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四十一品目 故郷の匂い1

 夜の荒野に響く力強い川音、月明かりに浮かぶ立派な吊り橋。その入口に灯された小さな火――たき火を囲んでは浮かぶ人影を遠目に、ついに魔王軍の支配地域を抜けたのではないかと浮かれたのも(つか)()

 近づけば近づくほどにはっきりとしてくる男たちの人相(にんそう)の悪さに、どう見ても野盗なんだがと思わず足を止めては、横のキリボシと顔を見合わせる。


「キリボシ、お前にはあいつらが何に見える?」

「うーん、体格がいいし、装備も整ってる。手入れも行き届いてる感じがあるから……そうだね。例えばだけど、どこかの国の元兵士とか?」

「まあそんなところだろうな。ただそのどこかの国が帝国だった場合、例えこちらに落ち度がなかったとしても帝国人に危害を加えたとなればどうなるか。本来なら考慮にも(あたい)しない可能性かもしれないが、後に響かないとも限らないからな」

「僕は帝国に詳しくないからなんとも言えないけど、こういう時にはバレなければいいって言いそうなアザレアさんがそれを気にするってことは、隠しても帝国は気づくと、そう思ってるってことなのかな」

「少なくとも取引を持ち掛ければしばらく軟禁(なんきん)して、私たちが何者でどこから来たのか、その背景を探るぐらいはするだろうな。何より帝都は今、襲撃されたばかりで敏感になっている。今まで以上の熱烈な歓迎を受けたとしてもおかしくはない」


 ただ――と私は軽口を叩くように続ける。


「帝国は遠からず、いや近いうちになくなる運命らしいからな。思うように事が運ばずとも、その時の混乱に乗じて逃げ出せばいい。極論、墓の下でさえなければ脱出には困らない。ロサの言葉が本当ならの話だがな」

「ロサさんはアザレアさんと話してるときに(うそ)はつかないよ」


 キリボシはなぜか面白そうに笑う。


「アザレアさんはロサさんと話すときに、はぐらかしたり冗談を言ったりはするけど、嘘はつかないでしょ? だからロサさんも嘘はつかないよ」

「それはさすがに根拠がなさすぎないか?」

「だって言葉じゃ説明できないからね」


 キリボシはしたり顔で開き直る。それをため息とともに一蹴(いっしゅう)することも出来たが、一方で一理あるなとも思ってしまう。

 まあキリボシの理論を都合よく解釈するならだが。

 そもそもロサも私も、お互いに弱みを(にぎ)られることを極端に避けている傾向はある。

 それは相手に主導権を握られたくないからなのだが、その過程でお互いに一線を引きあっていると言えばわかりやすいだろうか。

 要するにここまでは良くて、ここからは悪い。相手が嘘をついていないから、まだ嘘はつけない。

 そんな取引での優位性を重視するあまり、本来つけるはずの嘘を互いに縛り、それを暗黙の了解として無意識の内に遵守(じゅんしゅ)し合っている。

 そうキリボシは言いたいのかもしれない。


「まあ、帝国相手には気を付けるさ」

「正直なのはいいことだと思うけどね」

「お前は正直すぎるけどな。しかしどうする。少し迂回(うかい)すれば川まで下りられなくはなさそうだが……」


 言いながら頭に過ぎるのは昨日のことのように思い出される水泳と魔力切れ。別に選択肢としてはなしではないのだが、その結果、魔力を消費しすぎれば足止めを余儀なくされる。

 それで半日(つぶ)れるのか一日潰れるのかは分からないが、先延ばしにしたせいで踏みにじられたトマトという前例を考えると、頭ではのちの交渉を見据えて川にいくべきだと思いながらも、気持ち的には橋を選びたくなる。


「アザレアさんは橋がいいみたいだね。確かに川幅はそうでもないけど、聞こえてくる音からして流れはかなりありそうだし、何がいるかは実際に泳いでみないと分からないからね。何なら僕がそれも含めてあの人たちに聞いてこようか?」

「いや、私も行く」


 そう告げては二人並んでまた歩き出す。単純すぎて思いつきもしなかったが、確かに聞くというのはなしじゃない。

 むしろじっとしているよりも、よほど建設的だ。


「相手は八人かな?」

(すき)を作れば通り抜けられると思うか?」

「どうだろう。ただ橋を落とされて終わりだと思うけど」

「橋が帝国の所有物――でなくとも、帝国のものだと言い張られたら面倒(きわ)まりないな。もしあいつらが帝国人だったら仕方ない。川に飛び込むぞ」


 隠す気はないと、こちらの存在を早くから知らせるように足音を立てては、自然と向けられる男たちの視線。

 まだだと気にせず足早にたき火へと近づいて行っては、剣が引き抜かれ、弓が引き絞られたところで敵意はないことを主張するように足を止める。


「女……?」

「どこから来た。いや、何者だ? まさか魔王軍か?」

「どう考えてもそうだろ。この橋を反対側から渡ってくる奴は少なくないが、逆から渡ろうとして来た奴は初めてだぜ?」


 人相の悪さに拍車(はくしゃ)がかかる男たち。その驚きながらも敵意むき出しという分かりやすい反応を見るに、どうやらここでは魔王軍は珍しい――つまり私たちは本当に人間の領域に戻ってきたらしい。


「女、何をそんなに(うれ)しそうにしている」

「あ? ああ、悪い。帝国が近いのかと思ってついな。お前らは帝国人か?」

「いいからさっさと何者か答えろ。これ以上焦らすなら帝国よりあの世のほうが近くなるぜ?」


 そう告げては(おど)すように距離を詰めてくる男。ただ素直に話すとして、どう魔王軍ではないかという疑惑(ぎわく)を晴らすか考えていると、そこまでだとたき火を挟んで正面に座る男から、その威圧的な顔からは想像できない(さわ)やかな声が響く。


「血の気の多い奴らで済まないな。だがこの橋を渡ろうとする怪しい奴らに声をかけるのが俺たちの仕事なんだ。その意味、分かってくれるな?」

「通行料か。なんだ、欲しいのは金品か? それとも命か?」

「まさか、俺たちをその辺の野盗と一緒にしないでくれ。そんなものはいらない。俺たちが欲しているのはただ一つ。食い物だ」

「食い物?」


 また妙なことを言い出すもんだなと、私はその視線を分かりやすく男たちの背後へと向ける。


「後ろに川があるだろ。そこでいくらでも――」

「魚以外が食べたいんだ! 魚以外が!」


 握りこぶしを二つ作っては夜空に叫ぶ爽やかな声の男。その真っすぐが過ぎる要求に、私とキリボシはそっと顔を見合わせては、二人同時に苦笑を浮かべる。


「それなら任せてよ」


 キリボシの声にその場の全員が(うなず)いた。


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