二十八品目 王の実1
夜でもないのに天を覆う黒、それでもと分厚い雲に穴をあけては点々と差し込む線上の光。緑の消えかけた濡れた高原で薄い空気を静かに吸い込んでは、自然の気まぐれがもたらした雨上がりに岩の上に鎮座する人影と一本の木を視界に収める。
「キリボシ、あれがお前の言っていた、こちらを見つけたという相手と探していた木で間違いないのか?」
「そうだね。ただ後ろの木に葉が一枚もついてないってのは少し気になるけど……実はいっぱい生ってるみたいだから、一つぐらい譲ってもらえたりしないかな?」
キリボシは楽観的に言う。その横顔はまるで友人を相手にしているかのように、どこか警戒心にかけているようにも見えたが、またいつ雨が降り出すとも限らない中で、いつまでも遠くから眺めているだけでは何も進展しないのも確かだった。
「行くか……」
あまり気乗りはしないがと険しい顔を浮かべては、対照的な笑顔で歩き出すキリボシの横に並ぶ。そうして初めは緩やかに、次第に歩幅を大きくしては、足早に踏み出す間隔を狭めていく。
ほどなくしてはっきりとしてくる人影。全身を覆い隠すように頭からかぶった黒装束が不意に蠢いては、その場で止まれと警告するように岩の上から降りてくる。
「マチクタビレタゾ……」
耳に届く邪悪な声。アンデッド特有の無理のある発声にやはりなと剣を引き抜いては、飛びかかろうとしたところで、横からすかさずとキリボシに手で制される。
「何回も言うけど、僕は正常だからね? ただそれだけだとアザレアさんは納得しないと思うから説明するけど――あんなのはいつでも倒せる。でしょ? だから話ぐらいは聞いておいても損はないんじゃないかな。何より僕らはラミアの時から学ぶべきだと、そう思うんだけど……どうかな」
「一つだけ聞かせろ。お前はあれを食べる気か?」
「アンデッドは食べられないよ。腐ってるし。でも出来立てならって思うこともあるんだけど……うーん、アザレアさんは食べたいの?」
「食べたくない」
言いながら剣を鞘へと収めては、少なくとも言葉の上ではいつも通りだなと好きにさせることにする。ただしそれが成立するか否かは、どこまでいっても相手次第であることには変わりないのだが……。
「ありがとう、アザレアさん。さて――それじゃあ許しも出たことだし、少し話そうよ、アンデッドさん」
「ニンゲンラシイ、ゴウマンサダナ。ワタシをダレダトオモッテイル。セイレイジュツシにシテ、レンキンジュツをキワメタ、ダイマジュツシ。マオウグンのナカデモ、ヒイデタショウ――パスサマにツカエル、クグツのイゴルダゾ」
「ごめん、うまく聞き取れなかった。悪いんだけど、もう一回最初から言ってくれないかな」
「ナンダト、コイツ、シカシ、シカタガナイカ、ヨクキケ。ニンゲンラシイ、ゴウマンサダナ。ワタシを――」
「アンデッドに気を遣わさせてどうする。話なら私が聞いてやるから――」
「サエギルナ、ニンゲン。オマエニハ、ハナシテイナイ。ダマッテイロ」
そこまで言われては黙るほかない。いや、黙る必要などないのだが……よくある人間とみれば襲ってくるようなアンデッドとは違う、寛大さを目の前のアンデッドに見せられては、少しだけ会話の行き着く先が気になって耳を傾けてしまう。
それから特に口を挟むこともせずに、放置すること数分。ついにはキリボシが聞き、アンデッドがそれに答えるという構図まで出来上がっては、挙句の果てには木に生った実をくれるというところにまで話が進んでしまう。
「え、ホントにくれるの? でも葉っぱがない木に生る、青い実なんて初めて見たし……もらったところで食べられなかったら意味ないんだけど……どうしようか、アザレアさん」
「私に振るな。いや、それこそお友達のアンデッドに聞いたらいいんじゃないか? 随分と気に入られているみたいだしな。ただ仮に食べられるとしても、私は魔王軍の、それもアンデッドの手が入った実など、食べたいとは思わないがな」
「ハハハハハ! オロカなニンゲンノ、カンガエソウなコトダ。コノキはレンキンジュツにヨッテタンジョウシ、コノミはスイトッタイノチにヨッテノミ、セイチョウスル。ダガ、コレデはマダ、タダのマリョクのカタマリ」
言いながらアンデッドは葉のない木の下へと向かう。そして黒い外套の下から白い包帯に巻かれた細い腕を出しては、枝から青い実を一つだけ摘み取る。
「ウツクシイ……シカシ、コノミは、イレモノトシテコソ、セイレイをヤドシテコソ、ソノシンカをハッキスル。コノヨウニ――」
アンデッドの言葉に呼応してか、その内側から輝きを放ち始める青い実。正直なところ、精霊だ、錬金術だと言われてもまるで妄言にしか聞こえないのだが、それでも真実だというのなら証明してほしい気持ちもある。ただどうせ魔法の範疇にあるか、その延長にある何かをそう呼んでいる――もしくは魔王軍という集団の中にある自らを特別と位置付けるために、あえてそう呼称しているにすぎないのだろうと思いながらも、ちょっとした興味本位からその結果を見届けたくなる。
そして徐々に輝きが落ち着き始めては、完全に収まったところでその色を変える実。熟したとでも言いたげな赤色に、だからどうしたと落胆しかけては、アンデッドがそれにはまだ早いと、投げてよこすように、その実を宙へと放り出す。
「キョウミがアルノダロウ? ニンゲンニハ、スギタモノダガ……タベタイノナラ、トメハシナイ」
ころころと転がっては、キリボシの足元に到達する赤い実。遠目からは判断しきれなかったが、拳よりも一回り大きいそれに、当たり前のようにキリボシが手を伸ばしたところで、さすがに止めざるを得ないと横から肩をつかむ。
「よせ、もう忘れたのか。あの目にもそうやって無警戒にも触れたからこそ、影響を受けることになったんだぞ」
「別に警戒していないわけじゃないんだけどね。ただどうせ触るなら僕かなって、そう思っただけなんだけど……アザレアさんがそこまで言うなら、今回はやめておこうかな。まっ、そういうことだから、傀儡のイゴルさん」
「セッカクノキカイをボウニフルカ。タベレバ、ソレダケデ、ゼツダイなチカラをエラレタモノを……」
「見くびられたものだな。生憎だが、私もこいつも、そんなものは欲していない」
「食べてみたいって気持ちはあるけどね。あくまでも食べ物としてだけど。たまには豆以外のものも食べたいし。でもこう、いいところばかり聞かされるとね」
「タカガ、セイレイにチカヅクダケダ。ヒトカラ、ヨリジョウイのソンザイにナレルとカンガエレバ、ワルクナイハナシダとオモウガ?」
「へー、というと……ドライアドみたいになるのかな?」
「ドライアド……?」
キリボシの言葉を繰り返すアンデッド。直後に何がそんなに面白いのか、大げさに鼻で笑っては、違うと断言する。
「ソンナモノデハナイ! アレハ、ホンタイのキをウシナエバ、ソレダケデ、キエテナクナルヨウなゼイジャクなモノ。ツマリ、ニクタイをモタズ、ジャクテンのナイ、セイレイトハ、ニテヒナルモノ!」
「なら食べると肉体がなくなっちゃうってこと?」
「カワリニ、オワラヌ不死性とムゲンのマリョクをエラレルのダカラ、モンダイはナイダロウ?」
「傀儡のイゴルさんは食べたの?」
「モチロン!」
そう言って待ってましたとばかりに脱ぎ捨てる黒装束。さらに全身に巻かれた白い包帯を乱暴にも引きちぎっては、その下の骨格をあらわにする。
「最低でもリッチかと思っていたが……」
「ワタシはリッチダ! スケルトンでハナイ!」
周囲へと響く怒号に、私は思わずと苦笑する。何も悪い意味で言ったわけではなかったのだが……。
そもそもスケルトンで声を発していること自体、驚異的と言わざるを得ない。むしろ本人がリッチだというのであれば、そのほうがありがたいぐらいだ。
「タダ、カンチガイスルナヨ! ワタシハ、モトモトがリッチダッタとイウダケにスギナイ! イマのワタシハ、ソウ! イウナレバ、不死の王!」
「リッチから王か。ずいぶんと出世したものだな? しかし従えるものもなしに王を名乗るとは、さすがは元がアンデッドなだけはある」
「ハハハハハ! ソレナラモウ、ナゲテヨコシタ。イッタロウ? ソレハ、タンナルイレモノダト――」
咄嗟にキリボシと共にその場から飛びのいては、隆起する大地。現れると同時に土塊の巨人がその拳を叩きつけたのは、アンデッドから反感を買っていた私ではなく、気に入っていたはずのキリボシだった。




