十九品目 セイレーンの境目5
「ロサ? 誰なのそれ。聞けば教えてくれるってどういうこと?」
メデューサは食い気味にキリボシへと期待の眼差しを向ける。
「あ、いや……ええと……」
「ちょっと! 具体的に名前まで出しておいて、いまさら――」
「ロサとは魔王軍配下のサキュバスのことだ。とてもではないが、お前のような存在を任せられるような相手じゃない」
「私が負けるとでも?」
「違う。いい様に使われないか心配しているんだ。それに奴が知っていたとして、それを教えるだけの理由があいつにはない」
「何よそれ。吐かせればいいだけでしょ?」
「お前はそれでいいかもしれないが、カワマタはどうするんだ? 行動を共にするならあいつの影響は必ず受けるぞ?」
「それは……」
「その時だけ石にしてもらうのはどうでしょう」
「それよ!」
「何がそれよ、だ。お前はその華奢な腕で常に石を持ち歩く気か? 言っておくが、ロサなら寝込みを襲うぐらい、平気でするぞ?」
「じゃあどうしろっていうのよ!」
メデューサは地団太を踏むように叫ぶ。答えはそもそも当てにしないというのが正解なのだろうが……いまさらそれを言い出せるような雰囲気でもない。それをキリボシも感じ取ってか、どこか責任でも取るように控えめに手を挙げる。
「あのー……僕は魅了に耐性があるみたいだから……その、その時だけでも僕が代わりに同席するっていうのは……」
「なんだ、アレッシアとかいう平野部に行くんじゃなかったのか?」
「それは……そのー……」
「別にいいわよ。ここから先にあんたたちが付き合う道理はないし」
「キリボシさん、アザレアさん。そのサキュバスのロサさんに会うとして、今すぐに方法を考えなければいけないというわけでもないんですよね?」
「当然だ。呼べば来るというような相手ではない。ただどこにいて、いつ会えるか分からないとしても、一つだけ確実に会える方法がある」
「もったいぶってないで、さっさと教えなさいよ」
「別にそんなつもりはないんだがな……マリーナだ。奴は一度私たちに――というよりかは、キリボシに敗れて街から手を引いたように見せかけているが、必ずそのうちにまた攻めてくる。それをお前らはただ待ち伏せていればいい」
「なんだ、簡単じゃない」
「ララさん、私たちはそのサキュバスの名前しか知らないんですよ。もし大軍で押し寄せてきたとしたら……」
「その時はそのときよ。とりあえず全員、石にしてから一人ずつ確かめていけばいいでしょ」
「お前がメデューサだと分かれば、魔王軍は街よりもお前を取りに来るだろうな。それこそ地の果てまで追ってくるぞ。カワマタをそれに付き合わせたくないと思うのなら、まず私たちの名前を出せ。そうすれば確実に向こうから接触してくる。そういうやつだ。そして石化は、いざというときのためにとっておけ」
「アザレアさん……感謝します」
「まあ、別にそれで済むならそれでいいけどね」
「もちろんお前らでも考えろ。マリーナに行ってからも、行く道中もだ。時間があるのかないのかわからないが……とにかく油断はするな。過程はどうあれ、結果的にあいつは、私たちの前から生きて逃げたんだからな」
「ずいぶん自分たちの評価が高いみたいだけど……まあ、一応礼は言っておくわ」
「ありがとうございます。アザレアさん、それにキリボシさんも」
「僕は何も……でもよかったよ。目がちゃんとした人に――って、言い方は失礼になっちゃうのかな。お姉さんには直接、返せなかったけど、それでも妹のララさんには返せたわけだし、とにかく二人に会えてよかったよ」
キリボシは笑う。そしてカワマタも笑う。メデューサは笑っていなかったが、カワマタが隣で笑っているのを見て、少し微笑んでいるようにも見えた。
「用は済んだか? それなら私たちはそろそろ朝食にでも――」
「なに? もしかしてあんたたちお腹が減ってるの? それならこっちもまだだし、ついでにご馳走してあげたっていいんだけど?」
「なんだ、礼ならすでに聞いたと思ったが?」
「逆よ。あんたたちは元はといえば、カワマタの恩人なわけだし。それに少しは迷惑をかけた自覚もあるから……それくらいはさせてよ」
「詫びか。どうする? キリボシ」
「もちろん僕は大歓迎だけど? アザレアさんは?」
「まあ、たまにはな」
そう言って頷いてから、メデューサ、いや、ララの横で気まずそうにするカワマタの姿が目に入る。
「カワマタ、どうかしたのか?」
「い、いえ……その――村の中だと迷惑になるかもしれませんし、ここはいったん、砂浜のほうにでも移動しませんか? 住民の皆さんもいつまでも私たちがここにいては、落ち着かないでしょうし……」
言いながらカワマタが視線を左右に振っては、合わせるように周囲を見回す。そこには今まで息を殺して身を潜めていたのであろう、恐るおそると建物の陰から顔をのぞかせる村人たちの姿があった。ただ目下、彼らの訝しむような興味の中心は、特にと全裸のキリボシに集中しているようで。
「そうね。私はいちど船に材料を取りに戻るから、三人で先に行っててくれる?」
「ああ、キリボシに風邪をひかれても困るからな。火でも起こして待ってるさ」
「そういえばなんで全裸なんです?」
そうしてララと分かれては、三人で向かう砂浜。途中でたき火に使えそうな燃料を拾い集めては、たどり着いた砂浜で、すぐに火をおこし始める。
「さすがは元冒険者ですね」
「それも金級だからね」
服を着るキリボシとカワマタとの間で交わされる他愛のない会話を背に、何ならお前らのほうが早いだろうと心の中で突っ込みながら、慣れた手つきで火種を作っては、徐々に大きくする。やがて燃え上がる炎。我ながら早くなったものだなと自分で自分に感心しては、自然とララを待つ間の話題を三人で探す。
「そういえば――お前とララはどうやって出会ったんだ?」
「そうですね。簡単に言えば、ララさんとは海で出会いました。それもお二人と分かれた次の日のことです。もちろん気持ち的にはすぐにでもお二人を探したかったのですが……その、同乗者の懇願もありまして……すみません」
「海の状態も悪かったとキリボシから聞いているしな。別にそれを責める気はないさ。結果的にはお互い、こうしてまた無事に会えたわけだしな」
「でもまさかですよ。お二人が船に置いて行かれた荷物の中に、ララさんのお姉さんの目が入っていただなんて。ララさんに指摘されるまで気づきませんでした」
カワマタは嬉しそうに笑う。
「でもそのおかげで私はララさんに出会うことができた」
「カワマタには悪いことをしたと思っていたんだがな」
「ものごと、何も悪いほうにばかり転がるってわけじゃあないってことだね」
「お前は少しは反省しろ」
のんきに笑うキリボシにのんきすぎると目を細める。
「ま、まあっ、その通りなんだけど……でも――」
「でも?」
「カワマタさんは喜んでるみたいだし、結果的には……ごめん!」
「お二人は相変わらずですね。だからこそ最初は分からなくなったものですが……ララさんに目のことを聞いたときは、本当に驚きましたよ。ただお二人を信じたい気持ちもあったので……こうして再会することができて、本当によかったです」
「こっちとしても手間が省けて助かったわけだが……」
何の話? とそこに遅れてララが顔を見せては、自然とその両手いっぱいに抱えられたいくつかの石の塊に目が行く。
「カワマタからお前の話を聞いていたんだ。なんでも料理が上手いんだってな?」
「嘘ばっかり、でも料理については期待してくれていいわよ?」
「自信ありげだな。しかしもしかしなくても、その石の塊を食わせる気か?」
「これはこうすんのよ」
ララはそう言って石同士をぶつけては、手のひらに収まる大きさになるまでそれを繰り返す。そうして何を思ったのか、火の中に投げ入れては、しばらくして漂い始める魚の焼けるにおい。
「なるほど、食材を石化していたのか」
「これなら鮮度を気にしなくて済むでしょ?」
ふふんと胸を張るララの見せるどこか得意げな表情。そういえばマリーナまで来たというのに、魚の一つも食べていなかったなと思い出しては、自然と心が躍る。
「美味しそうだね」
「だな」
人数分の皿を用意してはまだかまだかとその時を待つ。しばらくしてララがそろそろかなと声を上げては、ようやくと全員の目の前に盛り付けられる本日の朝食。
ララのどうぞという声を合図に、いただきますとキリボシとほぼ同時にがっついては、直後に抱く違和感。匂いからしてどう考えても魚だというのに、味も食感も完全に肉というのはいったいどういうことだろうか。
「これはいったい何の肉なんだ?」




