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三十九品目 空腹に最高のスパイス2

「キリボシ、大丈夫か」

「うん」


 自然と背中を預けては急速に不安定になっていく神聖。何とかキリボシが手袋に手を通すだけの時間は(かせ)げたが、完全に周囲は吸血鬼たちに取り囲まれている。


「神聖魔法……それにその見た目。どうやら事前の情報に(あやま)りがあったようね?」

「何が誤りだ。たかがエルフ程度の神聖に退(しりぞ)けられやがって」

「たかがじゃないわ、相手はエルダーよ。まあ、アンタは臆病風に吹かれて砂漠の戦闘には不参加だったから、そう思うのも仕方ないのかもしれないけどね」

「ふざけるな。俺はそのとき沼地で――」

「黙れ。狩る側の我々が狩られる側に回るのはいつだって油断からだ。(おご)りや高ぶりは今この場に必要ない」

「偉そうにいいやがって……」

「お前より偉いのは事実だろう。しかしネド、こうなった以上、エルダーの危険性は無視できない。排除するほかないが、それでいいな?」

「ああ」


 短い返事に合わせて再び闇の中を(うごめ)き始めるいくつもの影。その正確な数も力も分からないまま再び距離を詰められては、もはや全力で迎え撃つ以外に選択肢はないと、半ば相手に強制されるようにして神聖を吐き出させられる。

 それと同時に背中から離れていくキリボシ。自身への警戒が薄いことをいいことに、また神聖魔法を目くらましに好き勝手に暴れ始めては、魔力が尽きるまでのたった数秒間だけで足元に血だまりが出来上がる。


「どうやら男のほうが本命だったらしいな?」

「言わんこっちゃない。相手を甘く見てるから足をすくわれるのよ……」

「悪いが、反省会なら余所(よそ)でやってくれないか?」

「もう済んだ。だからもう同じ(あやま)ちは繰り返さない」

「別に私たちとしては食事の邪魔をしたことだけ一言()びてくれれば……っておいおい、まさか一族総出できたんじゃないだろうな」


 確実に足元の血だまりの分だけ数と勢いは()いだはず――なのに。まるで鈍らない影の動きと何なら増えたようにさえ感じられる、吸血鬼の気配の多さ。

 本能的に失った魔力を補給しなければまずいと、記憶を頼りに鍋のそばへと手を伸ばしては、あるはずの場所から姿を消したラフレシアに一瞬だけ体が硬直する。

 あれ? 確かこの辺にキリボシが夕食の準備で取り出したものが……。


「アザレアさん!」


 自分でも気づかぬうちに目の前のことに集中しすぎては、不意に突き飛ばされる体。そのあまりの力強さに地面を転がりながら、キリボシが切り刻まれる姿をただ眺めることになっては、思わずやめてくれと縋るような声を上げてしまう。


「ネド」

「いいだろう」


 なぜか願いを聞き入れてくれる吸血鬼。その理由が何であれもはや構わないと、血だまりを這うようにしてキリボシへと近づいて行っては、手足を失ったキリボシを抱きかかえようとして自身も左腕を失っていることにようやく気付かされる。


「キリボシ……」

「大丈夫、大丈夫だから……」


 キリボシは口元を真っ赤に()らしながら気丈にも笑う。それが余計に別れや最期というものを意識させて――。


「エルフの女、答えろ。マルタ村でリノという吸血鬼を狩ったのはお前か?」

「いまさらそんなこと……聞いてどうなる」

「ネド、だめよ。こいつはもう絶対に答えない。いまさらだけど、やっぱり疑わしくてもあんたのお気に入り、レダを連れてくるべきだったんじゃないの?」

「今回の件にサキュバスは使えない。お前もその耳ではっきりと聞いたはずだ。ロサの名前をな」

「でも、このままじゃ結局なにも分からないまま死なせることになっちゃうし」

「そうはならない」


 言うが早いか、また横から突き飛ばされる体。ろくに受け身も取れずにバカみたいに血だまりを(すべ)っては、抵抗むなしく強引にキリボシと引き離される。


「どうして……」

「どうしてだと?」


 今度は背後から突き飛ばされる体。転がった先で横たわる吸血鬼とぶつかっては、すぐに髪の毛を(つか)まれ、その物言わぬ顔を間近で見させられる。


「お前が殺したからだ。リノも、ギドも、そしてこのレオも」

「いいからもう放っておいてくれ……」

「だめだ。お前が私の質問に答えるなら、別だがな」

「アザレアさん……」

「キリボシ!」


 反射的に近づこうとしては押さえつけられる足。それでもとあがいていると、また髪の毛を掴まれる。


「お前なんだろう。リノを殺したのは」

「放せ……」

「アザレアさん、僕は本当に大丈夫だから……」

「ちょっと、この人間いくら何でもしぶと過ぎない?」

「キリボシ――!」


 ブチブチと音を立てる髪の毛を無視して、私は必死にキリボシへと手を伸ばす。それでも縮まらない距離に苛立ちを募らせては、感情的に振り回した拳が偶然にも鍋に触れる。

 アムブロシア……食べれば不老不死。そんな言葉が脳裏に浮かんできては、植えなければという一心で手を伸ばした矢先に、空の鍋が高く宙を舞う。


「あ……」

「答えろと言っているんだ! お前はリノの――」


 目の前も頭も真っ白になりかけては、耳元で怒鳴られているはずなのに小さくなる声。そうして迷い込んだ余計なものが削ぎ落とされた世界で、点でしかなかった違和感が急に繋がり始めては、線となってある方向へと思考を導いていく。


「始まりはマルタ村、次はバルバラ――」


 そう、始まりはラフレシアだ。あるはずのラフレシア。それがなかった。


「以降その消息を掴めずにいたが――」


 そう、消えたのはラフレシアだけではない。マンドラゴラもそこになければおかしいのに。


「そこに降って湧いたような人間の女騎士――」


 そう、一時(いっとき)宙に舞ったとしてもすぐに降ってこなければおかしい。アムブロシアの種は鍋の中に入っていたはずなのだから。


「ナディア攻め。消えたパス。マリーナで負傷してから、よく聞くようになったロサの名前。共和国からなぜか帰ってこないレダ。もうお前らしかいないんだ。お前らがリノをやったんだろう。なあ、頼むからそうだと言ってくれ!」

「そうだ」


 私は気が付くと、真顔でそう答えていた。


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