三十二品目 ふくよかなバッタ
「少しは休まんか!」
夜暗に響く叫び声。ほぼ同時にキリボシの背中から飛び降りたカーラに何事かと目を向けると、すぐさま行く手をふさぐように正面へと躍り出てくる。
「いつまで歩くのかと思えば! いや、どこまで歩くのかと思えば! おぬしらというやつは……もう少しで森についてしまうではないか!」
その場で顔を赤くしては、言葉に熱をこもらせるカーラ。ただ早い到着の何が問題なのかわからなくて聞き返すと、カーラは真面目な顔で増々と語気を強くする。
「相手はあのダークエルフなんじゃ! 森についたところで疲労困憊では話にならんし、奴らがどこまで目を光らせているかはわからんが、森では安心して休める場所もないんじゃぞ!」
「心配するな。たかが半日歩いたぐらいでどうにかなるほど――」
「おぬしはダークエルフを知らんじゃろうが! 奴らはとにかく狡猾で陰湿で執拗で……有効だと分かれば待ち伏せも夜襲もするし、それこそ疲れさせるためだけに昼夜問わず、嫌がらせのように攻めては撤退を繰り返す様な連中で――」
「分かったわかった。確かに疲れていないとはいえ、万全の状態で臨めるならそれに越したことはないからな。今日はここで休む。それでいいな? キリボシ」
「僕とアザレアさんはそれでもいいけど……そうなるとカーラさんが食べるものがなくて困るというか……」
「わしは小食なんじゃ! 別に一日や二日、何も食べなくても問題はない!」
カーラは腰に手を当てては胸を張る。しかしとその直後にまるで見計らったように、しっかり鳴ってしまうカーラのお腹。嘘をつかせない食欲に顔を赤くするカーラは、勢いで誤魔化すようにその場で気のせいじゃと地団太を踏む。
「まあその、昼間の残りがまだあるから……」
「いやじゃ! 魔物だけはいやなんじゃ!」
「とはいえ、だよね。カーラさんも言ってたけど、森がもう安全な場所じゃないなら、なおさら食べられるときに食べておくべきだと思うし……」
「その通りだな。何よりカーラ、ダークエルフがお前の言う通りの悪辣さなら、妖狐が食べそうなものに毒を仕込む、それぐらいは当たり前にしそうなものだが?」
「確かにそれはあり得るじゃろうが……いや、きっとやっておるじゃろうが……」
言いながら視線を落としては黙り込むカーラ。正直、魔物が嫌だという気持ちは痛いほど分かるのだが……どうしたものかとキリボシに目を向けては、ワームや豆はどうなんだと間をとるように提案してみる。
「どうだろう。豆は見た感じなさそうだけど、ワームは探せばいるかも?」
「ワームも魔物なんじゃが……」
「なんだ、妖狐は雑食というわりにミミズも食べないのか?」
「あれのどこがミミズじゃ! やつらにとっては、わしらは餌同然。それを食べようと思うなんて、おぬしらはどうかしておる!」
「何をそんなに恐れてるんだ。森にもワームぐらい、いるだろうに」
「共食いじゃ! それに森の中にいるのは、木の根を邪魔とも思わない、小さな個体ばかりじゃからの!」
「共食い……」
そう言われると嫌でも頭を過ってしまう、マルタ村で食べたハーピィの味。ただ正確には私は人間ではないので、それに当てはまるかというと――。
「アザレアさん?」
「ワーム以外にしよう」
「え? でもそうなると……どうだろう。まあ、先を急がないなら時間はあるし、少し周りを探してみようか」
そう言って背を向けるキリボシをよそに、バッタじゃ! とカーラが叫んだのはほぼ同時だった。
「捕まえよう!」
走り出すカーラと当たり前のようにそのあとを追うキリボシ。すぐにアザレアさんもと声が飛んできては、暗闇の中、三人で跳ね回る虫を追い回す羽目になる。
そして軽く息を切らしては出揃う結果。キリボシ六匹、カーラ三匹、私は――。
「おぬしは二匹か。虫取りと甘く見たのかもしれんが、どうやら狩りはわしのほうが得意みたいじゃな?」
「おいおい、早計過ぎないか? 重さならどう見ても私の二匹のほうが、お前の貧相な三匹よりもかなり――」
「いやいや、どう見てもわしのバッタのほうがでかいじゃろ。妖狐の目は夜でも昼間のようによく見えるんじゃ。いくら暗いからといって――」
「まあまあ、二人ともその辺にしてご飯にしようよ。何なら僕のを三匹ずつに分けてもいいんだから」
いや、それにいったい何の意味が……ただ六匹に言われては仕方がないと、いったん勝負と両手に握ったバッタをキリボシに預けては、すぐに次の戦いを求めるように、カーラと並んで火おこしを始める。
「よしっ、火おこしは私のほうが早いみたいだな?」
「ぐぐぅ……」
決着がついては、馬鹿みたいに悔しそうにするカーラ。そこに笑顔のキリボシが近づいてきては、二人とも子供みたいだねと言われて、急に恥ずかしくなる。
「わしは子供じゃない!」
むきになるカーラについ先ほどまでの自分の姿を重ねては、自然と熱くなる顔。いたたまれなくなってその場を離れては、ほどなくして漂ってくる甘い匂い。
食欲には逆らえないなと、引き寄せられるようにキリボシの元へと戻っては――カラッと油で揚げられては――赤くなったバッタたちが出迎えてくれる。
「思った以上に、いい匂いだな」
「これはわしのじゃ! キリボシ、もういいじゃろ! いただくぞ!」
熱いから気を付けてね。そんなキリボシの心配をよそに、手づかみで口に放り込まれるバッタ。途端に幸せそうに頬を緩めるカーラの横で、キリボシが現実を突きつけるように昼間の残りを油にくぐらせ始めては、まあそうだよなと目を細める。
「なんじゃこのサクサクとした食感! それに香ばしさ! ただのバッタがなんでこんなに甘くてうまいんじゃ! 森の外は危険ばかりじゃと思っておったが、危険を冒してもいい草を食べて育つと、バッタもここまでうまくなるんじゃな!」
「そうかもね」
私にも見せたことがないぐらいに優しく微笑むキリボシを前に、いや、油で揚げて塩かけたら大体そうなるだろと、そう思ったが、あえて口にはしなかった。
こんなに喜んでくれるなら、たまには虫取りも悪くない。次はもっと頑張ろう。きっとキリボシもそう思ったに違いない。




