二十四品目 ドライアドの献身3
アリアスはそうして語りだす。まず圧倒的な数の不利を覆すにはそれしかないと。川の傍に陣取っている魔王軍に、自然の脅威を思い知らせてやるのだと。
「キリボシ。アリアスは川を上流でせき止めたのち、一気に放流し、意図的に川を氾濫させる腹積もりらしい。有効だと思うか?」
「うーん、どうだろう。できなくはないと思うけど、今からだと時間がかかりすぎるような気もするし……」
「アリアス。キリボシは時間を気にしている。その辺はどうなんだ」
「背に腹は代えられません。この地に残された魔力を使えばすぐにでも。もちろん堰き止めるにあたっての場所の選定もすでに終えています。ただ場所が場所なだけに――山中は完全に私の管理下から外れているため、多少の誤差や問題は避けられないでしょうが……」
「なるほどな」
アリアスに少し待てと伝えては、キリボシに目を向ける。
「魔力に頼るそうだ。時間や距離についてはさほど問題にならないだろう。ただそこが森ならまだしも、アリアスも山を相手に完璧にできるとまでは思っていないらしい」
「魔力についてはどうにもできないけど、それ以外なら僕らのほうでもどうにかできる余地があるかもね。ただ魔王軍もいきなり川の水位が下がったり、流量が少なくなれば違和感ぐらい抱くと思うし……そこでまた時間との勝負になるのは分が悪いかもね。狙いに気づかないまでも上流に目を差し向けるか、軍を移動させるだけで被害は減らせるわけだし――何なら完全に回避されるなんてこともありうるかも。そうなったときに、魔力だけ消費した事実だけ残るとなると……成功すれば確かに逆転の一手になり得るかもだけど、かける労力に対して得られる成果――というか、成果が得られる可能性が見合ってないかもね。相手の行動にその成否を委ねるっていうのも、個人的にはどうかと思うし」
最初こそ肯定的でありながらも、気づけば一転して否定的になるキリボシ。すでにその気になっているアリアスを余所に、キリボシはまだ語り足りないのか、それにと付け加えるように口を開く。
「そもそも前提として、相手の位置が分かってるなら、それを活かさない手はないと思うんだよね」
「そこに可能性があるのなら、それにかけてみるのも悪くはないと思うが……だからといってそれに拘る必要はないからな。アリアス以上のいい案でもあるのか?」
「単純な話だよ。当たるかどうかも分からないまま間接的に殴るぐらいなら、おあつらえ向きにも狙えるわけだし、直接殴ったほうがいいんじゃないかなって」
「直接……? まさかとは思うが、魔力をぶつけるとか言い出さないだろうな」
「正にそれだよ。なんでしないんだろう? 仮にも川をせき止めるほどの力なら効果は十分期待できると思うけど……」
キリボシは分からないとアリアスを見る。
「あの……何か?」
「なぜ直接狙わないのかとこいつは聞きたいらしい」
「魔王軍には不死の魔法使いが……リッチが……森があったころには、正面から押し返すことも不可能ではなかったのですが……」
アリアスは視線を落とす。
「今の私にはもう……それを可能にするだけの神聖が……」
「神聖……?」
思わずそれならあると口走りそうになる。だがそれを伝えたとして、果たしてリッチ相手に通用するかどうか……。
「大丈夫だよ。アザレアさんなら」
自然と考え込むように沈黙しては、すかさずと飛んでくる声。いつになく察しの良いキリボシを目で黙らせては、さすがに図星が過ぎるかと観念する。
「アリアス。神聖ならある。だが足りるかは分からない。それでも試してみる価値はあると思うか?」
「それは……」
アリアスはそっと断る理由でも探すように、分かりやすく視線を彷徨わせる。当然だろう。アリアスはエルフを知らない。いや、正確にはエルフを知っているが、人間と同じ者であると見なしている。仮にアリアスが私の正体を見抜いていたとしても、ドライアドの神聖に比べれば人間の持つ神聖など大したことはない――そう切り捨てたところで何らおかしくはない、というのに……。
「分かりました。私も覚悟を決めることにします」
なぜか考え抜いた末に出したであろう自らの策を蹴っては、予想に反してぽっとでの案に乗り換えるアリアス。すぐにどういうことだと疑いの目を向けては、流れるように横のキリボシへと視線を誘導される。
そして目にする明らかにやり過ぎな表情。どこからそんな自信が湧いてくるんだと苦笑を通り越して可笑しくなってしまっては、結局声を上げて笑ってしまう。
「お前というやつは。まったく……どこからそんな根拠のない自信が湧いてくるんだか」
言いながらキリボシの肩をたたいては、行くぞと一足先に歩き出す。
「アザレアさん? 話はまとまったの?」
「リッチが相手にいるらしい。となると今攻めるのは得策じゃない。とりあえずは夜が明けるまでは待つとして……死体を利用されても面倒だからな」
「それならまずは腹ごしらえかな。さすがにもうアラクネやケンタウロスは無理だろうけど……」
「あの……! 私はどうしたら……」
キリボシではないが、言葉の壁があることをすっかり忘れていたとアリアスに向き直る。
「私たちは一度、昼間の戦場跡にまで戻る。リッチがいるなら墓を掘ってやらないとな。攻めるのは夜が明けてからだ。それまでは自由にしてるといい」
「それなら私たちも手伝います。元はといえば――」
「お前はそれでもいいかもしれないが、仲間のアラクネやケンタウロスはもう限界だろう。必要となれば遠慮なく手を借りる。それまでは休んでろ」
「それは……そうですね。では私だけでもお供します」
体よく追い払ったつもりが、ついてくるアリアス。仕方ないかとまた歩き始めては、ふと思い出したようにアリアスを横目に見る。
「まさかドライアドと並んで歩く日が来るとはな」
アリアスは苦笑する。
「私もです。まさかあの時の彼と、まさかここまで友好的な関係を築けるとは思いませんでした。それもこれもあなたのおかげです。アザレアさん」
「礼はすべて終わってからでいい。なんだかんだ言ったが、私も個人的に魔王軍には思うところがあるからな」
「そうなんですか?」
「野菜を食いそびれた」
「それは一大事ですね」
アリアスはまた苦笑する。
「あの……道案内しましょうか?」
そうしてアリアスの松明の灯りに導かれては進む闇。その見通しの悪さに、する必要もないのに今を重ねては、本当にこれでいいのだろうかとふとした瞬間に足を止めたくなる。そんな気持ちを知ってか知らずか、どうでもいいことを喋り続けるキリボシに時折、適当な相槌を返しては、加速度的に更けていく夜――。
心の靄が晴れていることに気が付いたときにはもう、雲間に月明かりの差し込む戦場跡へと、たどり着いていた。




