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五品目 吸血鬼の血潮

 月明かりを頼りに真っすぐに教会を目指す。そうして村の中心へと近づくほどに強くなる腐臭(ふしゅう)。空腹に狂わされてしまった者たちの末路(まつろ)を横目に、視界の端で見覚えのある金色を捉えた私は、ふと足を止める。


「……非情にもなれず、かといって英雄にもなれずか」


 一緒になって略奪(りゃくだつ)でもしていれば、こうはならなかったものを。

 腐った体で歩き続ける男の首元には、冒険者という枠組みの中では私と同格であることを示す金色が、血に濡れながらも鈍く輝いている。

 それだけでも村を(おそ)った野盗の実力がある程度分かるものだが、男は多対一を強いられたのか。体に残る多様な傷跡からその数まで何となく予想がついてしまう。

 まあ村を襲ったのが一組だとは限らないわけだが……。

 得られた情報の対価を支払うようにせめてと男に終止符を打ち、一か所に集まり始めたゾンビを撒くように、私は教会へと走る。

 キリボシも言っていたが、長居は禁物だろう。今はまだゾンビだけだが、その内に厄介なアンデッドが誕生しないとも限らない。

 しばらく走っては見えてくる教会の入り口。躊躇なく飛び込み、すぐさま後続を断つように後ろ手で扉を閉める。

 真っ暗でもおかしくない教会の内部は、意外にも天井近くのステンドグラスから差し込む月明かりのおかげで、探索するに十分な明るさを保っていた。


「おや、こんな時間に来客とは珍しい。はて、連絡係はハーピィと聞いていたが、どこで羽を落としてきた?」


 不遜(ふそん)な声に私は気が付くと剣を抜き放っていた。しかしと標的を定められずに彷徨うことになる剣の切っ先。すぐに違うそうじゃないと自分に言い聞かせ、頭の中で状況の整理を始める。

 声は確かに聞こえた、が――実際には影も形もない。

 いや、半端に明るいがために目に頼ってしまったが、間違いがあるとすればそこだろうか?

 そう、例えばだが探している相手がそもそも実体を持っていないとしたら?

 つまり闇に(ひそ)んでいるのなら屍霊(アンデッド)の類、教会という構造物そのものに潜んでいるのならば不定形な魔物の類。

 人の言語を操る以上、可能性として高いのは前者であろう。となると不遜な声の(ぬし)がアンデッドの上位種であろうというところまでは、容易に想像がつく。

 ついでにハーピィを連絡係として使っているとなると……まあ十中八九、相手は魔王軍で間違いないだろう。


「そう警戒するな。何、連絡係を脅かすのが私の最近の趣味でな。いやはや、辺境を任された身で贅沢とは分かっているのだが――退屈がこれほどまでに苦痛だとは思わなかった。出来ればその物騒なのを収めて、二人でワインでも酌み交わさないか? その程度の時間はあるだろう?」

「悪いが遠慮させてもらう。レイスにワイト、レティシアではお前の仲間をこれでもかというぐらいに斬ったからな」

「おいおい、そんな下等な者たちと私を一緒にしてほしくはないな。しかし霊体のレイスを斬ったと抜かしたか。それに連絡係でもないとなると……レティシアの生き残りと言うからには、それなりに期待していいんだろうな?」


 なるほど、と納得するのと同時に私はどうしたものかと閉口する。

 人をまったく恐れないのはアンデッドによくあることだが、同族を見下すのは自らを特別とする不死の賢者(リッチ)や吸血鬼によくみられる傾向だ。

 その上で日が暮れてから接触してきたとなると――その正体は吸血鬼で間違いないだろう。


「答えずか。いや、(おび)えているのか?」


 そう背後から告げてくる吸血鬼の声。無視して気配を探っていると感心したように手を叩かれる。


「微動だにしないか。吸血鬼との戦闘は初めてではないようだな?」


 私は答えない。ただ四方八方から聞こえてくる声は当てにならないと小さく息を吐き、限界まで自らの感覚を研ぎ澄ませた上で、経験と勘まで総動員する。

 どこだ、どこからくる。右か、左か――。


「上だよ」


 結局、背後か! 私は背中の悪寒を振り払うように前方へと飛び出す。それと同時に振り向きざま放った一撃が完全に空を切り、しまったと後悔の念に駆られたときにはすでに手遅れな足下の影の広がり。

 無駄だと分かっていながら、反射的にその場から飛び退く。しかし大した時間稼ぎにもならない。着地と同時に結局闇に飲み込まれる私。そうして向かい合う光のない世界で私は何がそんなに面白いのか、気が付くと乾いた笑いをこぼしていた。


「最後は笑って死を受け入れるか。いかにも人間らしいな」


 そうだな。そう人としての終わりを確信した時にはもう、私は自らを解き放っていた。


「な――神聖魔法だと! ふざけるな! たかが()()()()()がこの私を退けるだと!」


 自身を中心に全方位を照らし出す光、そして抵抗むなしく収束していく影。闇の中から吸血鬼を引きずり出したことで、形勢が逆転したかに思えたのも束の間――。

 決着を前に頼みの綱である光の方が先に音を上げ始め、自らの意に反して見る見るうちに弱々しくも不安定になっていく。


「は、はは……ハハハハハ! なるほど、なるほどな。そういうことか。なぜ一介のエルフがこれほどの神聖魔法を扱えるのか。それに変装や幻影魔法を用いるのではなく、わざわざ身体変化などという小賢しい魔法を使っている理由……」


 吸血鬼はいやらしく笑う。そうだ――俺は知っている、お前の秘密を握っているぞ。そう他人の神経を逆撫(さかな)でする下卑(げび)た笑みには、昔から見覚えがあった。


「エルダーなんだろう? それも半分だけ。ククク……血統第一という部分ではエルフも吸血鬼も変わりはしないが、どうしたって半端者は嫌われるものなあ?」

「私はそんな立派なものじゃない」

「いつもそうして自尊心を保っているのか? いやあ健気、健気。だがそんなお前にも一つだけ朗報だ。お前を爪弾きにした連中はことごとく砂の下に沈んだ。今やエルフは砂漠の小さな街で飼われるだけの希少種さ」

「魔王軍に攻め込まれたのは知っていたが……そうか。他に話しておくことはあるか?」

「もうネタが尽きたのか? そうでないのなら、私をもっと楽しませろ。言っておくが主導権はこちらにある。自棄(やけ)になったところで今のお前では私に太刀打ちできないことは理解しているな? 無論、逃がす気もない。さて、どうする?」


 生き残りたいのなら見せ物になれ。ふざけた話だが、そういうことだろう。ただそうして生きながらえた先で得られる成果などあるのだろうか。

 何より夜の吸血鬼が持つ不死性は、他の種族や魔物の持つそれに近い能力と比べても、夜という制約こそあれ一線を画している。

 加えて闇に溶け込み、影に形を変えられるとなると、ただ触れることすら難しい。

 そんな無敵にも思える吸血鬼相手に勝つ望みがあるとするならば――それはやはりこの村で朝を迎えること、それ以外にないだろう。


「お前は知らないかもしれないが……教会は神聖な場所なんだ。お前のような(けが)れた吸血鬼がいていい場所じゃない。それにお前は一つ勘違いしている。神聖魔法は使用者の精神を表すとされているが――魔法の中にはその地理や地形に影響されるものもある。つまり教会ともなればいつもの二割増し、そうは思わないか?」

「フッ、ハハハハハ! いいぞ! もっと私を楽しませろ!」

「こっちは大真面目なんだがな。まあ勝つ算段は整った。というわけで朝まで粘らせてもらうことになるが……文句はないな?」

「そう死に急ぐなエルフ。退屈しのぎにワインの一杯ぐらい飲んでいけ。まさかこの期に及んで断りはしないだろう?」

「お前を倒したら勝手に飲むさ。悪いがここには塩を探しに来たんだ。もういいだろう。さっさと始めよう」

「そうか……」


 目に見えて残念そうにする吸血鬼。どこまで本気かは分からないが、少なくとも退屈という言葉に嘘はなかったのであろう。

 まるで渋々といった具合に教会の内側へと影が広がり始めたところで私は考えを打ち切り、もはや出来るのはそれぐらいだと祈るように剣を握りしめた。

 直後に波のように押し寄せる影。咄嗟(とっさ)に光で押し返すことに成功し、やるな私と自分で自分を褒めるように口角を上げる。


「思い込みってのはあながち馬鹿にできないな……!」

「ほざけ!」


 影が形を変え、再び光を飲み込もうとしたその瞬間――不意に教会の扉が開かれたかと思うと、なぜ来てしまったのか、見覚えのある顔がいつになく真剣な表情でそこに立っていた。


「動かないで!」


 来るな! そう叫ぼうとしてキリボシに先手を取られる。そして何故か素直に従ってしまう自分。慌てて口を開いた時にはもう、広がった影はキリボシ目掛けて飛び込んでいた。


「くそっ……!」


 死なせてしまった。普段ならそんな自責の念に駆られることはない。ないのだが。

 咄嗟に足元に転がってきた瓶を拾い上げ、せめてあいつの欲しがっていたワインだけでもと、私は走り出した勢いそのままに教会の窓を突き破る。


「ちょっ、アザレアさん?」

「えっ?」


 聞き覚えのある声に私は思わず足を止める。そしてあり得ないと思いながらも、恐る恐ると教会の外から中をのぞき込む。


「お前……」


 そこにはドクドクと脈打つ心臓を手にしたキリボシと、胸にぽっかりと穴の開いた吸血鬼が立ち尽くしていた。


「な、なぜ、お前のようなただの人間に……存在を捉えられるわけが……そんなはずは……」

「夜に吸血鬼に会えるなんて幸運だね、アザレアさん、これでしばらくは塩に困らなくて済むよ」

「悪い。何だって?」

「塩だよ。魔物や動物の血液からそれを作るのは、時間さえかければそう難しいことじゃないんだけど、雑食だとやっぱり匂いが気になるし、元が生ものだからかあんまり日持ちもしないんだよね」

「お、お前ら、私の話を……聞け」

「ああ、何で吸血鬼の影を捉えられるかって? 答えはこれ、ユニコーンの革手袋。吸血鬼を捕まえるには十分な神聖だよね」

「ユ、ユニコーン……だと?」

「お前まさか食べたのか? いや待て、聞きたくない。言うな。一生胸にしまっておいてくれ」

「そう?」


 確かにユニコーンなら吸血鬼()()と言えなくもない。ただユニコーンの味の感想なんてものを聞いた日には、辛うじて残されている神聖が愛想をつかして出て行ってしまうかもしれない。


「とにかく吸血鬼はその点美食家(びしょくか)だし、香りの良いものを好んで摂取するからか、何なら匂いはいいぐらいなんだよね。それに日光に当てなければもともとの特性からか、すごく長持ちするし。何より夜に絞れば欲しいだけとれるんだよね」

「し、絞っ――冗談だろ?」

「いつもは一人だから大変なんだけど……アザレアさん、手伝ってくれる?」

「ああ、こいつには随分と痛めつけられた。言葉でな。だからたっぷりとお礼をしてやらないと」

「お前ら……後悔するぞ! 私は魔王軍の、私は魔王軍の……!」

「塩だろ? さて、キリボシ。私は()()()()()()()?」

「吸血鬼はまず絞ります」

「もう美味しくなさそうだな」


 その日、私は上機嫌でワインの栓を抜いた。夜に吸血鬼に会えるのは幸運か。なぜか以前ほど夜が恐ろしくはない。そう思えた。


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