六品目 生野草3
そうして辺りに漂う血生臭さが、濃厚な青臭さに変わったころ。素人目にも本当かと疑いたくなるような、それはまるで……吐しゃ物のようなスープが完成する。
「作らせておいてなんだが、見た目は過去一の最悪さだな」
「それは僕も思う。でも栄養は満点、疲れた体には最高のごちそうだよ」
言いながら差し出されたお椀を受け取っては、軽く匂いを嗅ごうとしたところで、思わず天を仰ぐ。
「うっ、なんだこれ。湯気が目に染みるぞ……」
「冷めると最悪だから、熱いうちに召し上がれ」
「あ、ああ……」
最悪か。キリボシにそこまで言わせる状態がどのようなものなのか、少しだけ怖いもの見たさのようなものはあるが――要するに出来立てが一番マシ。そういうことらしいので、さっさと食べてしまうことにする。
「いただきます」
「うん、いただきます」
刺激的な深い緑を木の匙ですくいあげては、無意識の内に躊躇しそうになったところで、これは体に良いものだと言い聞かせて無理やり口に放り込む。
苦い! やはり苦かった。だがこの苦さはテングダケのそれとは少し違う――そう、ピリピリと舌がしびれるこの感覚は、まさか渋み? そこまで考えたところでギリッと嫌な音が鳴っては、歯を食いしばっていることに気付く。
あー苦い苦い、苦い! 体にそう訴えられては、平気な顔をして食べているキリボシを横目に、やるしかないと目を閉じては熱々のお椀の縁に口をつける。
これは薬、これは薬、これは薬、これは薬、これは薬――口内を火傷しながら涙目で飲み干すと、目を開けたところで、なぜかキリボシが拍手で出迎えてくれた。
「さすがアザレアさんだね」
「がらだに……体に本当にいいんだろうな?」
「それはもちろん、保証するよ。それに食べてしまえば、後味はそう悪くないでしょ?」
「味……ああ、だめだ。思い出してしまった。何かないのか、なにか――」
辺りを見回しては目に入る草の束。後味自体は我慢できないほどではないが、ムカムカと暴れる胃をおさえつけるように、それしかないのならと鷲掴みにする。
「体にいいんだよな?」
「アザレアさん……?」
とにかくなんとかしないと――その一心で、気が付いた時にはもう、生のまま無我夢中で手にした野草をかじっていた。
「おえー!」
「せめてあく抜きしないと……って、アザレアさん大丈夫?」
盛大に吐き戻しては、あとに残る強烈な渋み。ただ幸いにも、胸のむかつきはそれで収まってくれた。
「わ、悪い……少し取り乱した。それにせっかく作ってくれたのに……」
「僕のほうこそ、余計なこと言っちゃったね。でも大丈夫。僕がおかわりしても、まだもう一杯ぐらいは余分があるから」
「そうか。それならよかった」
朗報を聞いているはずなのに、なぜか沈んでいく気分。知らず知らずのうちにまた歯ぎしりが出そうになっては――キリボシが鍋に水と新たな野草を追加したのをみて――気分転換に話題を変えることにした。
「そういえば、これからどうするつもりなんだ? マルタ村は仮宿にしても危険すぎるし、まさかこのまま森に住むつもりじゃないだろうな?」
「うーん、一応ここには水もあるし……」
「そんなことだろうと思ってはいたさ。城塞都市に行くぞ」
「え? でも僕らはもう冒険者じゃないし、バルバラに入るための許可証だって――」
「それなら心配するな」
そう言って懐から一枚の分厚い証書を取り出す。
「商人用の通行手形だ。こんなこともあろうかと、レティシアを出るときにかっぱらってきた」
「かっぱらってきた……どさくさに紛れて盗んだってこと?」
ちょっとした冗談のつもりが、そうは聞こえなかったのか。不意にキリボシの目が糾弾するように細くなる。
「違う違う」
初めて見る顔に困惑しては、すぐに手を振って訂正する。
「たまたま魔王軍から逃げるレティシアの商人をまあ、なんだ。助けてな。私は別に見返りを求めて戦っていたわけではないし、何なら断ったんだが……」
「マルタ村でのワイン、いま思い出しても美味しかったね」
「お前も盗んでるじゃないか! まああれは、持ち主不在だが……」
「そうだね」
やれやれ……一杯食わされたなと、ニコニコとしているキリボシを前に、それとなく頭をかく。
「まあ、なんだ。とにかくバルバラになら入れる。まあ、入れるだけなんだが」
「入ってそこから先、どうするかだね。バルバラに知り合いは? ちなみに僕はいないけど」
「私が人付き合いがいいように見えるか? 一応言っておくが……そういえばお前は聞かないんだな」
「何を?」
「白々しいな。そういうのは嫌いだ」
「じゃあ聞くけど……アザレアさんって、もしかして……エルフ?」
「どう見てもエルフだろ!」
思わず叫んでいた。いけない、いけない。落ち着かなくては。キリボシはもう二度も目にしている。隠す隠さないの次元ではない。
しかし一度も他人に話したことの無いことをいまさら言葉にするというのも中々に難しいし、気恥ずかしい。いっそのことキリボシのほうから、あれこれと聞いてもらったほうが楽なのかもしれない。
「ご、ごめんっ。昔会ったことのあるエルフはもっと、こう、なんて言ったらいいのかな」
「傲慢か?」
「そ、そう! って言ったら失礼になるかもだけど……とにかく上から目線で、自分たちは絶対に間違わないとでも思ってるみたいで……何かにつけて否定的だし、すぐ怒るし……」
「かなり解像度が高いな。まあ、私がそうでないのは、かなり長いこと人の側に立っているというのもあるが――いや、そうだな。キリボシのほうこそどうなんだ? あの吸血鬼が言っていたが、エルフの国は滅んだらしいぞ。エルフに会ったことがあるなんて今時珍しいんじゃないか?」
「レティシアに来る前の話だね。砂漠でギザギザの赤い葉をつけた植物を食べてたら捕まっちゃって」
「百年草を食べたのか? あれは中毒性が高いからエルフの間では禁止されている……って、完全にお前が悪いじゃないか」
「そうなんだよね。でもお腹減っちゃって。ただ中毒性が高いってのはよくわからなかったかな。味も普通だったし、食べすぎるってこともないと思うんだけど」
「そもそもが神聖な儀式に使用する特別なものだからな。採集を禁じていたのも全体の数を減らさないように――そういった側面があったのかもな」
「確かに自分の手で育てるのは難しそうな見た目をしてたけど」
「いや――お前……」
あまりの常識知らずに頭を抱えそうになる。いや、これはエルフにとっての常識か。
「花をつけるのに百年かかるから百年草って……聞かされなかったか?」
「ずっとすごい剣幕でまくしたてられてたから……その、あれだね。そんなに貴重ならもう一度くらい、見る機会があっても良いかもね」
「そうだな……」
「でもあんなに栄えてたエルフの国がなくなっちゃうなんてね。あんまりいい思い出はないけど、それでももう行けないって考えると、少しだけ寂しく感じるよ」
「私を売り飛ばした連中の国だ。気を遣う必要はない。それも他国から軍を引っ張るためだけにな。見ろ、この痛々しい赤髪。これがどこぞの権力者の趣味だと思うとそれだけで吐き気がする」
「えっ、また吐きそう?」
「それぐらい気持ち悪い……って、比喩だバカ」
まったく……本気なんだか冗談なんだか。ただ一つだけ分かったことがある。キリボシは相手がエルフでも人間でも、変わらず配慮のできる人間だということだ。
「私たちはバルバラに行く。それでいいな?」
「うん。実は一度、商人ってのになってみたかったんだよね」
「お前は料理人のほうが合ってるよ」
「僕はアザレアさんの赤い髪も似合ってると思うけどね。コルジリネみたいで」
「相手の知らないもので例えるな。褒められてるのか分からないだろ」
「あれ? エルフの国の近くで結構見かけた花なんだけど……」
「花か……花なら、そのうちに見に行ってもいいかもな」
「そのためにはまず英気を養わないとね。お待たせ、栄養満点の野草スープ、出来上がり」
「やれやれ……」
苦笑を浮かべてはキリボシをチラ見する。こいつはまた飲み干したところで拍手で出迎えてくれるだろうか? 力強く目を閉じては、たぶんするんだろうなと、本日二度目のスープを一気にあおった。