二十一品目 スノープラント
「アザレアさん! そろそろ降りるよ!」
「待てまて待てまて! この高さから落ちて無事なわけがない!」
「大丈夫! 遠くからだと氷に見えるけど、ああ見えてぜんぶ雪だから!」
「いや硬さじゃなくて、高さの問題なんだが――?」
そうして眼下に広がる白銀の世界へと恐怖の落下と着地を敢行してから、およそ半日。山脈を早々に越えることはできたものの、慣れない寒さと足元の悪さに天候の悪化まで重なっては、荒れ狂う吹雪の中で、微かな月明りすら見失いそうになる。
それでもと前を行くキリボシに、何とか食らいつきながら斜面を下り続けるも、ついには限界とばかりに身体変化すら維持できなくなる。
「アザレアさん! 少し休もう!」
「心配ない! 私ならまだ歩ける!」
消耗しきった体力をほとんど意地で支えては、キリボシの背中越しに睨みつける、身を刺すような冷気。しかしとそんなちょっとした強がりすら許さないように、増々と風の勢いが激しくなっては、先にとキリボシの足が止まる。
「キリボシ!」
「お腹すいた!」
引き返してきては足元を掘り返し始めるキリボシ。急に何をと、それで思い出さなくてもいい空腹を思い出しては、食欲に振り回されるように固い雪を結局一緒になってかき分ける。そして出来上がる雪の屋根と壁。ぽっかりと空いたちょうど二人分の空間に膝を抱えるようにして座り込んでは、目の前の雪原を眺める。
「いや――飯は?」
「ここまで天候が崩れるとは思ってなかったから……」
「何も持ってないのか?」
「塩ならあるけど……」
「塩か……」
それ以上いうこともなくなっては、自然と耳を澄ませる風の音。はっきりと聞こえるというのに吹き付けないだけでどこか他人事のように感じられてしまっては、外気の冷たさと着込んだ毛皮の温かさの狭間で、意識がぼんやりと揺れる。
ふと横のキリボシへと目を向ければ、もう寝息を立てている。よく雪山では寝るなというが、起こしたほうがいいのだろうか? まあキリボシなら放っておいても問題ないだろうと思いながらも、最後までもしという可能性を捨てきれずに、結果その間を取るようにしてそっと肩を寄せる。
やれやれ……手のかかるやつだなと白い息を吐いては、いつ止むのかも分からない吹雪をただじっと眺め続ける。ああ、こんなことになるのなら、素直にドワーフの国を目指しておくんだった――そう後悔しかけては、あともう少しのところで待っているであろう、新鮮な野菜たちを漠然とした頭で思い浮かべる。
「トマト……ニンジン……」
シイタケ……あったらいいなあ……。
「アザレアさんっ、アザレアさんっ――」
抜けきらない疲れに重たい瞼。それでも冷えた空気のおかげですぐに寝ていたことに気づいては、思わずと立ち上がろうとしたところで、低い天井に頭を打ち付ける。同時に肩から落ちる一枚の毛皮。どうやら気を使ったつもりが、気を使わせてしまったようだなとキリボシにそれを返しては、それどころではないと打って変わって朝日が差し込む、穏やかな雪原を静かに指し示される。
「見てよアザレアさん。雪ウサギだ」
「食べるのか?」
「え? ああ……食べるなら生だけど、それでも――」
「よくない」
「一応この寒さなら生でも食べられると思うけど……」
「むしろこの寒さならすぐに調理する必要はないだろ。捕まえるならさっさと捕まえて、火を起こせるところまで下りればいい」
「でもお腹すいてない?」
言われて確かめるように見下ろしたお腹。感覚的には胃は完全にからっぽだが、だからといってすぐに動けなくなるわけでもない。何よりもここで時間を使って、また吹雪に見舞われるのはごめんだ。
「そうだな。腹は減っているが、それよりも天候が崩れないかのほうが心配だ」
「しばらくは大丈夫だと思うけど……」
言いながら不意に雪原へと出ていくキリボシ。雪ウサギを捕まえるのかと思いきや、その場から手で追いやっては、また避難するわけでもあるまいに、足元の雪を掘り返し始める。
「キリボシ……?」
「スノープラントだよ、アザレアさん。さっきの雪ウサギがくわえてたでしょ?」
そう言われたところで何のことだがさっぱり分からないが、とりあえず見ているだけというのも何なので手伝うことにする。そしてすぐに顔を出す赤。掘り進めては手首から先ほどの長さをした――棒状の花のようなものと共に、明らかに地面とは違う、苗床が出てくる。
「これは……六肢の人馬か?」
「みたいだね。平野部ではそう珍しくもないんだけど……まっ、いっか。とりあえず朝食にはありつけたわけだし」
「朝食……? まさかとは思うが、このケンタウロスを食べる気じゃないだろうな?」
「うーん、見た感じ腐ってはなさそうだけど……」
「よし、逃げた雪ウサギを探しに行こう」
言うが早いか雪上に残された小さな足跡を辿り始めては、すかさずと呼び止めるキリボシの声。食べるのはスノープラントだよと赤い棒状のそれをケンタウロスからむしりとっては、流れるように差し出してくる。
「キリボシ。一ついいか」
「なに?」
「私はスノープラントを知らない」
「キノコだよ」
「毒キノコ?」
「ただのキノコ。それも栄養満点で、何ならケンタウロスを食べるよりも――」
「キリボシ。もう一ついいか」
「なに?」
「私はケンタウロスから生えていた得体のしれないキノコを食べたくない」
「得体の知れたキノコだよ。ただよくあるキノコとは違って、動物の死骸に生えるとても希少な――って、ちょっ、ちょっとっ」
キリボシの手から赤いキノコを奪っては、そこまで言うのならとキリボシの口に突っ込もうとする。ただ寸前のところで避けられては、やっぱりなと目を細める。
「い、いや、食べたくないんじゃなくて、ね? スノープラントは塩をかけて食べると美味しいんだよ」
そう言って新たにケンタウロスから赤いキノコをむしり取っては、その表面にパラパラと塩をかけるキリボシ。当たり前のように塩を手渡されては、仕方なく自分の分にも振りかける。
「じゃあ、その、いただきます」
一切の躊躇なくキリボシにかじり取られては小刻みに震える棒。手にした瞬間から分かっていたことだが、とんでもない弾力だ。
「やれやれ……」
目の前で食べられては食べないわけにもいかないだろうと、足元のケンタウロスのことは一度忘れることにする。何より腹は減っているのだ。生肉を食べるよりはマシだと思えば……いや、どっちもどっちだなと、嫌々ながら歯を入れる。
直後に弾けては口の中にあふれる酸味のきいた液体。果実を思わせるみずみずしさに一瞬騙されそうになるが、強烈なキノコの食感に確かにキノコだなと現実に引き戻されては、軽い塩味と混ざって過去一悪くないような気さえしてくる。
「なんだこれ。美味い気がするぞ」
「でしょ?」
気が付くともう食べ終えている赤いキノコ。それだけでは物足りず、二本、三本と食べ進めては、最後の一本となったところで取っ組み合いの奪い合いになる。
「おい……! これ……どう考えても、中毒症状だろ……! 仕方ないから私が食べてやる……!」
「一人で食べたときは何ともなかったんだけど……! だから……! 僕なら食べても大丈夫だから……!」
「くそ――!」
らちが明かないとなけなしの魔力を振り絞っては、残りの一本を遠く山頂めがけて吹き飛ばす。
「こんなものがあるからいけないんだ!」
「でもこのままだと雪ウサギに食べられるだけだし。せめて半分ずつでも……まあ、だからって争ってまで食べるほどのものじゃないよね」
口ではそういいながらも、お互いに行くなよと視線で牽制しては、それでもと未練がましく眺める点。やがて邪念を振り払うようにどちらからともなく背中を向けては、昨日は見えなかった一面の緑を目指して、足早に山の斜面を下りていく。
「あのキノコはだめだ……」
「そうだね……」
そうしてスノープラントは禁止になった。




