第7章:届けるべきは、想いの形
白と黒が交錯するような空間。俊は、気づけば女王の手に触れた瞬間、“試練”の世界に飲み込まれていた。
そこは、冥界とも現世とも異なる“記憶の檻”だった。
色のない花が咲き乱れ、空には過去の断片のような映像が浮かび、静寂の中に感情だけが渦巻いている。
「ここは……?」
「これは、私自身の記憶よ」
背後から響いた声。女王セレスティアが、俊の隣に立っていた。
「“贈り物”を受け取る前に……あなたに見てほしい。私がかつて、何を失い、何を忘れたのか」
指先を振ると、空間が波紋のように揺れ、一枚の光景が広がった。
――幼い少女が、母親の手を引いて村を歩いていた。笑顔の絶えない日常。
「……人間だった、んですね」
「そうよ。遠い昔のこと。私はただの村娘だった」
次に映ったのは、疫病。家族の死。埋葬。孤独。
「この世の残酷さに、私は絶望した。そして……死者の魂と語る術を手に入れた」
彼女は死者の声を聞き、人々のために祈りを捧げた。
だが次第に、“生”よりも“死”のほうに心が傾いていった。
「気づけば、人々は私を“女王”と呼んだ。冥界の。……生きているのか死んでいるのか、分からなくなった」
俊は、黙ってそのすべてを見ていた。
やがて、空間が収束する。
セレスティアは俊の前に立ち、手を差し出した。
「……贈り物を」
俊はバッグから、丁寧に包まれた封筒を取り出す。
封には、“手紙”とだけ記されていた。
セレスティアがそれを手に取り、開封する。
中には、幼い文字で綴られた、一本の手紙。
それは、かつて彼女が“母親”に宛てて出そうとしていた手紙だった。
『お母さんへ。わたし、ちゃんと生きてるよ。おてつだいもしてるよ。いっしょにおそらのほしをみようね』
彼女の指が止まり、手紙がわずかに震えた。
「これは……なぜ、こんなものが……?」
俊が静かに答える。
「依頼主は、“預言者”でした。でも……本当の送り主は、あなた自身の“記憶”だったんじゃないですか?」
沈黙。
セレスティアの肩が、わずかに震えていた。
「私は、思い出したくなかった。……でも、ありがとう。あなたが来てくれなければ、私は永遠に……」
俊はただ一言、こう返した。
「俺は、届けただけです。想いの形を」
*
冥界の空に、淡い光が差した。
それは長きにわたって閉ざされていた女王の心が、ほんの少しだけ開いた証だった。
セレスティアは俊に向き直る。
「配達人、赤羽俊。あなたは……冥界にも“道”を作った。人と人、世界と世界を繋ぐ、本物の配達人よ」
俊の胸元のバッジが、淡く光った。
新たな称号が浮かぶ。
《特別称号:死界越境者》
「ありがとう、俊。これは、あなたの“最後の依頼”ではない。きっと……これからも届けるべき“想い”は続く」
*
俊は、ギルド本部の戻りの転送陣で目を覚ました。
淡い光の中、彼の手には、死者たちから託された小さな手紙の束が残っていた。
「……次は、この子たちの番だな」
彼は立ち上がり、再びバッグを背負った。
届けるものがある限り、彼の旅は終わらない。
――配達人、赤羽俊。
その名は、冥界をも超えて語られる伝説となっていく。