三十四品目 干からびたマンイーター
昼下がりにしては控えめな陽光、ときおり頬をなでる穏やかな風。まるで子供がこうあれと描いた絵のように、極端に平坦かつ広大な草原を行く馬車の荷台で、私は腹も減っていないというのに、気が付くとまた干からびた蔓をかじっていた。
「何が二、三日の距離だ……」
「そういえばもう四日目だね」
馬車の手綱を握るキリボシは、荷台に背を向けたまま、申し訳程度に肩を竦める。
「まあでも、ロサさんが持たせてくれた食料と水にはまだ余裕があるし、あと数日ぐらいなら無補給でも大丈夫だよ」
「しかしこう連日、人食い植物ばかりを食べているとな。確かに私も最初は肉以外が食えると、これだけでいいと喜びはしたが……」
「流石に飽きちゃった?」
「いや、よくよく考えたら普通に野菜じゃないしな。というか自分でいうのもなんだが、日常的に魔物を食べ過ぎて感覚がおかしくなっていた。マンイーターは肉でもなければ野菜でもない、森で狩ったり狩られたりするだけのただの魔物だ」
「そうかなあ? 僕的には植物性の魔物は、野菜に分類しても……」
「いいわけないだろ。というかロサもロサで、なんで当然のように魔物を用意しているんだ? 私たちの主食がそうだとでも言いたいのか? いや、実際そうなんだが――野菜を食べたいと言われたら、普通はトマトとかをだな……」
「普通かあ……難しいよね。同じ種族同士でもそれが一致しなくて、喧嘩になっちゃうこともあるわけだし。それこそロサさんはサキュバスで魔王軍なわけだから、僕らに合わせるのはきっと大変だろうし」
「なら今後の頑張りに期待だな」
「そうだね。次からはお互いにもっと歩み寄れるといいね」
キリボシはどこまでも前向きに捉える。
「まっ、マンイーターなんて名前をつけて警戒してるのも人間ぐらいだからね。他には小さな獣と、魔物だとゴブリンぐらいかな? 被害にあうのは。そう考えるとほとんどの魔物にとっては、本当に野菜と変わらないのかもしれないし」
「確かにな。魔王軍なら畑に並べるぐらいのことをしていてもおかしくはない」
そうは言ったものの、いくら何でも他の候補を差し置いてまで、マンイーターを育てるだろうか? ありそうなところで恐らくは山菜のような扱い、あるいは森の厄介者として駆除したついでに食べる、そんなところだろう。
「まあ、ロサも今回ばかりは自重したのかもな。二人分の食料を数日分、それも明らかに人間用となれば、言い訳も手の込んだものが必要になるだろうしな」
「ロサさんにも立場があるからね。だからってわけじゃないけど、僕らのために無理はしないでほしいし」
「心配するな。あいつはちゃんと打算的だ。この共和国行きも、元をたどればあいつが勧めてきたことだろう?」
「そうだけど……友達だからね」
少しだけ心配だよ。キリボシは独り言のように言う。ただその辺のことは正直なところ心配しても仕方がないし、私からすればその義理もない。
ロサは結局のところ、魔王軍なのだ。そして私とキリボシはその敵対者――お互いに信用など成り立つわけがない。ただそれでも信じるとしたら、そこにあるのはお互いの利。要するに利害関係によってのみ、両者は繋がることが出来る。
そしてそれはロサが魔王軍をやめるか、私とキリボシが魔王軍に入るかまで続くことになる。まあ後者はあり得ないし、例え前者になったとしても、私は元魔王軍ということで結局ロサを信用することはないだろうが……。
「アザレアさん、これはあくまでも仮の話なんだけど、ロサさんがもし助けを求めてきたら――」
「無視する。自業自得だと笑ってやる。何なら協力するふりをして――」
「アザレアさん……」
キリボシはあからさまに肩を落とす。ただすぐに本当は? と冗談交じりに顔だけで振り向いてきては、初めから分かっていたさと苦笑する。
「本当も何も――あいつがやっているのは帝国への入場券とやらを餌に、私たちを共和国へと誘導しているだけだからな。他がどうかは知らないが、私たちがあいつの想定を越えない限り、そもそも状況がそこまで切迫することはないだろう」
「もしそうなるって分かったら、僕たちのことは切り捨ててくれるといいんだけど……」
「やるさ、躊躇なくな。それに私の経験上、裏でこそこそやる奴は、バレない自信があるからやるんだ。だからあいつの目的がなんであれ、それが私たちに利益をもたらすのなら、精々上手くやれ。それぐらいしか私たちから言えることはないな」
「精々うまくやれ、かあ……」
僕たちも上手くやれるといいんだけど。キリボシは独り言のように呟く。
「共和国は人の国らしいし、もしかしたらロサさんが思っている以上の成果をあげられるかも?」
「人の国ねえ……聞こえはいいが、魔王軍に滅ぼされたどこぞの国の跡地に、無理やり人間を集めて建国した、要するに張りぼてだろ? それに繰り返し助けてほしいという割に、何をどう助けてほしいのか、結局よく分からなかったしな」
「行けば分かるってことなのかな」
「かもな。もしくは罠か。あいつの言っていたナディア攻めが本当なら、私たちに何かをぶつけたいのかもしれないな」
そう言いながらマンイーターの入った木箱を荷台で物色していると、ついでにとキリボシから注文が入る。
「いくつだ?」
「うーん、三つ?」
「ほら」
投げては弧を描いた先でキリボシの手に収まる、干からびた蔓。口では連日マンイーターであることに文句を言いながらも、意外と癖になる味なんだよなと一口かじっては、ああこれこれと魚の内臓のような苦みに納得する。
「これで落ち葉が腐ったみたいな匂いがしなかったら、最高なんだがな。しかしいつになったら共和国とやらに着くんだか……そもそも今の魔王軍に人の手が必要だとは思えないし、ここまでくるとその存在自体、疑いたくなってくるわけだが」
「実は馬じゃなくて竜とかグリフォンで二、三日だったりして」
「もしそうなら、仮の話が現実になるだけだ。あいつは私に助けを求めることになる」
またまた、とキリボシは冗談でしょと笑うが、あと二日も見つからなければ未来の私は確実にそうするだろう。
「しかし魔王軍ならグリフォンとは言わないまでも、フェンリルの一頭や二頭ぐらい、気前よく貸し出してくれてもいいだろうに」
「それってどっちが早いの?」
「さあ?」
「アザレアさんって、時々そういうところあるよね」
そういうところ? どんなところだろうか。そうつい考え込むようにして黙り込んでいると、不意に馬車が急停止する。
「どうかしたのか?」
「え、ああ……なんていうか、気のせいかも。一瞬、肌がピリついたような……」
「そうか? 私には分からなかったが……引き返すか?」
「うーん、近いってことなのかも?」
キリボシが再び馬車を動かし始めては、しばらくして吸い込んだ空気を勢いよく吐き出す。
「キリボシ、どうやら気のせいじゃないみたいだぞ」
「やっぱり?」
「ああ、馬車は止めなくていいぞ。周囲の魔力が濃くなっていると言っても、カーラの森の足下にも及ばない程度だからな」
「そっか……最近この辺りで何かあったのかもね。ロサさんが馬にしたのも、もしかしてその辺に理由があったりするのかな」
「どうだろうな。ただ薄くてもこれが魔力溜まりなら、尚のこと魔物をよこせとそう言いたいところだが……まあ、実際のところは、馬なら返さなくていい。国にそのまま置いていけるからとか、その辺が理由だろうな。そんなことより――」
荷台から身を乗り出しては、本当にあったのかと地平線に目を凝らす。
「おいおい……思ったよりも大きいぞ。これはレティシア以上じゃないか? 魔王軍はいったい何を考えているんだか」
「でも壁がないみたいだけど……」
「そんなわけあるか。冒険者なんて制度が生まれるぐらい、世界は魔物で溢れているというのに。いまどき小さな村でも――ああ?」
徐々にはっきりしてくる街の影。共和国と呼ばれる巨大な街には守るものがないのか、それともそうするだけの価値がないのか。壁が存在しなかった。




