三十五品目 シェフの処方箋8
「取引に応じる気はないみたいだな?」
「いいや? 私はただ取引を成立させる上で、こういう方法もあると一つの選択肢を提示しているだけだ」
「力ずくで奪うと? やれやれ、そうなる可能性を私が考えていないとでも思っているのか? もしそうなら見当違いもいいところだ」
「なんだ、軍でも引き連れて来たのか? それならそれで都合がいい。たかが身分を証明するために、お前も斬られたくないだろうしな。私がパス様の最高の部下であることを示す、いい試金石になってくれることだろう」
「まだ言うか。だがその度胸だけは認めてやる。大したものだ。そして私はそんなお前らを評価したからこそ、ここにいる」
ベルニはそう言うと、自らの存在をひけらかすように椅子から腰を上げる。
「私の名はベルニ・バロ。パスの後任としてこの地を任されることになったが、今は私怨でここにいる。パスの部下――デルガド・バロは私の大事な弟だった」
「なるほどな。お前が真に知りたいのは弟の行方か。だが――」
考えが甘いなと、私は肩を竦める。
「パス様やイゴル様の行方不明を、この場で初めて聞かされた私たちがそれを知っているとでも? 例え知っていたとしても初めに話す相手はお前ではない。まあだからこその取引なんだろうが……私がパス様を裏切るとでも?」
「まあいいさ。お前らのように魔王軍に潜り込もうなどと、思いつくだけならまだしも、実際に行動に移すようなバカは得てして口を割ったりはしない。そんなことは分かっていたことだ。だからこそこいつを連れてきた」
ベルニはこれ見よがしに背後のサキュバスを一瞥したのち、勝利を確信したようにキリボシへと目を向ける。
「私がパスの後任に選ばれたのもそうだが、まさかサキュバスを借り受けられるとはな。己の運の良さを今日ほど実感した日はない」
「それもこれもお前の持論が正しければの話だがな」
「正しいさ。お前らが共和国に現れた日、そして方角、更に種族まで考慮すれば……人間の多いここなら怪しまれないとでも思ったか?」
「弟を失い、疑心暗鬼になっているお前には、そのすべてが都合よく見えるんだろうな。しかし仮にもパス様の後任を名乗るなら、もう少し視野を広く持ってもらいたいものだが……アイタナやそこのサキュバスはこれから苦労するな」
「あくまでも白を切るつもりか。私としては事と次第によってはこのまま見逃してやってもいいと、何なら実力次第で部下として迎え入れてやってもいいと、本気でそう思っているんだがな」
「パス様ならまだしも、お前に私たちが扱えると? 笑わせるな。すでにお前の中では私たちを黒と決めつけているようだが、せめてその思い込みの激しさを直してから――」
「ではこういうのはどうでしょう。ベルニ・バロ、死になさい」
「ああ、分かった」
直後に自らの手でその首をねじ切っては、ドサリと音を立てて床に倒れるベルニの体。一瞬、目の前で何が起こったのか完全に見失いながらも、無意識に引き抜いた剣の切っ先をサキュバスへと向けては、表面上だけでも平静を取り繕う。
「どういうつもりだ。お前の上役ではなかったのか」
「そうですね。ですがこれで貴方たちは灰色ではなくなった」
「灰色? お前は何を言っているんだ」
「察しが悪いですね。このことを――ベルニが死んだことを魔王軍に報告すれば、貴方たちはその瞬間から黒になる」
「ふざけるな。お前のやったことがなぜ私たちのせいに――」
そこまで言葉にしては、そういうことかと頭を抱えそうになる。どうやらこのサキュバスは今まで出会ってきたどの魔王軍よりも、覚悟が決まっているらしい。
「そうです。貴方たちは反論することが出来ない。なぜなら魔王軍ではないから」
「もし私たちが魔王軍だったらどうする気だったんだ」
「へ?」
あさっての方向から聞こえてくる間の抜けた声。驚いては座ったまま目を丸くするアイタナに、いやいやその反応はおかしいだろうと今度は天を仰ぎそうになる。
「アイタナ、私たちのことを報告したのはお前だろう? いまさら思ってもみなかったなどと――」
「ち、違うんです! 私が報告したのは……」
言いにくそうにしながら私とキリボシを交互に見るアイタナ。しばらくして乱暴に頭をかいたのち、勘違いしてほしくないのですがと落ち着いた声で話し出す。
「こうでもしなければマンドラゴラもラフレシアの種も手に入らない、そう思ったからです」
「へぇ? 賢い人間ですね。それに運も良い。後任がデルガドの行方に固執するベルニでなければ、仮にそこの二人が本当に魔王軍であった場合など考慮せず、取引などと悠長なことは考えなかったでしょうから」
「そうですか……」
アイタナは顔を俯ける。ただその緊張が透けて見える横顔は、単純に自らの運の良さに安堵している、というわけではないようで。
「アザレアさん、それから……キリボシさん。お二人は本当に……」
「ああ、魔王軍ではない。もはやこうなった以上、隠す意味もないだろう。今回ばかりはそこのサキュバスの捨て身にしてやられたな」
「お褒めに預かり光栄です。では話して頂けますね?」
「話すも何も、私は私の意思でここに来た。それ以上でも以下でもない」
「聞き分けの悪い人間ですね。私がサキュバスということをお忘れですか?」
「忘れてなどいないさ。それどころか、ベルニが本当にパスの後任なら、かなりの実力者ということになるわけだが……私がいま心配しているのは胃もたれの方だ。お前はアイタナと違って、見るからに脂っこそうだからな」
特に胸部が、とは言わずに視線だけをアイタナからサキュバスに移しては、それまでのしおらしさを捨てて勢いよく席を立つアイタナ。そのままずかずかと大股で歩み寄ってきては、至近距離に満面の笑みが浮かぶ。
「アザレアさん、いま私のどこを見てそう言いました?」




