七品目 スライム
城塞都市、それは大森林を天然の防壁として、その内側をくりぬくように建築された――今は亡き王国と帝国とを結ぶ、人と物との中継地だ。
そしてバルバラが城塞都市と呼ばれるが所以である二枚の外壁は元より、特定の国に属することなく、その広大な敷地を維持し続けられているのは、当然市民一人ひとりの頑張りあってこそだが、要するに誰よりも金持ちなのだ。
元々の成り立ちが、交易の拠点としての意味合いが強いからこそできる特異な都市運営と保てる独立性。それを可能にする財力こそここでは至上とされ、それを生み出す商人が最も尊ばれ、同時に力を持っている。
つまりそれ以外――特に金を生み出さない者たちは排斥の対象とされ、そうでなくとも一般人にとっては住みづらく、寄り付きづらい場所ではあったのだが……それがレティシア陥落後、どうやら余計に加速してしまったらしい。
「すごい人だ……みんな僕たちみたいに、どこからか逃げてきたのかな?」
「さあどうだろうな。ただレティシアからバルバラとなると、大森林を抜ける以外に魔王軍を避けるのは、不可能なようにも思えるが……」
シャビエルの件から丸二日。二人して入城待ちの長蛇の列に並んでは、平時とは違う、異様な空気に包まれたバルバラのその外壁を随分と遠くに見る。
本来であればただ手続きを行うだけの場所。それが今では人で溢れかえっている。そもそもこれほどの順番待ちが発生すること自体、異常であるからにして……一体この列の中から、どれだけの者が入ることを許されるのだろうか。
若干の不安を感じながらも、同時にバルバラで良かったと安堵のため息をつく。これほど成熟した都市でここまでとなると、他の小都市や自前で壁を持てないような村は、今頃避難民に押しつぶされているやもしれない。
「この調子だと今日中には入れなさそうだな」
「そうなるとご飯が心配だね。野草続きでアザレアさんも他のものが食べたいだろうし」
「食べた直後の気分は最悪だが、おかげで体調はいい」
何ならレティシアにいたころよりも調子が良いような気がする。身体変化もいつもより乗りがいい。
「今ならテングダケの毒も効かないかもな」
「他の都市なら目の前に生えててもおかしくないんだけど……」
キリボシはやれやれと苦笑する。
「森にも手を入れてるみたいだし、おかげで近づけば近づくほどろくなものが手に入らない。流石はバルバラって感じだよね」
「ここの商人なら毒キノコだって売れるなら採るだろうしな。まあ、価値が無くてもそれに価値をつけるのがあいつらのやり方だが」
「この野草だってもしかしたら? そう思うと少しだけ楽しみになってきたよ」
「効能はあるんだ。ある程度胆力のある者――例えば元冒険者や兵士になら欲しいというやつもいるかもな。そういう意味でいえば、下手に内側に入るよりも、このまま外にいたほうが得られる利は多いかもな」
「野草を食べながら野草を売るのかい? アザレアさんがそんなに野草が好きだったとは知らなかったよ。嫌がってたのも実は表面上だけだったりして」
「そんなわけあるか。吐いたのも片手で数えるほどしかないんだぞ」
「ならやっぱり入るしかないね?」
「元からそのつもりだ」
だが……実際のところ、持ち合わせの少なさから言って、とてもではないが長居はできないだろう。そもそもがこれだけの人数だ。いくら入り口を制限したところで、その母数が大きければ確実に内側を圧迫する。
そして決壊――そうなることを商人たちは看過しないだろう。となると……考えられるのは選別。残酷だがある意味で合理的な振り分けは、金勘定で生きる商人なら、人心を無視してでもやってのけるだろう。
いや、すでに行っているとしたら――外から集まってきたと思い込んでいた彼らは、もしかするとその過程で内から追い出された、市民たちなのかもしれない。
「あり得ない物価高になっていたら、食事どころではないな……」
まだ見ぬ現実に自然とこぼれ出た呟き。誰に向けた者でもない、当然隣のキリボシも何も言わなかったそれを一体どこから聞きつけたのか。小さなカゴを手にした子供たちが、一人の少年を先頭にして駆け寄ってくる。
「安いよ!」
「何?」
「買ってよ!」
「いや……」
何を? そう言うと少年は無邪気な笑顔を浮かべてカゴの蓋を外す。そうして中身を見せられては、いくらなんでもこれはないだろうと、カゴから距離を取るようにそっとキリボシの方へと手で追いやる。
「わあ、スライムだ」
「お姉さん買ってよ!」
「いらない……」
「お兄さん買ってよ!」
「うーん……」
腕を組んでは悩み始めるキリボシ。買わないのにそんな期待させるようなことをするなと思ったが、キリボシの本気の横顔を見て、すぐに考えを改めさせられる。
「少年、参考までに聞いていいか?」
「うん! 安いよ!」
「いや、値段をだな……」
「安いよ!」
なるほど。自分で決めろということか。ある意味で値が付くのかも怪しいような商品を売りつける、もとい売るには賢いやり方だろう。
まずもって売れればそれでよし、高く売れればなお良しと言ったところか。ちょうどいい。商人としてバルバラに入る前の肩慣らしに思いっきり買い叩いてやろう。
「一銅貨、いや、二でそのカゴ全部だ」
「売った!」
「え――」
交渉は? そんなもの最初からないと、チラつかせた銅貨を少年にもぎ取られては、次から次へとカゴを押し付けられた挙句に、持てなくなったところで足元にまで置いて行かれる。
「ええ……」
「今日のご飯が決まったね」
「ええ……」
「それにしてもスライムに銅貨二枚も払うなんて思い切ったね」
「いや、買う気はさらさら無かったんだけどな。まあ、カゴを買ったと思うことにするさ」
しかしよりにもよってスライムか……食べたくはないが、食べるとして、一体どこをどうやって食べるのだろうか。それだけは少しだけ気になってしまう。
「大丈夫。ちゃんと食べられるよ。栄養は――まあ、食べてみないと分からないんだけど」
「はっきりしないな、食べたことはあるんだろう?」
「もちろん。ただスライムは個体差が激しいんだよね。単純に育った環境やそれまでにどれだけ栄養を得られたかにもよるんだけど……そうなるとより確実なほう――例えば野草とかを食べたほうがいいかなって、やっぱり思っちゃうんだよね」
「話を聞く限り当然だな。私ももし食べるならスライムよりは、野草のほうが良いに決まってる。スライムは、なんだ。どうしても不衛生なイメージがあるしな」
「それは仕方がないかもね。でも誰も見向きもしなくなったものを養分に変えて、また自然に還元してくれてるって考えたら、実際すごく有難い存在だよね」
「それはまあそうだが……」
手渡されたカゴの一つをのぞき込んでは、どこに目があるのかも分からないそいつと顔を見合わせる。
「そうだな。植物だと思えばそう印象は悪くないか。実がなる木も、元はと言えばそういったものを養分にしているわけだしな」
「その通り。じゃ、食べよっか」
いただきます――キリボシはそう言うと、当たり前のようにカゴからスライムを取り出しては、ろくに止める間もなくそのうねるの体にかじりついた。
「おいっ!」
「うわっ、だめだこれっ、はずれだ」
キリボシは慌てた様子でスライムを投げ捨てる。ただそれだけでは収まらなかったのか、これだからスライムは……などと、キリボシらしからぬ非難の声まで聞こえてきては、もはや食べようという気などさらさらなくなってしまう。
「せめて火は通さないか?」
「そうしたいのは山々なんだけど……ね。スライムは熱を加えると、すぐに蒸発しちゃうんだよね」
「よし、今すぐ森に逃がしてやろう」
「銅貨二枚」
「ぎくっ」
そう言われると勿体ないような気がしてくる。せめて一口ぐらいは責任をもって、自分の舌で確かめてみるべきだろう。
恐る恐るカゴに手を突っ込んでは、冷たくも温かくもない泥状のそれを掴むというよりかは、優しくすくい上げる。そして迫る瞬間――本当に食べる必要があるのかと、危うく冷静になりかけては、キリボシの視線に気づいて、覚悟を決める。
今のところこのスライムについて分かっていることは一つだけ。キリボシ曰く、外れがあるということだけだ。当たらないまでもせめて外れないでくれ!
「いただきます!」
勢い任せにうねるスライムの体をかじりにいく。歯触りはほぼ液体、そしてなんと味がない。これは――!
「くさい!」
反射的に目に入ったキリボシへとスライムを投げつける。そうして人目も気にせず吐き出しだしては、目元に涙を浮かべる。
「あーくさい! くさいくさいくさい! くさい!」
「そんなに?」
呑気なキリボシはやめておけばいいのに、確認するように受け止めたスライムをかじっては、あ、ほんとだ、などと分かり切ったことを繰り返している。
「ほんとに当たりがあるんだろうな!」
「当たりはないよ。外れてないのがたまにあるだけで」
「たっ――たまに……?」
絶句とはこういうことを言うんだろうか。ただもうこの匂い――言うなれば腐った何か、そう腐った何かからは、当分逃れられない。となるともう、やることは一つしかない。
「意地でも食べられる個体を当ててやる」
「アザレアさん……僕も付き合うよ。まあ、僕の場合は当たっちゃうんだけどね」
「言ってろ!」
そうして二人して食べること十、追加でもう十、更に追加で合計三十。結局当たりは引けなかったが、なんだかんだで腹は膨れた。あれ? 意外と悪くないかも……?