三十五品目 シェフの処方箋10
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窓の向こう――夜暗へと消えていくアザレアの背中。それを部屋の中から見送る二つの視線。穏やかなアイタナと苛立ちを隠せないレダの対照的なため息が重なっては、両者はどちらからともなく顔を見合わせる。
「アイタナとか言いましたね。とりあえず礼を言っておきます」
「お気になさらないでください。私には選択肢がありませんでしたから……どうにかなってよかったです。ただその代わりと言ってはなんですが――」
「分かっています。魔王軍への報告は私から。心配せずとも、共和国がこの件で責任をとらされることはないでしょう。ただし――」
レダの目が妖しく光っては、アイタナを真っすぐに射貫く。
「答えなさい。あの二人を裏で操っているのは誰ですか?」
アイタナは口を閉ざしたまま、ただレダを正面から見据え続ける。
「名前が分からない、あるいは無いのですね? ではその者の種族、印象、喋り方、どのようなことでも構いません。貴方が知っている限りを話しなさい」
アイタナは微動だにしない。
「貴方の本当の名前を教えなさい」
「アイタナ・ディビシオン・フェメニーナ」
「これ以上の追及は無駄なようですね。いいでしょう」
レダはそれで用は済んだと言わんばかりに、すぐさまアイタナから床に転がるベルニへと視線を移す。そうして足早に近づき、まるで持ち手に手を伸ばすようにベルニの腕を掴んでは、強引に引きずりながら扉へと向かって歩いていく。
「あ……え? あれ? レダ様? アザレアさんとの約束は――」
「取引と言いなさい」
「では――」
「三日です。それ以上は待てません」
「ありがとうございます!」
「礼を言うのは早いですよ。それはつまり、彼らの命もあと三日ということなんですから」
物言わぬベルニと共に部屋を後にするレダ。扉が閉まるのに合わせてアイタナがホッと一息ついては、見計らったように部屋に新鮮な空気が吹き込んでくる。
「あの二人、帝国まで無事に行けるといいんだけど……」
アイタナが窓からのぞく夜空には、奇しくも暗雲が立ち込めていた。
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「キリボシ! おい! いったい……どこまで掘ればいいんだ!」
月明りもない深い闇の中。キリボシを追いかけては共和国の農場まで走る羽目になった私は、なぜか焦るキリボシに押し切られる形で、畑の土を掘り返していた。
「本当は工場の方まで持っていきたかったんだけど……まさか植えてもないのに周りの魔力で発芽するなんて……」
キリボシはぶつぶつと独り言のように呟き続ける。どうやら考え事に集中しすぎて、声が届かなくなっているらしい。
「やれやれ」
仕方のない奴だなと拳を作っては、さすがにやりすぎかと平手に変えて、いやいや刺激がなくてはと結局あいだを取るように手刀を振り上げては、いつまでやっているつもりだと穴を掘り続けるキリボシの脳天めがけて振り下ろす。
直後に情けない声を上げては現実に戻ってくるキリボシ。すぐさま思い出したようにラフレシアの種を穴に落としては、大急ぎで上から土をかぶせていく。
「水は良いのか?」
「もちろんあげたほうがいいんだろうけど、少し確かめたいことがあってね。僕の予想が正しければラフレシアは人食い植物みたいなものだから」
「それはつまり、なんだ。ラフレシアは魔物ということか?」
「うーん、魔物というか……植物というか。魔物で植物というか……ラフレシアはよく荒廃した森で発見されるから不毛さの象徴みたいに扱われてるけど、実際はその逆で。肥沃な土地でしか育てない寄生植物だから――」
「待て、とりあえず寝る前に聞く話じゃないことだけは分かった」
それがほんの数時間前のことだ。そして来た道を引き返すのも面倒だと、畑で眠りについた数時間後の今――私は皿の上で香ばしい匂いを漂わせる、広げた手の平よりも大きく分厚い一枚の葉を前に、どう口に運ぶべきかと頭を悩ませていた。
「ラフレシアの葉のステーキね……」
「恥ずかしがらずにかぶりつくといいよ」
「いや、恥ずかしいというか、そもそもステーキなら切り分けるべきというか」
「それが出来ない理由があるんだよね。まあ、出来ないというか、しないほうがいいって感じだけど」
「その方が美味いということか?」
キリボシは何も言わない。ただニコニコと笑っては、珍しく私が先に食べるのを待っている。
「食べてからのお楽しみということか。期待させてくれるな」
手元の皿へと視線を落としては、真剣にステーキと向かい合う。葉はステーキというだけあって、こんがりと焼きあがっているが、だからといって元の艶のある緑が完全に失われているというわけでもない。
むしろほどよく残った緑がラフレシアはあくまでも植物であると告げているようで――キリボシの魔物に近いという言葉と、見守るという態度が気にならないでもないが、切るのみならず、刺すなとも言いたいのであろう。フォークの代わりに渡された頼りない箸で無理やり重たいステーキを持ち上げてみては、我ながらその無理やり具合に苦笑する。
箸が折れるまでに食べきれるか?
「いただきます」
注文通りに大胆に一口。硬くはないが厚い皮を破った感触に続いて、その内側からこれでもかと溢れてくる大量の水分。直後に若干の酸味と甘み、そしてやや強い粘性を舌で捉えては、遅れて刺激的な腐臭が鼻を突き抜けていく。
「くっさぁっ!」
「やっぱり?」
やっぱり? 思わず詰め寄りかけては、二口目を急かすように皿から零れ落ちていく粘性の液体。反射的にもったいないと皿の下に口を潜り込ませては、純粋な水とは違うひねくれた動きに翻弄された挙句、盛大に鼻先で受け止めてしまう。
「うがあっ!」
「ラフレシアの葉は匂いに難があるだけで、栄養は満点。何なら水分も補給出来る、森で出会えたら嬉しい食べ物なんだけどね」
くさいくさいくさい! もはやこうなった以上、ただ逃げ出したのでは後に不快な記憶が残るだけだ。勝たなければ。食べて栄養にしなければ。わずらわしさと共に箸を投げ出し、素手で葉を掴んでは、ただ完食だけを目指すことにする。
「ラフレシアが寄生植物で、もしかしたら魔物に近い存在なんじゃないかってことは寝る前に話したと思うんだけど――その理由はまだだったよね。まあそれも推測でしかなかったんだけど、簡単に言うとラフレシアは森っていう宿主から明らかに養分とは別の何かを吸収してる。これは食べたから分かることなんだけど……」
キリボシはのたうち回る私を無視して、嬉しそうに笑う。
「まさか魔力ならいいなーが本当になるなんてね。それもこれも、アイタナさんが機転を利かせて種を手に入れてくれたから、確認できたことなんだけど……イゴルさんやカーラさんにも感謝しなきゃね。二人と出会ってなかったら、僕にとっての魔力は今でも触れないし、目に見えないもののままだったから。まさか器次第で食べられるなんて思いつきもしなかっただろうし」
「な――なるほどな」
ラフレシアの葉、その最後の一口をどうにか飲み込んでは、苦し紛れに上げた声。残された腐臭は依然として強烈だが、そこに意識を向けなければと、とにかく目の前の会話に集中する。
「言われるまで気づかなかったが、確かに周囲の魔力が薄くなっている」
「ラフレシアは大食漢だからね。まだまだ育つし、まだまだ食べられるよ。ただ食べ過ぎると体調を壊すから――っていうのも、今なら簡単に説明がつけられるよね」
「お前が食い物で体調を崩すか。まるで想像できないが、実際にこの短時間でここまでの変化をもたらすとなると……ラフレシアが成長過程でため込むことになる魔力の量は、常人なら軽く致死量を超えるだろうな。だからこそ時間さえあれば、共和国から病気をなくせるんじゃないかと期待もしてしまうわけだが……話を聞く限りだとラフレシアは放置できない。ここが不毛の大地になってしまうからだ。ただそうはならないように食べてしまおうと考えているのなら、一つ問題がある」
「え? そうなの? 僕はもう解決した気になってたけど……」
「保持できる魔力量には限界がある。ただ食べて取り込んだところで、使わなければ余剰分として排出されるだけ。それに今までは使いたくても使えない理由――周囲の魔力が及ぼす影響を考えれば、気安く使えるものでもなかったわけだが……」
ラフレシア様様だなと苦笑する。
「今は危険な賭けをせずとも、ここで使うことが出来る。そうだろう?」
「食後の運動かあ、健康的ですごくいいね」
「そうだな」
たまには戦闘以外で体を動かすのも悪くはないだろう。それが子供たちの健康を助けることに繋がるのなら、それ以上のことはないのだから。




