第1章:事故と転生、異世界配達人はじめました
――配達時間、残り6分38秒。
小さなアラームがヘルメット越しに鳴った。
赤羽俊は都心を駆け抜けるバイクの上で、ハンドルを握る手に力を込めた。
風が鋭く頬を切り、車のクラクションが遠くに聞こえる。周囲のビル群が流れるように通り過ぎていくなか、彼の脳内ではすでに次の交差点、その先のルート、信号の変わるタイミングまでがシミュレーションされていた。
「このまま東通り抜けて、大通り右。坂を下れば納品場所だ。間に合う」
短く呟いた言葉は、自分への確認であり、決意でもある。
俊は大学三年生。
専攻は経営学で、特に目立った特技もない……はずだった。だが、彼には唯一、誰にも負けないスキルがあった。
――時間厳守。
たとえ1分、いや、30秒の遅れも許さない。どんな悪天候でも、渋滞でも、配達は必ず時間通り。
そんな俊の几帳面さと、完璧主義が、バイク便の仕事で開花したのだ。
荷物を預ける際、依頼人が半信半疑の表情を浮かべても、彼が届けるたびにそれは驚きに変わった。
「赤羽さんに任せれば大丈夫」――気がつけば、指名も増えていた。
「……遅れたら信用も仕事も失う。それだけは、あり得ない」
しかし、その日――その決意が皮肉にも“運命”を変えた。
*
俊は青信号を確認し、歩道から車道へと滑らかにバイクを滑らせた。
配達先まであと1.2キロ。あと5分もあれば十分間に合う。
だが。
「――っ!!」
左手側の路地から、突如として大型トラックが飛び出してきた。
猛スピードで迫る巨大な車体、ブレーキ音すら遅れて響いた。
避ける間もなく、俊の視界は一瞬で白く染まった。
*
次に意識を取り戻したとき、彼は森の中にいた。
「……え?」
目の前には、見たこともない大樹と、濃密な緑の世界。
土の匂い、木々の揺れる音、遠くで鳥のような何かが鳴いていた。
状況が掴めず、俊は立ち上がる。
視線を落とすと、彼の服装は見慣れた配達ジャケットではなく、茶色いローブ風の服。肩には革のショルダーバッグ。質感は本革、重厚な造り。見た目こそ古めかしいが、どこか機能的な空気をまとっていた。
「……配達用? 俺の?」
混乱の中、彼の前にふわりと影が差した。
「やっと目覚めましたね、赤羽俊さん」
銀髪の女性が空中に浮かんでいた。
透き通るような肌と金色の瞳。異世界の住人か、夢の中の神か――そんな風貌。
「どちら様……ですか?」
「私は配達神、マーリィ。あなたは“選ばれし配達人”として、ここアルディネアに転生しました」
俊の脳内がフリーズする。
「……転生?」
「はい。あなたは元の世界で不慮の事故により命を落とされました。ですが、その魂の強い“時間厳守”の信念が、配達の神に届いたのです。あなたに適正があると判断されたため、こちらの世界に……お迎えしました」
俊は言葉を失い、しばらく空を見上げていた。
だが、受け入れるしかなかった。
今、自分は生きている――それが現実だ。
「……それで、この世界で俺は……?」
「配達人として活動していただきます。こちらの世界では、配達という行為はとても重要なのです。人と人、国家と国家、さらには神と魔王を繋ぐ……。配達こそが、世界の理を保つ礎なのです」
その言葉に、俊の目がわずかに見開かれた。
「……配達が、世界の理……?」
「はい。そしてあなたに与えられたのは《配達職:Sランク》。この世界に数人しかいない、特別なジョブです」
俊はバッグを開け、中身を確認した。
封印された書状、冷却された小瓶、魔法で保護された小箱……すべてが、ただの“荷物”ではない空気を纏っていた。
「スキルとして、《時間ジャッジ》《正確配送》《配達ルート可視化》などが付与されています。いずれも、あなたの特性に最も合ったものです」
俊は深く息を吸い込んだ。
現実感のない話。しかし、自分が生きているということ、そして“届ける”という言葉が、妙に心にフィットする。
「――わかりました。俺は……配達人になります」
その瞬間、マーリィの顔がわずかに微笑んだように見えた。
*
俊の最初の依頼は、王都に近いエルム村への書状の配達だった。
依頼主は、王国の文官。
届け先は村長。距離にして約40キロ、未舗装の山道が続く。
俊は地図とスキルを使い、最短ルートを割り出し、歩き出す。
途中、森で野生の魔物に遭遇するも、《時間ジャッジ》で回避。
配達中の障害も、すべて俊の“時間感覚”が正確に判断していく。
そして日が傾く頃、彼は村の入り口に到着した。
「赤羽俊です。ギルドより配達に参りました。こちらに、王国からの書状をお届けに」
村長が驚いた顔で封書を受け取り、頭を下げる。
「まさか……あの危険な道を、たった一人で……。君は、本物の配達人だな」
俊は静かにうなずいた。
「届け先がどこだろうと関係ない。俺の仕事は、“届ける”ことですから」
配達人・赤羽俊。
その名が、異世界で語られ始めるのは、まだ少し先のことだった――。