三十五品目 シェフの処方箋2
「案内してくれてありがとう、トムさん」
「いや……俺は別に何も」
ディビシオン大聖堂の前で照れるトムと別れては、まるで遊びのない外観を下から見上げる。そこに何事かと大聖堂の中から別の少年が駆けてきては、繰り返される本日二度目の自己紹介。
聖女様に会いに来たことを伝えると、何事もなく大聖堂の一室へと通される。
「しばらくお待ちください」
そう言い残しては足早に扉の向こうへと消えていく少年。トムから場合によっては明日になるなどと聞かされていた手前、具体的にどのぐらい待てばいいのか教えてほしかったが――今はそれ以上に、目の前のことが気になって仕方がなかった。
「部屋にあるのは卓が一つに椅子が二脚だけ。さて私たちはどうするべきか」
「よく分からないけど、とりあえず二人で座ってみる?」
「そうだな。こういうのは第一印象が大事だから、まずは相手を知るために挑発するところから始めてだな、っておい」
そんなことを結局立ったまま話していると、しばらくして叩かれる部屋の扉。いよいよかと気を引き締めなおしたところに、予想外にも椅子を抱えて現れた一人の女性は、当たり前のように自らの手で机と椅子を窓際に移動させると、そのまま部屋に一つしかない窓を開けながら先に座るよう促してくる。
「お前は私たちに何者か聞かないのか? この国ではそれが決まりなのかと思っていたが。そもそも私たちはお前を何と呼べばいいんだ?」
「どうぞ聖女でもアイタナでもお好きなように。ああ、お二人が同族でなければの話ですが、人間と、そう呼んでいただいても構いませんよ?」
聖女アイタナは微笑を浮かべる。その声は想像よりも低く、透明感のある少女のような見た目とは相反していたが、不意に部屋へと吹き込んだ風が彼女の真っ白な長髪を舞い上げては、そのあまりの美しさにどうでもよくなってしまう。
「そうそう、お二人のことは話に聞いています。アザレアさんとキリボシさんですね? パス様にこの国の警備を任されたのだとか」
「ああ……話が早くて助かるな。この国での自己紹介にはいい加減、飽き飽きしていたところだ。だがあまりこちらのやり方に口出ししてくれるなよ。警備を任されたのは私たちなんだからな」
「なるほど、ここに来られたのはそれを念押しするためでしたか」
アイタナはまた微笑を浮かべる。
「どうぞ、遠慮せずに座ってもいいんですよ?」
「長話をする気はないんだがな」
そうは言いながらも、聞きたいことは山ほどあったので大人しく席に着く。それを見たキリボシが遅れて横に、アイタナが正面に腰を下ろしては、さて何から話したものかと腕を組んだところで、先に説明してもいいですかと華奢な手が挙がる。
「ご存じだとは思いますが……この巨大な生産拠点、共和国は当然魔王軍によって囲まれていますし、隅々まで掃除の行き届いた辺り一帯は、常に清潔感に溢れています。つまり野良の魔物や部外者はここに辿り着くことすらできません」
アイタナはそこで自ら疑問を投じる。それなのになぜこの街の被害が無くならないのか。なぜ警備がこの街に必要なのか。
「魔王軍は地上の安全を完全に確保してくれていますが、空は違います。ただ出来ないからそのままにしているというわけではなく――この場合、そうするだけの価値と魅力が共和国に足りていないからでしょうが……つい先日も居住区に数体の竜が飛来し、被害が出たばかりでして……」
アイタナは適当に頷いているだけで興味深い話を調子よく語ってくれる。しかしトムもそうだったが、この街の住人は話すのが好きなのだろうか。それともただ外の人間が珍しいからそうしているのだろうか。
一応、私が知らないだけで魔力の影響という線もなくはないのだが……兎にも角にも、アイタナのおかげで色々と分かったことがある。
まず壁がないのは単純に必要がないから。窓がなぜか枠だけで放置されていたのは、竜の襲撃が原因――ただ復旧途中でありながら、街にそれ以外の痕跡が見られなかったのはどうしてか。その答えはどれも同じ形をした建物にある。
言ってしまえば共和国にとっては、窓の硝子よりも建物の方が簡単に替えの利くものなのだろう。見れば外からでも単純な構造であることは分かるし、作業工程が同じなら必然的に技術の上達も早い。
加えてその過程で生み出される統一された部品や材料は、いつ使うか分からないものではなく、いつか使うものとして予備としても持ちやすい。
「ですから警備はとても助かります。ただ――」
要するにこの街はとことん無駄を排して、効率化を極めている。それが分かると逆にその例から漏れている、この大聖堂の異様さが際立つのだが……。
しかし壊されること前提の街づくりか。誰が思いついたのかは知らないが、実に思いやりにかける魔王軍らしいやり方だ。
「特に工業地区に被害が出ると、魔王軍への武器の供給が滞ることになりかねませんので……そうなると共和国の存在意義に……あの、聞いてます?」
そういえばここはあいつの国なんだよなと、ふとパスの姿が思い浮かんでは、意外と腕力だけではなかったのかもなと、いまさらながら少しだけ評価を改める。
「――レアさん、アザレアさんっ」
「え? あ、ああ、続けてくれ」
「あの、私も別に暇というわけでは……聞きたくないのなら聞きたくないと、そうはっきり言っていただいた方が、お互いのためにもいいと思うのですが」
「僕は続きが気になって仕方がないけどね。アイタナさんの話はなんていうか、すごく聞き取りやすいから」
いや、なぜこいつは急に出てきて相手の活舌を褒めるんだ? そう思ったが、なぜか機嫌を直すどころか、良くしたアイタナを見て、静かに考えるのをやめた。
どうやらこの街の住人は本当に話すのが好きらしい。




