六品目 生野草1
鳥のさえずり、上昇する体温。差し込む日差しに顔をしかめては、ここ数日で気にならなくなった森での朝をまた迎える。
「ふあ……あ」
キリボシは――いないか。背中を預けていた木の根元から離れては、凝り固まった体をほぐすように大きく伸びをする。
昨晩はあまり深く考えずに、水のようにワインを飲んでしまったが……そういえばと赤い塩にまみれた繊維質なハーピィを思い出しては、自然と水が欲しくなる。
あのパサパサとした食感……一口目に感じた妙な酸味はそれ以上の塩辛さでごまかせたが、何を食べていたのか、雑食ゆえの臭さは結局どうにもならなかった。
「次は匂いだな……」
密かに目的を定めては、燻るたき火に枝を投げ入れる。体に焼かれるような衝撃が走ったのは、その時だった。
「おっと、動くんじゃないぜ? こっちも好きで危害を加えているわけじゃないんでな」
嘘つけ――そう思ったが、思うだけで言葉が出ない。おかしい。辛うじて剣を引き抜くことだけには成功したが、それ以上に動けるイメージが湧かない。
「しかし煙を頼りに来てみれば……まさかこんなところでお前に会うとはな。レティシアでは随分と邪険に扱ってくれたなあ? アザレア」
「おい! そんなことよりも見てみろ! あいつエルフだぞ!」
「ああ?」
ようやく木の裏から出てきたかと思えば、随分と遠くから姿を見せる二人組。剣士のシャビエルという男と魔法職の誰だったか――その顔には見覚えがあった。
なるほどな……それで何となく理解する。体に走った衝撃の正体、それは雷だ。
「ず、ずいぶんと――」
声を絞り出しては喉に激痛が走る。体に残る麻痺はあくまでも雷に打たれたことによる後遺症のようなもの。ただそれが今ある痛みや熱といった感覚にまで行き届いていないのは、単純に威力が不足していたからだろう。
もしかすると身体変化の魔法とたまたま干渉し合ったのかもしれない。とにかくこれが偶然であろうとなかろうと、相手がそういうつもりならやることは一つだ。
「随分と、好き勝手にやっているみたいだな。マルタ村の連中にも同じように電撃を浴びせたのか? どうなんだ? レティシア一の腰抜けパーティー、シガテラのお二人さん?」
「言っておくが俺たちだけじゃないぜ? ドクガもハネカクシも、城塞都市に向かった連中の中には、俺たちなんかよりも有名どころなのがごろごろいたぜ?」
「金級が聞いて呆れるな……レティシア防衛のために残った者たちは、初めからお前らなど当てにはしていなかったが」
「おかげで生き延びれた。お前もそうなんだろう? ここに来るまでにいったい何人殺した? いったいどれだけ奪った? 煙を見たときは、どんなアホかと思ったが……お前ほどの実力者なら歓迎するぜ?」
「しつこさは相変わらずか。ふっ、一緒にするな。奪う? まさか。殺す? どうして。魔王軍には手こずったが……ここらで野盗相手に憂さ晴らしというのもよさそうだ」
「手を組む気はない、か。いいだろう。そこまで言うのなら仕方がない。実はバルバラに入るのに手形が必要なんだが……このご時世だ。手に入らなくて困ってたんだ。だがお前がいればどんな城門だろうとこじ開けられる。俺たちの魔法のカギになってくれよ、アザレア。似合ってるぜ? その耳、その赤い髪」
全身を舐めまわすような気色の悪い視線、それも一つや二つではない。完全に囲まれたか……複数を仄めかした時点でそれは分かっていたことだが、それでも時間を稼いだことには十分な意味があった。
「寝込みを襲わなかったことを後悔するんだな」
「おいおい、見くびるなよ? お前が寝るときにいつも防御魔法を張っているのは知ってるんだ。レティシアの冒険者の間じゃ有名だったぜ?」
「臆病ゆえの情報通か。寝る間を惜しんで他人の寝起きを襲うのはお前らの勝手だが……それが原因で負けたとしたら目も当てられないな」
正面を向いたまま、それとなく周囲を探っては、並行して体調を確かめる。右腕、左腕……よし、感覚は鈍いがかなり戻ってきている。そして相手はまだそれを知らない。言うなれば情報の確度の差、まずはそれを利用させて貰うとしよう。
「寝不足で無い冒険者がいるものか。それよりもアザレア、まさかお前がエルフだったとはな。今更だが、なぜ魔法を使えるお前が剣にこだわっていたのか、その理由にも合点がいく。お前は使わないんじゃなくて迂闊に使えなかったんだ。魔力が枯渇するのが怖くてな。そうだろう? 誰よりも臆病なエルフちゃん?」
「その辺にしておけシャビエル。時間の無駄だ。それにどうもおかしい。近くで見てみないと分からないが、たき火の近く、もう一人いたような――」
まずい……キリボシが今どこにいるのかは分からないが、これだけの手練れを相手に生き残れる保証はない。探しに行かれたが最後、残忍な野盗相手では、どれだけ最善をつくしたとしても、ハーピィの時のようにはいかないだろう。
男が余計なことを言いださないうちにと走り出したはいいが、目測でたかだか数秒の距離がやけに長く感じてしまう。
「下がってろ!」
「やはりもう一人どこかに――!」
目の前の慌てようを見れば、不意を突くことには成功したと、そう言えなくもない。ただ相手に構えるだけの余地を与えてしまったのでは、結局その意味も薄れてくる。
それでもシャビエルに仲間を庇うという選択肢は押し付けられた。おかげで背中を気にしなければ、本来多対一のところが、正面では一対一の実力勝負だ。
正直、負ける気はしない。だが相手も馬鹿じゃない。時間をかければ自分たちの有利を思い出す。理想は一撃、キリボシが戻る前に全ての問題を片付ける。
「シャビエル!」
「アザレア!」
「アザレアさん?」
一触即発を過ぎてあとは爆発するだけ。そんな熱々な状況に水を差した呑気な声に、その場にいた誰もが思わず目を向けたが――私だけはそうしなかった。