
だが、そこには確かに“誰か”がいた。
影のような存在たち。かつて人だった魂。
目も口もない。けれど、感情のような何かを確かに持っている。
俊が近づくと、彼らは怯えたように後ずさった。
――生者。
俊の存在が、ネクルダでは異質だった。
魂たちは、静かに彼を避ける。避けながらも、見ている。
その視線に含まれていたのは、“羨望”と“怒り”、そして“問い”だった。
*
「なぜ、生きてここにいる?」
誰とも知れぬ声が響いた。
言葉ではなかった。脳に直接流れ込んでくる感覚。
俊は立ち止まり、辺りを見渡した。
影たちが取り囲んでいた。
「俺は……配達に来た」
俊の答えに、影たちがざわめく。
「生きたまま、女王のもとへ行くつもりか?」
「それが俺の仕事だ」
「何のために? 誰のために?」
「……誰かの“想い”を、確かに届けるために」
その言葉に、空気が少し変わった。
影たちのひとつが、近づいてきた。
それはかつて“教師”だった者の魂。
生前、教えたかったことを伝えきれずに亡くなったという。
「私の“最後の言葉”を、生者に届けてくれるか?」
俊は頷いた。
「届け先を教えてくれれば、きっと」
次の瞬間、影たちがざわめきとともに俊に“未練”を託し始めた。
生きていた頃に伝えられなかった言葉、悔い、願い。
俊は、ひとつひとつを胸にしまった。
「俺は配達人だ。時間はかかるかもしれない。でも、必ず届ける」
*
その時だった。
ネクルダの空に、鐘の音が響いた。
まるで“生者の訪問”を知らせるように。
街の奥――冥界の中心《アル=セリウム》への道が、ゆっくりと開かれていく。
俊はその道を見つめ、深く息を吸った。
「行くよ。……届けに」
*
アル=セリウム。
それは“死者の王宮”と呼ばれる、白黒の宮殿。
天井のない構造、宙に浮かぶ階段、重力のない空間。
中心にあるのは、ひとつの玉座。
そこに、彼女はいた。
冥界の女王・セレスティア。
長く、銀色の髪。紫水晶のような瞳。
冷たく、静かで、どこか懐かしい空気を纏っていた。
俊が足を止めると、彼女の目がわずかに動いた。
「あなたが、生者……ね」
俊は深く一礼する。
「配達人、赤羽俊。女王セレスティア様へ、“生者からの贈り物”をお届けに参りました」
セレスティアはゆっくりと玉座から立ち上がる。
「あなたは、なぜここまで来たの?」
「届けるものがあるからです。それだけです」
「生と死の境を越え、魂の試練を超えても?」
「……俺は、“配達人”ですから」
その答えに、女王の口元が微かに揺れた。
「面白いわね。“届ける者”か……」
セレスティアは俊に手を差し出す。
「ならば、“本当に届ける価値があるのか”――私に、証明してごらんなさい」
次の瞬間、空間が反転する。
俊は“試練”の世界へと引き込まれていった。