第3章(中編):出発〜道中
午後2時15分。
赤羽俊は、王都ベルザイアの南門を抜けた。
目的地は「黒雲の裂谷」にそびえる“魔王城”。
第七魔王アークネメシスの居城であり、王国でも立入禁止に指定されている危険地帯だ。
「ルート確認……。距離およそ25キロ、徒歩では無理。だがギルドから借りた魔導バイクなら――」
俊の足元には、ギルドから支給された“魔力駆動式バイク《キャリア・シグマ》”があった。
外見は中世風の馬車のフレームを流線型にしたような奇妙な乗り物だが、動力は俊の“時間感覚”とリンクしており、最適な加速とルート調整を行ってくれる。
「よし、出発だ。配達時間、残り4時間13分……」
彼は小さく息を吐き、バイクにまたがった。
街道を抜け、森の入り口に入った瞬間、空気が変わる。
木々の密度が増し、陽の光が届かないほど暗い。鳥の声が消え、風の音すら不気味に聞こえた。
“深森”と呼ばれるこの一帯は、魔王領の入り口にあたる禁域だ。
俊は《ルート可視化》スキルを起動し、薄く光るルートラインを目に焼きつける。
「予想通り、一本道じゃない……。迷ったら即アウトか」
慎重にアクセルを調整しながら、俊は魔導バイクを進ませる。
枝をくぐり、倒木を飛び越え、岩場を抜ける。ルートは決して平坦ではなかったが、俊は「時間内に届ける」という信念だけを頼りに進み続けた。
途中、霧が立ち込めてきた。
視界は一気に5メートル先までしか見えない。
俊の心臓がわずかに跳ねる。
《時間ジャッジ》を発動すると、脳内に“危険接近”の警告が浮かぶ。
「来る……!」
次の瞬間――
「ギャアアアアアアアア!!」
茂みを突き破って現れたのは、体高2メートルの魔獣。
霧に紛れて狩りをする異形の猛獣で、その爪は鋼をも裂くとされる。
俊は魔導バイクを右に急旋回。だが、魔獣の追尾は早い。地形をものともせず、一直線に襲いかかってくる。
「くそっ、回避ルート検索……」
スキル《ルート可視化・緊急回避》が作動。バイクの制御装置が半自動で最短離脱ルートを描き出す。
俊はそれを信じ、倒木の下をすり抜け、茂みをかき分け、川をジャンプして飛び越えた。
魔獣の姿は、ようやく霧の向こうに消えていった。
「ふぅ……これは“配達”じゃなくて、“任務”レベルだな……」
川を越えた先に開けたのは、断崖だった。
崖の向こうには“黒雲の裂谷”が広がり、その中心に黒い要塞のような建物――魔王城が見えた。
その高さと威圧感に、俊は一瞬足を止めた。
「……本当に、あれに届けるのか」
冷や汗が背中を伝う。だが、彼は自分の胸に手を当てた。
「届ける。届けなきゃ、意味がない。ここまで来たんだから……」
そう呟くと、彼は再び魔導バイクにまたがり、裂谷へと続く石の橋へと進んだ。
橋の中央あたりまで進んだとき、突風が吹いた。
それは自然のものではなかった。何か、巨大な“気配”が空を割るように出現した。
「上……!?」
見上げると、そこには“空飛ぶ蛇”のようなシルエット――《ウィンド・ヴァイパー》が姿を現した。魔王領の空を監視する“飛行型警戒魔獣”だ。
俊は即座にバッグを確認し、《ギルド認定書》の魔力を開示する。
青い光が周囲に広がり、ヴァイパーがわずかに軌道を逸らす。
「……ギルドの力、ありがたいな」
それでも安全ではなかった。ヴァイパーは完全に去ったわけではなく、一定距離を保ちつつ俊を追跡していた。
「配達人でも歓迎されてるわけじゃない、か……」
裂谷を抜けた先、魔王城の前にある“死の森”と呼ばれるエリアへ到着。
ここではスキル《正確配送》が不安定になり、ルートラインが消えかかっていた。
地中から手のような影が伸び、空気は灰色に染まり、木々は枯れ果てている。
「精神干渉系……このまま進むと錯覚や幻覚が出るタイプか」
俊は呼吸を整え、内側から声をかける。
「俺の仕事は、届けることだけ。邪魔はやめてくれ」
その言葉に反応するかのように、道が一本だけ明るくなった。
影が退き、正面の門がぼんやりと姿を現す。
俊は最後に時計を確認する。
――午後5時47分。配達期限まで残り13分。
彼はバッグを抱きしめるように持ち、魔王城の門に向かって歩き出した。
「届け先がどこであっても、俺は“時間通りに届ける”。配達人だからな」
その言葉とともに、俊の背中に夕陽が差し込んだ。
――世界が彼を見ていた。