三十三品目 ニグラスの木5
「別にアンタらが普段から何を好んで食べようと、私には関係のないことだけどさ。せめて客人が来た時ぐらいはその偏食を控えようって、少しはまともなものを出そうって、そうは思わないわけ?」
「招いたつもりはないがな。嫌なら食べなければいいだろ?」
「私はキリボシに言ってるの。ていうかアンタもアンタで慣れ過ぎよ。それこそタダってわけにはいかないけど、二人分の食料ぐらいなら私のほうで手配してもいいんだし。アンタらがトロールやオークならともかく、あくまでも人間だって言い張るのなら、もう少し人間らしくしなさいよ」
「それならお前はもう少し魔王軍のサキュバスらしくしたらどうだ? 何のつもりでこんな茶番を演じているのかは知らないが――」
「言っておくけど別にアンタらに用があってここにいるわけじゃないからね? 私は別件でたまたまここに……って、別にいいならいいのよ。ていうかそこまで言ったからには、いざというときにお腹を壊しても私は知らないからね?」
「それこそお前はキリボシの料理を知らなさすぎる。確かにこの汁の見た目はお世辞にもいいとは言えないが……匂いは果実酒そのものだし、味も何ならいいかもしれない。それに今までの経験からして、体に悪いということは……」
そこまで口にして頭によぎるいくつかの出来事。特にと直近の雪山で食べたスノープラントを思い出しては、誤魔化すように咳払いする。
「やっぱり心当たりがあるんじゃない……」
「言い方を間違えただけだ。キリボシの料理で体調を崩したことはない。むしろバルバラで食べたネ――いや、なんでもない」
余計なことを言いそうになっては、咄嗟に口を塞ごうとしてお椀の淵へと口をつける。まずはと一口、勢い余ってたまらずむせそうになっては、前のめりになる。
「ちょ、ちょっと。無理しないでよ? 別に吐き出したって私はアンタのことをバカにしたりしないし――」
「悪くないな」
「え?」
「微かな塩味に酒の甘みがちょうどいい。鼻に抜ける香りは言わずもがな、口に入れた瞬間に分かる、まるで動物の脂を彷彿とさせるような不快感さえ胃に押し込んでしまえば、あとに残るのは酒を呷った直後のようなキツイ胸やけだけだ」
「要するにクセのある、お酒ってこと? まあだから何って感じだけど……」
ロサは興味がない風を装いながらも、本心では気になって仕方がないのか。そんな気持ちを見透かしたようにキリボシから差し出されたお椀を手に取っては、そっと口をつける。そして目を見開いたのち、信じられないとすぐに二口目をすする。
「気に入ってくれたみたいだね?」
「キリボシ、アンタの味覚はおかしいってずっとそう思ってたけど、どうやらそれも今日までね。使う食材に難があるだけで、料理の腕は確かみたいだし、まともなものを揃えれば――って、そういえば、この泥。いったい何なの?」
「ええと、樹液、かな? アザレアさんとカーラさんはもちろん知ってると思うけど、あの巨木のね」
「巨木? 確かにこの辺りの木はかなりでかいほうだと思うけど……そういうわけじゃないんでしょ?」
「もうないみたいじゃが……ダークエルフが育てておった木じゃ。森やわしら妖狐を犠牲にな。奴らはその木を例えるならば巣だとか、ニグラスだとか言っておったが……結局は何も分からずじまいじゃ」
「ふーん、まっ、何で貴方があのエルフのことをダークエルフって言ってるのかは知らないけど、その成り立ちからなんでここに流れてきたのかまでを考えれば、その木についても自ずと分かりそうなものだけど」
「そっ、それは本当か? もしそれが本当なら――」
そこまで言ってしまったと、慌てて両手で口を押さえるカーラ。相手は魔王軍だぞと小声で自分に言い聞かせては、別に仮説だし、少し調べればわかることよ? と苦笑するロサを前に、カーラは結局、出来る事ならばと口を開く。
「わしは弔うと決めた。そして生き残った。だからここで聞かないという選択肢はわしにはないのじゃ。頼む、仮説でもなんでもいいから聞かせてくれ」
「もちろんタダでな」
「はいはい、アンタに一つ貸しね? まあ、とりあえずなんでここではダークエルフなんて呼ばれてるか、呼んでるかは知らないけどさ。あのエルフがどこから流れてきたかを辿れば、砂漠からの分派だってことは簡単に――」
「待て、やはりあのエルフは砂漠の出なのか? 確かに完全とは言えないまでも天使を降ろす術は持っていたようだが……そういえばキリボシ、あの天使たちはどうなった? いや、どこへ行った?」
「さあ? 一緒に泥に飲まれたアザレアさんとカーラさんが知らないなら、それは誰にも分からないんじゃないかな。しいて言うならまだこの中だろうけど……」
キリボシはそう言いながらお椀、続けて鍋へと目を落とす。
「そうか……その泥の中から私たちを引き上げてくれたのはお前なんだろう? 手間をかけたな」
「元はと言えば僕が木に触ったのが原因だからね。まさかこんなことになるとは思わなかったけど。分かっていたらもう少しぐらい、話す余地があったかもね」
「エルフが多少話したぐらいで態度を軟化させるものか。それにこれ以上ややこしい知り合いが増えてもな」
苦笑するキリボシからそれとなくロサに目を向けては、返される不満げな表情。そういえば話の途中だったなと素直に詫びては、何故か借りが二つに増える。
「ともかく! あのエルフが元は砂漠にいたってことは、ちょっと歴史を紐解けばすぐに分かることなの。その上でなぜ砂漠を出たのか。その正確なところは分からないけれど、これは私が思うに追い出された――が正しいんじゃないかと思うわ」
そう結論付けた上で矢継ぎ早にロサの口から語られるのは、主にエルフ社会における罪の裁き方。そのほとんどが極端なものばかりなのだが……ロサ曰く、それが公平であった試しはなく、実際には例外が横行する特権的なものであったらしい。
要するに支配階級にあれば罪に問われない。
そんな横暴が許される一部においても、自らを特別視するという性質から逃れられなかった者たちが、そこでもまた横並びを否定し、そして見事、弾き出されたのがあのエルフたち――ロサの話を鵜呑みにするのなら、そういうことらしい。
「まあ、あのエルフたちが今でいう体制側だったんじゃないかってのは、アザレアの天使って言葉からのこじつけだけどね」




