四十一品目 故郷の匂い2
そして食材を調達してくるというキリボシと七人の男たちを見送っては、その場に残される私と爽やかな声の男。
帝国の元兵士を名乗るシラサカを前に、話しても問題のないことだけを軽く話すと、シラサカは勝手に警戒心を捨てて饒舌になり始める。
「へぇ? 王国の冒険者か。確かに帝都の外にはそんなやつらもチラホラいたな。なるほど、俺たちより先に橋を渡ってただけだったか。しかしそうか。俺たちはここより先には危なっかしくて進んでないが、やっぱり魔物だらけなのか?」
「そうだな。だが人間もいる。思えば私たちが会った中にも、この橋を渡ってきたやつがいたのかもな。それよりも帝国のほうはどうなんだ?」
「ああ、アザレアはまだ知らないだろうけどな。半分無くなっちまったよ。それもある日突然な。俺はたまたまその瞬間を遠くから見てたわけだが……正直、今でも信じられないよ。帝国が個人相手にここまで一方的にやられるなんてな」
「個人に?」
私は思わずと聞き返す。それはロサから聞いていた話と食い違うような……いや、いま思えばロサはその辺に言及していなかった。
それがもし意図したものだとすると、その個人とやらはもそもそも魔王軍ですらないのかもしれない。
仮にそうだとして、帝国が攻められる前に教えるというロサの言葉を信じるのなら、ロサはその魔王軍でもない個人とやらの動きを把握していることになる。
知り合いであれば監視も容易であろうが……もしそうでなければロサは対象に悟られることなく監視する術を持っていることになる。
そんなことを大真面目に考えていると、小気味よい複数の足音が遠くから近づいてくる。
「俺たちはたまたま難を逃れたがな――っと、もう帰ってきたのか。早いなって、おいおい! 冗談だろ! あいつら巨大な土蜘蛛を狩ってきやがった!」
「なんだ、蜘蛛は苦手か?」
目を引ん剝くシラサカを前に、私はアラクネのように喋らないだけいいじゃないかと余裕の表情を浮かべた。
「よし、もういいかな。ジャイアントスパイダーの丸焼きだよ。まさか今日は夜食まで食べられるなんてね」
思わぬ収穫だと嬉しそうにするキリボシ。その横で誰がどこを食べるかでしばらく揉めたのち、男たち全員に――元の茶色が熱で赤く変色した――人の腕ほどもある蜘蛛の足が行き渡っては、キリボシに胴体、残りが私の元へとやってくる。
そうして見つめ合う蜘蛛と私。
喜々として蜘蛛の胴体へとかじりつくキリボシを前に、次はお前だという空気が自然と場に流れては、フォークを二本、蜘蛛の頭に突き刺す。
「いただきます」
勢い任せにかじりついては、直後に口の中に溢れてくる甘味。目玉の硬いんだか柔らかいんだがよく分からない感触はかなり余計だが、肉のようにしつこくない脂にさほど抵抗なく二口目にたどり着いては、次はお前らの番だと笑う。
「冗談だろ……」
「落ち着け、帝国には蜘蛛を使った料理もある。それに俺の故郷じゃ、じいさん連中は普通に食べてた。それもごちそうだって言ってな」
だからもしかするともしかするかもしれない。そんな空気を醸し出すシラサカ。先陣を切るように、ただし足の端へとかじりついては、驚いたと目を丸くする。
「沢蟹みたいな味がする……それにこの故郷を思い出させる匂い。そうだ、村一番の働き者だった親父は悪戯が好きで。俺が昼寝してるとよく鼻に足を近づけ……」
シラサカは口元を押さえては駆け足でたき火を離れていく。そうしてすっきりした顔で帰ってきたシラサカは、周りに心配すらさせないように自ら語りだす。
「アザレア、この橋はもともと情報収集のために、魔王軍と戦うために作られたものなんだ。それが今や、魔王軍から逃げるために使われている。帝国側から橋を渡ってくる連中が言うには、この先に安住の地があるらしい。だが俺が思うに、帝国のやり方を知っている俺から言わせれば、それは帝国が帝都に集まった難民を散らすために故意に広めた、根拠のない噂。俺はそんな噂に流される人を……」
シラサカはそこで思いつめたように視線を落とす。
「一人でも減らそうとここで野盗の真似事を……食料を失えば諦めて引き返すしかないだろ? だがそれでも諦めてくれない人たちや、強引に川を渡ろうとして命を落とす人たちが絶えないのはなぜなんだ? 挙句の果てには、それを手助けすることを生業にする奴らまで現れて……」
シラサカはぼんやりと何かを幻視するように遠くを見つめる。
「安住の地を目指して荒野の向こうに消えていった人たちは、誰一人として帰ってきていない。だからそんなものは無いはずなんだ。なのに――アザレアたちはその荒野の向こうからやってきた。本当にあるのか? 安住の地が」
「さあな」
私は冷たく突き放す。シラサカの言う安住の地というのが何を指しているのかは分からないが、それに当てはまる場所を私は知っている。
共和国だ。ただそれは住処を失い、身一つで世界に放り出され、もはや魔王軍しか頼れる相手がいない、そんな子供たちにとっての受け皿でしかなく。
ベルニの言っていた今後は大人も受け入れるという話がどうなっているのかも分からない今、まだ帝国がある内から無責任にも勧めるというのは、道義的にも論理的にもすべきことではないだろう。
ただし、帝国が無くなることを私は知っている。もちろん、半身を失った帝国も今頃その可能性と向き合っていることだろう。
その上でどうするか。もはや帝国を捨てるしかない、そうなった時のために選択肢を残しておく、今の私にできるのはそれぐらいだろう。
「まあ、一つだけ言えるのは、少なくとも私たちにとってはそうではなかったということだけだ。気になるのなら、自分の目で確かめてみるといい」
「そうか……なあ、アザレアたちは帝都を目指しているんだろう? 俺たちも連れて行ってくれないか? そろそろ野盗の真似事も潮時だと思ってたんだ。俺たちは帝国の元兵士だし、きっとアザレアたちの役に立てるはずだ」
「断る。お前が言ったように帝都が襲撃されたことが確かなら、もはや帝国といえどこの先どうなるかは分からない。お前もそれは分かっているはずだ」
「アザレア、甘く見ないでくれ。俺たちも半端な覚悟で元兵士になったわけじゃない」
シラサカの声に熱が帯び始めては、合わせて前のめりになる男たち。急にむさくるしくなってきたなと何となく横に目を向けると、夜食を取って眠くなったのか。
堂々と目を瞑って微動だにしないキリボシにそろそろ切り上げるかと、そして暇なら食べろと強引に蜘蛛の頭を押し付ける。
「別に甘く見てなどいないさ。ただその覚悟の使いどころを見誤るなと言っているんだ。それとも今になって自信を無くしたか? 自分たちのやっていることは、ただ徒に人々から食料を巻き上げ、傷つけているだけなんじゃないかとな」
シラサカは何も言わない。その代わりに周りの男たちが口を開こうとしたところで、私は分かっていると視線をきつくする。
「お前らはよくやっている、と私は思う。だから残れ。そしてこれからも助けたり、助けられなかったりし続けるんだ。なぜならそれがお前らの決めたことだからだ。何も私にその決断を委ねることはない。だがこの先、もし目的を見失うようなことがあったのなら――危険を承知で目指してみるといい。安住の地とやらをな」
私は健闘を祈るように微笑を浮かべる。きっと辿りつけさえすれば、そう、アイタナなら悪いようにはしないだろう。
それで話は終わりだとキリボシの肩を叩いては、行くぞと立ち上がる。
「待ってくれ、アザレア」
「待たない、お前らに寝込みを襲われても面白くないからな。野宿に付き合ってほしいのなら、まずはその物騒な眉間の皺をほぐすところから始めるんだな」
まっ、私ぐらいになるとその深い皺に優しさが詰まっていることぐらいお見通しなんだが。そう言うと男たちは恥ずかしそうに苦笑した。
そうして餞別でも送るように押し付けられた蜘蛛の足を手に、橋を渡った先。
開けた荒野に夜明けとともに姿を現した傷ついた帝都は――半分になっていると聞いていた割りに――むしろ最後に見た時と比べると一回りは大きくなっていた。




