三十七品目 ファフニールの苔
灰色の巨体、遠目からでも分かる石のようなゴツゴツとした見た目。これで飛竜となるとファフニールしかいないわけだが……。
ピクシーを食べた次の日の昼。農場のすぐ傍まで戻ってきていた私は、避難する子供たちを横目に共和国の上空――曇天の下を飛ぶ巨大な飛竜を睨みつけていた。
「また剣が折れることになるかもな」
そうなった場合、お世辞にも質が良いとは言えない共和国の剣が次の候補に挙がってくるわけだが……とりあえず合流するかと駆け出しては見計らったように反対側から駆けてくるキリボシ。
ならばとすぐに方向転換してはキリボシもそれに合わせてくる。
「まさか本当に警備としての出番がくるなんてね!」
「ああ。しかしここがレティシアかバルバラ、せめてマリーナなら私たちは大金持ちになっていたかもしれないわけだが……」
「ファフニールは鉱石のほかに宝石も好んで食べるからね。胃の中にまだ消化されてない財宝が残されてるかも、なんて、本当に夢があるよね」
「まあそれも言ってしまえば見た目がただ綺麗なだけの石ころに、宝石としての価値を見出す奴がまだ残っていればの話なんだがな。今となってはファフニールから財宝を見つけ出すより、そんな余裕のある奴らを見つけ出すほうが難しそうだ」
確かに、とキリボシは苦笑する。
「それで? もうラフレシアが見えて来たけど……」
「そのラフレシアを使う」
駆けては辿り着いた畑の一角で膝をつき、躊躇なくラフレシアの葉を引きちぎっては、あまり気乗りはしないがと生でかじりつく。
くさい……くさすぎるがとりあえず胃に収まりさえすればいいと、両手で押し込むようにして一枚を平らげる。
「うっ……」
全然慣れないなと、息を吐くのも吸い込むのも億劫になりながら、それでもとべたつく手で引き抜く剣。その切っ先を上空のファフニールへと向けては、全身に魔力がみなぎり始めたのと同時、余剰分としての排出も始まる。
「さっきからずっと同じ場所……工場の上を旋回してるみたいだけど、まさか材料の鉱石を食べるか、武器を食べるかで迷ってるのかな?」
「大穴で大聖堂と迷っているという可能性もあるがな」
「あー、そうかも。僕は今回あまり活躍できなさそうだし、大聖堂のほうに――」
「心配するな。活躍の機会と場なら私が用意してやる」
上空を旋回するファフニール。その規則性があるようでない動きにようやく目が慣れてきては、うまくいってくれよと剣に魔力を流し込んでいく。
本来なら時間がかかりすぎるため、戦術には組み込みづらい剣の形状変化だが……今は違うと、膨大な魔力にものを言わせて強引に加速させては、常に動き続けるファフニールの一歩先へと糸のように伸ばしていく。
「捕まえた!」
「まさか引きずり下ろす気?」
「逆だ!」
キリボシの腕を掴んでは勢いよく地上を離れる。そうして伸びた糸を手繰り寄せては、見る見るうちに上がっていく高度。
糸が短くなるにつれて周囲の気温が下がり、激しい頭痛がし始めては、キリボシもそうだろうとまた魔力にものを言わせて強引に落ち着かせる。
「ヴリトラより刺激的だね!」
「なんだって!」
「ヴリトラより面白いってこと!」
言ってる場合かと、強く握りしめるお互いの腕。振り落とさんと激しくなるファフニールの動きに、さすがに登らせてはくれないかと背中に降り立つのは諦める。
「おい! 何とかしろ!」
どうにかこうにかあと少しというところまで近づきながらも、風圧と攻撃的な尻尾に邪魔されては縮められない距離。どうするべきかと攻めあぐねていると、不意にキリボシの握力が弱まる。
「アザレアさん! 投げて!」
「ふざけるな! 近づけもせずに吹き飛ばされるのが――」
「こっちから近づかなくても、あっちから――」
なるほど、と。話の途中で都合よく襲ってきた尻尾に合わせてキリボシの手を離しては、半ば叩きつけられるようにして竜との距離をゼロにするキリボシ。すぐに背中を目指して竜の岩肌を登り始めては、不意に竜の体が赤く発光し始める。
「キリボシ!」
ファフニールが炎を吐くというのは聞いたことがない。ただ目の前で起こっているそれは、どう見てもその前触れだった。
障壁――いや、ラフレシアで補強されているとはいえ相手は竜だ。そもそも張り合うこと自体、間違っている。
しかし今はやるしか……剣の形状変化が維持できなくなる可能性から目を背けては、分厚い壁ではなく、壊されることを前提にした薄くとも連続した壁をイメージをする。
「アザレアさん!」
不意に一瞥されては一瞬で済む意思の疎通。本当に大丈夫なんだろうなと竜が振り返るのに合わせて糸を解いては、一足先に地上へと向かって落ちていく。
直後にキリボシへと向かって吐き出されるドロドロとした炎。空中に回避したキリボシを視界に捉えては、回収しようと糸を伸ばし始めるよりも早く、旋回し終えた竜がキリボシを標的と定めて進路を取る。
そしてぶつかる巨大な点と小さな点。竜が農場へと進路変更したのを見て、糸の向かう先をキリボシから竜へと切り替えては、今度は難なく背中へと降り立つ。
「アザレアさーん!」
そこにいたのかと頭上に糸を伸ばしては引き寄せる体。あとは無事に着地するだけだなと大人しくなった竜を無理やり数回羽ばたかせては、畑に盛大な穴を作る。
「ほれぼれするような着地だね」
「風を上手く操れる奴なら穴も出来なかっただろうがな。それよりもケガは」
「手がしびれてるぐらいかな。アザレアさんは?」
「私は問題ない。しかしまさかファフニールが炎を吐くとはな」
「炎っていうより吐しゃ物って感じだったけどね。もしかしたら発火しやすい何かを大量に食べてたのかも」
「かもな。ただその分だと胃の中は期待できなさそうだが……こいつは食えるのか?」
「僕は食べないかな。アザレアさんが食べたいなら挑戦してみても――」
「いやいい。食えないというか、食わないのは知っていたからな。ただ食べないなら共和国の外に落とすべきだったかもな」
「あー……魔力の拡散。お昼にちょうどいいかなってそこまで考えてなかったよ」
「なんだ、食べないんじゃなかったのか?」
「ファフニールはね。まあ楽しみにしておいてよ」
含みを持たせるように笑うキリボシは冒険者時代にレティシアで見た、無垢な悪ガキのようだった。それからいつものように火を起こしてはすぐのこと。
「お待たせ」
「やけに早いな」
「軽く炙っただけだからね。今日はファフニールの苔だよ」
「苔?」
思わずと聞き返しては、ファフニールを一瞥する。確かに岩肌の表面にはところどころ苔がついているが……。
「苔にファフニールが関係あるのか?」
「さすがはアザレアさんだね。ただファフニールがどう苔に関係してるかは食べてからのお楽しみかな」
「まあ魔物と違ってただの苔にいまさら躊躇する理由もないが……いただきます」
皿の上で頭を焦がした緑の苔。箸で優しくつまみ上げては、口に放り込む。食感は軽く炙ったというだけあって表面はサクっとしているが、あとはただただ柔らかい。苔自体の匂いは無臭だろうか?
鼻と喉にくる強い爽快感が余計だが、味は普通に苦いだけ。総じて食べられなくはない、そんなところだが……。
「石鹸みたいだな。いや、もちろん味わって食べたことはないから想像なんだが」
まあ魔物よりはマシ。そう気にせず食べ進めていっては、四つ目の苔で天を仰ぐ。
「ひ……渋い、ひぶい海水みたいな味がする」
「おー、もう分かっちゃったと思うけど、ファフニールの苔は取れた場所によって味が違うんだよね。だから食べてて飽きないし、時には新しい味と出会えたり……僕の方は今回まだ出会えてないから、正直アザレアさんが羨ましいよ」
どこが? そう思ったが舌が痺れて何も言う気になれなかった。
「お! 酸っぱい石鹸だ!」
大喜びするキリボシを横目に、私はまた天を仰いだ。甘ったるい鉄ぅ……。




