三十九品目 空腹に最高のスパイス1
ファフニールを共和国の外に運び出した日の黄昏時。いつものように夕食の準備として火を起こした私は、そのまま何となくでキリボシの調理風景を眺めていた。
「今日は何を食べさせてくれるんだ?」
「上で飛んでるでしょ?」
キリボシに言われるがままに赤く染まった空を見上げては、しばらくは見たくないと思っていた食材の早すぎる再登場に、嘘だろと目を瞠る。
「またカマソッソ……だと?」
「大丈夫、夕食は昼食とはまったくの別物だから」
「使う食材が同じでもか? 言っておくが少しぐらい味付けを変えたところでコウモリはコウモリだぞ」
「アザレアさんの言う通り、少しの変化ならね。なんとなく二食つづくような気がして、香辛料をとっておいたんだよ」
キリボシはそう言いながら鞄から小さな袋を取り出しては、その中身を空の鍋へと広げる。
「これはファフニールを落としたあとに、農場に訪ねて来た子からお礼にもらってね。何でもその子が言うには故郷の花の種らしいんだけど……」
「よく持ち込めたな。いや、そもそも魔王軍のことだ。子供相手ということで持ち物を調べているかも怪しいところだが……少し種を混ぜたぐらいで、別物と言えるほど味が変わるものなのか?」
「それは食べてからのお楽しみって言いたいところだけど」
キリボシはいつになく期待させるように、微笑を浮かべる。
「味だけじゃなく、香りも格段に良くなるよ。ただ食べてからだと遅いから、先に知っておいてほしいんだけど――この種、アムブロシアなんだよね」
「アムブロシア? アムブロシアか……」
有名な花の名前なら知っているかもしれない。そう思って繰り返し口にしてみるも、特にこれといった成果は出ない。
「聞いたことがないな。どんな花なんだ?」
「簡単に言うと、すごく珍しくてすごく綺麗な花だね」
「今のところ問題はなさそうだが?」
「そうだね。ただ食べると不老不死――人間だとゾンビになっちゃうんだけどね」
「問題大有りじゃないか!」
私はしっかりと叫ぶ。
「というかなぜそんなものを子供が持って――いや、そんなものの種を食っても大丈夫なのか?」
「なんで持ってたかってことに関しては想像でしかないけど、本当に湖面に映る青空みたいに綺麗な花だからね。子供心にもし見つけたら集めててもおかしくはないかな。あとは食べても大丈夫なのかってことだけど……」
キリボシは少しだけ考えるように視線を落としては、そうだねと小さくつぶやく。
「僕がなぜアムブロシアを知ってて、種なら食べられることを知ってるか。その理由を聞けばきっと納得できると思うよ」
「自分の体で試したからとか恐ろしいことを言い出すなよ?」
「まあ……試していないかと言うと試してはいるんだけど、その前に食べられることをドライアドに教えてもらってたから……」
「まさかとは思うが、アリアスじゃないだろうな?」
「残念ながら別のドライアドだね。それもかなり前の話になるけど、トレントを食べてたらいきなり襲われてね。長くなるから省略するけど、その時に色々と食べられる食材を教えてもらって、その中の一つがアムブロシアだったんだよね」
「お前……それでよく食べる気になったな。もしドライアドに悪意があったら、いや――そのドライアドが普通のドライアドだったら、確実にゾンビになってたぞ」
「僕もそう思うよ。いまさらだけどね」
どこか他人事のように笑うキリボシ。そのまるで反省していなさそうな顔にまた繰り返しそうな危なっかしさを見ては、無性に頭をかきむしりたくなる。
別に正直なのもお人好しなのも平時ならそこまで悪いことでもないのだが……いや、今は私がいるからいいのか?
そんなことを考えていると、キリボシはまた次の突っ込みどころを用意するように、鞄からくすんだ白い石を取り出しては、器用にも包丁を使って粉末状に削り始める。
「危険な花の種の次は石か。お前が学者で、いま作っているのが夕食でなければ、安心して見ていられるんだがな」
「ただの岩塩だよ。ファフニール産だけどね」
「いつからファフニール産の岩塩はただの岩塩になったんだ。それに見るからに不純物が多そうだが……ロサに貰った分はもうなくなったのか?」
「まだ少し残ってるんだけど、この先どうなるか分からないし、当てにし過ぎるのもどうかと思ってね。だから節約」
「そうか……水もそうだが、本来なら魔法を使える私がどうにかすべき……いや、どうにかできれば、それで済む話なんだがな」
「別にそれで困ってるわけでもないし、僕は全然大丈夫だけどね」
キリボシはむしろと、その過程が旅の醍醐味だとでも言うように笑う。
「ただ水と違って塩は本当にないところには無いからね。最近は野良も減ったし、吸血鬼に会えるなら、積極的に魔王軍に関わってもいいぐらいなんだけど……」
キリボシはそう言うと岩塩を鞄に戻し、その代わりにラフレシアの葉とマンドラゴラを取りだしては、不意に手を止める。
「あら、気づかれたみたいだけど?」
「片方残ってればいいだろ」
振り向きざま剣を引き抜いたのとほぼ同時――開けた荒野であるにも関わらず、いつの間にやら深まった夜の闇に乗じて、迫りくる影にいつかの教会のような閉塞感を感じては――私は無意識に神聖を解き放っていた。




