三十八品目 カマソッソの煮込み
「まだいたんですか」
昼下がり。畑で少し遅めの昼食をキリボシと用意していると、レダがやってきて呆れた顔でそう言った。
「お前こそまだいたのか。意外と律儀なんだな?」
「律儀、ですか……そうですね。だからさっさと出国してください。今日はそれを伝えに来ました」
「なんだ、魔王軍でもかなりの上役かと思ったが、三日目でもう音を上げるとは、そうでもないんだな?」
「何を勘違いされているのかは知りませんが、私はただの秘書ですよ」
「そのただの秘書にベルニは足をすくわれたのか。まあ、あいつが本当にパスの後任かは怪しいところだがな。それで? 次は私たちの足をすくう準備が出来たから出て行けと、そういうことか?」
「そうだと答えれば出て行ってもらえるんですか? 私は気を利かせろと言われたからそうしているだけのこと。これ以上居座るというのであれば、私からはもちろん報告しませんが、アイタナや共和国がどうなっても知りませんよ」
「なんだ、気が利くじゃないか」
「話し相手が欲しいなら他をあたってください。用件は済みましたので私はこれで失礼させてもらいます」
レダは言うが早いか、さっさと背中を向けては踵を返そうとする。
「待て待て」
つれない奴だなと引き留めては、迷いながらも一応は振り向いてくれるレダ。つぎ適当なことを言えばもう待たないと険しい顔で睨みを利かされては、もはや冗談を言えるような雰囲気でもなく、分かったわかったと苦笑と共に頭をかく。
「いや、こちらとしても出ていきたいのは山々なんだがな。このままラフレシアを残していくわけにもいかないだろう?」
「そんなこと私は知りませんよ。そもそも後先考えずにバカみたいに育てるからそうなるんです」
「なんだ、気が合うじゃないか。だが植えた張本人もまさかここまででかくなるとは思ってなかったはずだ。だろう? キリボシ」
「どうなんだろう。僕自身、ラフレシアを育てるのは初めてだから……」
「だそうだ。ここはひとつ、早期の出国のためにも魔王軍のレダさんから助言をもらいたいところだな?」
「あなた方という人は……」
レダはあからさまにため息を吐いては、心底あきれたと頭を抱える。
「事前の知識もなしにラフレシアを要求したんですか? まあそれで共和国の問題がひとつ解決しかけているわけですから、それは歓迎すべきなんでしょうが……」
「魔王軍としてもこの国から病気がなくなれば得だろう? だから教えろというわけではないが、例えばお前の独り言を偶然その場に居合わせた私たちが聞いたとしても、お前に損はないだろう?」
「取引に応じたからといって、私が損得で話すと思ったら大間違いですよ。それに頼むなら頼むでやり方というものが――」
「お願いします」
私は普通に頭を下げる。
「もしかしてふざけてます?」
「まさか。迂遠なやり方が気に入らなかったんだろう? それとも素直なのもお気に召さなかったか?」
「そういう態度が……もういいです」
レダは一度眉間にしわを寄せながらも、すぐに目頭を押さえては真顔に戻る。
「ラフレシアは花が咲いたあとは自然と花に養分が集中します。それに応じて外側の葉は枯れていくわけですが……大聖堂より広く育ったとなると、残る葉の数も相当でしょう。何にせよ、処分に困っているというのであれば、私のほうで処分しておきます。当然、その際は専門家に任せることになるでしょうが」
「専門家ね。それでお前らは少しだけラフレシアについて詳しくなるわけか。まあいいだろう。だがいい教材だからといって専門家の言いなりにならず、確実に処分しろよ? 私たちのせいでこの国が不毛の地になりでもしたら、アイタナに何を言われるか分からないからな」
「またお願いですか? 私がそれを叶える理由はありませんが……まあ考えてはあげます。専門家が男であればの話ですが」
「なら精々、祈っておくさ。ああそれと、ついでにそこのファフニールも頼めるか? もう胃の中を開いたから用済みなんだが」
「ああ、昨日の……すでに魔力の放出が始まっているようですが……」
「今日中に共和国の外へ運び出すつもりだったんだがな。私たちはあれだろ? 出国の準備で忙しいだろ?」
「出国するときに一緒に持っていけばいいじゃないですか」
「それで腹が減っても食えないから置いていくと言っているんだ。それとも何か? お前が共和国の外で夕食に招待でもしてくれるのか?」
「あなたは面倒ごとを押し付けたいだけでしょう?」
「まあまあ、ファフニールのことはその辺にして。昼食が出来たよ」
ようやくかとキリボシに目を向ければ、当然と鍋の前に並ぶ三つのお椀。レダにとってそれが吉と出るか凶と出るかは知らないが、どうやらキリボシはこの気味の悪い煮込み料理をレダにも食べさせるつもりらしい。
「今日は死の蝙蝠の煮込み。量があるからよかったらレダさんも食べて行ってよ」
「カマソッソ……」
レダは本当かと鍋をのぞき込んでは目を瞠る。
「なんだ、コウモリは嫌いか?」
「いえ、それよりもこれはどこで?」
「畑に飛んでたのを捕まえたんだよ」
キリボシは簡単そうに言う。
「でもこんな昼間に飛んでるなんてね。ピクシーじゃないけど、ラフレシアの匂いか何かに誘われてきたのかな?」
「そうですか」
レダはそう興味なさげに告げると、すぐに背中を向けて歩いていく。
「おい、昼食ぐらい――」
「うるさい」
はっきりと拒絶するレダは取り付く島もない。まあ無理に食べさせることもないか。そう考えていると、何を思ったのかまた戻ってくる。
「昼食を済ませたらすぐにこの国を出てください」
「どうした、何かあったのか」
「いいから私の言うことを聞きなさい」
「分かった。ならこれでお別れだ。最後に飯ぐらい食っていけ」
「食べたら出て行ってくれるんですね?」
「ああ」
仕方ないですね……そう渋々と腰を下ろすレダ。キリボシからお椀と匙が手渡されては、箸を寄こせとすぐさま匙を突き返す。
「驚いたな。お前らに箸を使うなんて文化があったのか」
「サキュバスの食文化は人間と大差ないですよ。だからコウモリなんかほとんど食べませんし、何なら私はこれが初めてのコウモリです」
「大丈夫。カマソッソはなぜかいいもの――新鮮な果物ばかり食べてるから甘くておいしいよ」
羨ましい奴だな。そう思っていると、初めての割りに一切の躊躇なくお椀に箸を沈めるレダ。思い出したようにいただきますと告げては、一口目からそこかとカマソッソの頭部へと大胆にもかじりつく。
そうして続けざまに二口、三口と食べ進めていくレダ。相当気に入ったようだなと黙って眺めていると、急に箸が止まる。
「どうした、水か?」
「話しかけないでください。うっ……とても美味しいです」
「本当は?」
「味はとにかく甘いだけ。肉は柔らかいですが噛むたびに匂いが――獣臭さが口の中いっぱいに広がるので息を止めていたくなります。加えてスープからはなぜか尿のような臭いが……」
「やれやれ、好き嫌いはよくないぞ? というわけでキリボシ、私は急用を思い出したので――」
「そんなわけないでしょ! 逃がさないわよ! キリボシ! あなたも協力しなさい!」
まったく、レダも学習しない奴だな。キリボシにはサキュバスの魅了が通用しない。はずなのに……なぜか協力的なキリボシという予想外に見舞われては、レダに食べさせられたカマソッソは確かに砂糖のように甘かった。
あと獣臭くてスープは尿みたいで――ああ、早く帝国に行きたい。
昼食後すぐ、急かすレダに言われるまでもないと別れを告げては、私とキリボシは結局ファフニールと共に共和国を後にした。




