三十三品目 ニグラスの木7
急に怒りを爆発させたかと思えば、一転して頭を抱えだすロサ。そのあまりの落差についていけないなと冷めた目で見ていると、放っておけばいいのに、キリボシが横から気遣うように声をかけては、ロサの両手が物凄い勢いで拳に変わる。
「誰のせいだと思ってるのよ!」
「お前の所為だろ」
「そうね! だからこんなに後悔してるんじゃない! ていうか、私も樹液って言われた時点でなんで分からないかな……なんで分からないかな!」
「まあまあ、別に体に悪いものじゃないってことは、僕で証明済みだし」
「キリボシは何食べたって大丈夫よ! そもそも日頃から魔力の濃いものばっかり食べてるアンタたちと、私を比べないでよ! どう考えたって魔力の過剰摂取……中毒症状でもし私が死んだりしたら、どう責任を取ってくれるのよ!」
「うるさい奴だな……そもそも、それはお前の推測が当たっていればの話だろう」
「じゃあアザレアには、この泥が精霊じゃないって、証明できるっていうの?」
「お前が自分で言ってたじゃないか。精霊は宿して使うものだと。そして宿していたであろう木はキリボシが破壊した。その時点で精霊は依り代を失い、外に流出してきたのがこの泥だ。つまりお前の理論であれば、これはただの魔力に過ぎない」
「ただの魔力だったら魔力だったで、それはそれで危険でしょ……ていうか、アザレアも気づいてると思うけど、もしそうならなんで私たちはそのただの魔力に触れられるわけ? 木を巣って言ってたのもそうだけど……例えばこの泥が依り代だったとするのなら、すべてに説明がつくじゃない」
「そうだ、と言いたいところだが、それは少し違うな。これは以前にもキリボシと話したことだが、例えばゴーレムに宿った精霊をどうすれば食べられるか。その答えがお前には分かるか?」
「知らないわよ。どうせそのまま食べるとかでしょ。器を壊さずにね……って、ああ、そういうこと? 精霊は壊れた器には留まれないって、そう言いたいのね?」
「その通りだ。その上であと少しだけ考えてみろ。この泥は果たして、器としての機能を残しているのか? とな」
「まあ……一応の筋は通ってると思うけど……」
腕を組んでは思索に耽るロサ。あと一押しで納得する、そんな風にも見受けられるが、結局のところ真実が分からないままに、どれだけ突き詰めたところでそれが仮説の域を出ることはないだろう。
何より、すでにドライアドの蔓などという、それらしいものを食べている身からして、この泥が何であろうと、栄養になるのであれば構わないというのが本音だ。
「ねぇ、一つだけ聞いてもいいかしら。私の聞き間違いじゃなければ、アザレアとカーラは泥に飲まれたって言ってたけど……仮に泥がすでに器として壊れてて、そこにはもう精霊が宿ってないとしても、例えば土で作られたゴーレムなら、壊れてもそのあとに土は残るでしょ? 泥が残ってないのはいったいどうしてなの?」
「さあな。自分で試したと言っていたし、キリボシが食べたんじゃないか? そもそも私は泥に飲まれたと思った次の瞬間には、カーラに叩き起こされてお前と対面していたわけだからな。当然、その間に何があったかなど知る由もない」
「なら聞く相手を間違えたわね。キリボシ?」
名前を呼ばれては傾けたお椀の裏から顔を出すキリボシ。その頬の膨らみ方からして、よほど腹が減っていたのか、もしくは話を振られることはない、そう踏んでいたのか。慌てて飲み込む姿にロサが笑いだしては、カーラからは苦言が漏れる。
「おぬしというやつは……相変わらずというか、何というか。もう少し――」
「その辺にしておいてやってくれ」
「まったく……泥がなぜ残っておらぬのかと、ロサは聞いておるのじゃ」
「泥? 泥が残らなかったのは、いわゆる魔力の拡散ってやつじゃないかな? 木を中心にして円状に波が広がっていったわけだから……それこそ数日前に、その直後に現れたロサさんはそれを見たから、この森に来たんだと思ってたけど」
「見てたらわざわざ聞かないわよ。ていうか直後だったんなら、もう少し慌てるとか顔に出すとか……とにかく知ってたら出来ることもあったでしょうに」
もっともなことを言うロサの横で、キリボシはそうなんだけどねと苦笑する。
「どうしても食べてみたくて」
「それで会って早々、私に二人を任せたの? 信用されるのは別に悪い気はしないけど、少し心配になる不用心さよね。てかアザレアは怒るでしょ」
「別に?」
それは事実だった。確かにロサは言われるまでもなく信用ならないが、だからといってキリボシの判断を疑うかと言われたら、それはまた別の問題だ。まあ、その場に居合わせたらなら反対するし、逆の立場だったらそうはしないだろうが……。
「そんなことより、お前がなぜこんなところに姿を現したのか、そのほうが――」
「ま、待つのじゃ。まだ結論が出ておらん。結局、あの木はなんだったんじゃ?」
聞かれてるぞとロサを一瞥しては、聞かれてるのはアンタでしょと強気に返される視線。いや、これまで饒舌に喋ってたじゃないかと、つい張り合いそうになるが、それで待たせるのも悪いなとすぐに考え直しては、カーラへと向き直る。
「カーラ、お前はこの森にドライアドはいない、そう言ったな?」
「ああ、言ったぞ」
「だからその、分かりやすく言えば、奴らはこの森にドライアドのような土地の管理者を生み出そうとしていた。そういうことだろうな」
「私はちょっと違うけどね。アザレアはダークエルフが安住の地を求めてたって、そう思ってるんだろうけど、本当に欲しかったのは心の安寧。要するに誰にも支配されたくないから、支配者になることにした」
「だから育てていたのは管理者ではなく、支配者だと? そんなのはどちらでもいいさ。結局のところ、ニグラスは生まれなかったんだからな」
「それはどうかしら。私たちの知らない場所で、もしかしたら生きてるかも、なんてね。木が壊れて喜んでたのは、きっとそれが理論的に正しかったから。でも実際には間違えてて……まあ、ダークエルフが成功例を知ってたならともかく、手探りなら自分たちの成功を信じるしかないわけだからね。だから器を巣って呼んでたり、泥に飲まれたり……もちろん、すべて上手くいってて、例えば器の要らない精霊が爆誕してる、なんてのもありえなくはないんだけどね」
まあそうなってたら、私たちが今も無事な理由が思いつかないんだけど――そう肩を竦めるロサから不意に目線が送られてきては、その真意を測りかねているうちに、鈍いわねとロサのほうから盛大なため息が漏れる。
「いまさら腹の探り合いなんて時間の無駄でしょ? なんて言ってもアンタのことだから、絶対に先には話さないだろうし……仕方ないから白状するわ。ここに来たのはいわゆる人探しってやつ。まあ、人じゃなくてデュラハンなんだけど」




