幕間 血には程遠い
「ネド様、ロサ様が後方にお戻りになられたようです」
「そうか。あいつもようやく私に任せる気になったみたいだな」
「いえそれが……」
ロサが大怪我をして帰ってきた。それを部下のレダから聞いたときは、思わずと耳を疑った。あいつが? サキュバスの中でも秀でた才能を持つレダにして傑物と言わしめる怪物の中の怪物――それが群れである魔王軍において、個の強さだけで伸し上がった将軍の一人、ロサというサキュバスだったからだ。
ただその過程自体は実力者揃いの魔王軍において、そう珍しいものでもない。にもかかわらず、ロサが将軍として一目置かれ続けるのには理由がある。
もちろんその地位に胡坐をかくことなく今もなお、前線に出続けているというのも一つの理由だが――何よりもほかの将軍たちと違うのは、そこに必ず付随するはずの軍というものが、ロサには存在しないからだ。
孤軍奮闘か……昔はそんなロサのやり方からして軍の中にも敵が少なくなかったが、実績も地位も伴う今では、その力の特性からしてあえて邪魔をしまいと戦線を離れてくれる理解者も、格段に多くなったと聞く。
そもそもと私に言わせれば、この世の半分が男なのが悪い。そんなわけで常にその場の半数を味方につけることができるロサだからこそできる、強気な単独行動なのだが――どうやらそれが今回に限り、裏目に出てしまったようで……。
聞くところによると、人間の女騎士にやられたらしい。まだそんな猛者がいたのかと魔王軍の中には喜ぶ輩もいるだろうが、現在進行形で人間と戦っているこちらからしてみれば、たまったものではない。
そういうわけで事の真相を直接確かめるべく、いつその女騎士に襲われるとも分からない戦線を離れては、大急ぎでロサのもとへと駆け付けたのだが――。
「なんでお前は寝てるんだ」
「夜だからよ」
言われてみれば部屋が暗い。それは窓の外も変わらないのだが、よくよく考えるまでもなく、ここに来るまでの道中からして真っ暗だった。
「そういえば今夜は月を見ていないな」
「いや月で時間を計るなし」
ロサはしぶしぶベッドから立ち上がっては部屋の明かりを灯す。そうして気だるげに椅子へと腰かけては、それでもと一応は話をする気になってくれる。
「レダからはサキュバスは我々に似て夜型だと聞いていたんだがな……起こしたのなら悪かった」
「叩き起こしといてよくいうわね。あと私は怪我人だから。夜寝るのは当たり前」
「そうか……」
ロサの視線がジトっとしたものに変わる。確かにと言われてみれば正にその通りだ。もともと詫びのつもりで持ってきたものではないが、ここは見舞いの品の一つでも渡して、機嫌を直してもらうことにしよう。
「ロサ、今回は災難だったな。見舞いのワインだ。受け取ってくれ」
「怪我人にそんなもの飲ませてどうしようってのよ……ったく。もういいわよ。話があるんでしょ? じゃなきゃ、ネド――あんたがこんなところに顔を出すはずないもの」
「さすがはロサだな。話が早い。であるならば聞かせてくれ。百戦錬磨のお前をここカーティアまで送り返した、女騎士の話を」
そう言うとロサは話せといったわりに、そんなことよりもといきなり前置きしては、こちらの話をぶった切る。
「ていうか、あんたのところの錬金術師? あれ何よ。オルトロスの軽く三倍は強いとかいう触れ込みで、よく分からないものを自信満々にすすめてきた割には、全然役に立たなかったわよ? 普通に一撃で倒されてたし」
「一撃……? まさか。あれは見た目はオルトロスだが、正真正銘のキメラだぞ? それを一撃だと? お前の見間違いじゃないのか?」
「いやいや、そいつに私はボコボコにされたんだけど。危うく斬り殺されそうになったし、苦し紛れに取引を持ち掛けてなかったら、いまごろ死んでたって」
「取引……? お前まさか――」
「いやいや、食いつくところそこなの? あんたの聞きたがってた女騎士はもういいの?」
「まあ……お前が万が一にもこちらの情報を流すことは、ないだろうが」
「そもそも私は魔王軍の内情に詳しくないし。それこそあんたならそれぐらい知ってるんじゃないの? 私が今でも群れに馴染めてないことぐらい」
「いつの話だ。お前はもう私と同じ将軍なんだぞ。それにお前に命を救われた者も少なくない。相手さえ選べば無条件でという者もいるだろう」
「あらら、ばれてたか。なら白状するけど、バルバラのことは話したよ。興味なさそうだったけど。それからマルタ村のことも。こっちは濁してたけど、私からすれば訳知りって、感じだったけどね」
「お前というやつは……」
ロサが話したことをそのまま真に受けるやつもいないだろうが――それがきっかけで今まさにバルバラに脅威が迫っているとしたら、もしくは今後といういつまで続くかもわからない期間、その脅威に備え続けなければならないと分かっては、少しだけ苛立ちを募らせる。だがそれが少しで済んだのは、同時にもたらされた情報が、ずっと欲していたものの一つだったからだ。
「バルバラのことはどの程度話した……マルタ村のことは――」
「ネド、顔が怖いって」
言われて気づかされる、眉間によったしわ。自然と前のめりになる気持ちを一度大きく息を吐くことで落ち着けては、改めてとロサに聞く。
「バルバラの件はもういい。マルタ村のことだけ話してくれ。できるだけ詳しくな」
「別に急いでるわけじゃないんでしょ? バルバラも話すよ。って言っても人の住むところじゃないって、親切に教えてあげただけだけどね。マルタ村は――そう、吸血鬼。ネドの下に……なんだっけ。同じ吸血鬼がいたでしょ?」
「ギドなら死んだよ。お前は知らなくて当然だろうが……内々にな」
「そうなの? せっかく仇が見つかったかもしれないのに。まあ、とにかく一時期はその噂でもちきりだったからね、あんたのところ。仇討ちだなんだってずいぶん騒いでたし。その話をしてみたら――さあ、どうだったかな、なんて。いかにもでしょ?」
「確かにな……」
バルバラの一件でギドを失って以降、もはや関わり合いになりたくもないと思っていたぐらいだが……まさかこんな形でその影を捉えることになるとは思わなかった。しかし女騎士か。それも飛び切りの実力者とくれば放っておいても自然と台頭してくるだろう。いちいち追う手間が省けたともいえるが――。
ギドの息子はそんなのと戦って命を落としていたのか……お前の息子を無能だなんだと揶揄する輩もいたが、どうやらそうではなかったらしい。
ギド、お前の息子は誰よりも勇敢だったんだ。そのことだけは、私が必ず証明してやる。それが友としてお前にできる、唯一のことだから。
「ロサ。感謝するぞ。この礼は必ず」
「いいってそんなの。それこそバルバラのこと話したし、お相子ってことにしといてよ」
「そうか……そうだな。同じ将軍同士、貸し借りはなしにしよう。そのほうがややこしくなくていい。ほかの将軍ときたら――」
「でもここからは別料金ね」
「何?」
「実は行き先も知ってるんだよね、その女騎士の。本当は話す気はなかったんだけど……あんまりにもご執心みたいだから、ね?」
ロサは悪戯な笑みを浮かべる。そのあまりの抜け目のなさ、悪魔的な考えに理性では乗るべきではないと分かっていながら――それでもと目の前に吊るされた極上の餌からは、本能的に逃れられない。
「知りたい? 女騎士の場所」
「ああ……」
駄目だとわかっていながら掌握されてしまう心。やはりこいつは根っからのサキュバスなんだなと感心さえする。
「ナディアって、知ってるわよね?」
「難攻不落……山脈が作る天然の要塞……まさかドワーフの国に身を隠すとはな。なるほど人の身でナディアか、盲点だった」
「まあ、私も逃げ帰ってきたって言っても、実際には痛み分けみたいなものだったし。そこしか安全な場所がないって泣きながら教えてあげたら、喜んでたわよ?」
「確かにマリーナの周辺でいえば、ナディア以上に安全な場所はないが……ナディアと比べられる街や村が不憫でならないな」
「レティシアを落としたあんたなら余裕でしょ?」
「不可能ではないさ。ただあそこは私の管轄ではない。お前も女騎士には思うところがあるだろう。もちろん協力してくれるな?」
「口添えぐらいはね。むしろ今のあんたを見る限り、すでに勝算があるみたいだし。そのくらいは協力させてよ」
「助かる。私も将軍とはいえ、今ある戦線を放置してまでナディアに向かうとなると、それなりの傷は覚悟しなければならないからな。魔王様の信頼の厚いお前が横に名前を連ねてくれるだけで随分とやりやすくなる。とはいえ――軍の移動にも時間がかかる。ついでだ。足の速い者たちで先にマリーナ周辺を落としておくか?」
「あー、それはダメ。私がもう種を蒔いちゃったから」
「別に種ごと収穫したとしても問題はないだろう?」
「私は平和的に行きたいの。あんたのやり方を否定する気はないけど――」
「わかったわかった。別に協力してくれるだけでもありがたいんだ。お前の機嫌を損ねる気はない。ただ軍を指揮するものとして、遊ばせておくのもどうかと思っただけだ。いわゆる職業柄というやつだな」
「まあ、その辺は私にはわからないから……」
「今からでも軍を持つ気はないのか? それこそナディアのときにでも、私のほうからいくつかの指揮権をお前に預けてもいいが?」
「それこそ柄じゃないからいいわよ。それに高みの見物ってのも、それはそれで悪くはないものよ?」
「そうか? そうかもな」
そうよと、ロサが微笑んでは、合わせるように笑う。ふと窓の外へと目を向けると、そこには行きの時にはなかった明るさが、ひっそりと顔を出していた。
「今日は夜分遅くに悪かったな。この礼は改めて」
「だからいいってそんなの。まったく、律儀なんだからネドは」
そういってロサは椅子から立ち上がる。そうして上着を羽織るところ見るに、どうやら見送りに出てくれるらしい。
「どっちが律儀なんだか。怪我のほうはいいのか?」
「怪我なんて大したことないわよ。心の傷に比べたらね」
「そうか」
実際のところの勝負の行方は知る由もないが、ロサにしても今回の一件には思うところがあったのだろう。そっと扉に手をかけては、あ! というロサの声に自然と振り返る。続く待ったまったという声と共にロサがベッド脇へと小走りで引き返していっては、すぐに一枚の薄い板――よく見ると赤黒い色をした、本のしおりほどの大きさの干し肉を手に、ニコニコと戻ってくる。
「これ食べてみて」
なぜ? そう思ったが、ロサには今晩だけでも三つは借りがある手前、はっきりとは断りにくい。ロサめ……この用意のよさからして、仮に女騎士の行き先をこの場で語らなかったとしても、もともとワイン程度で帰らせる気はなかったらしい。
ロサの期待の目を一身に受けながら、別に腹は減ってないんだがなと、鼻に近づけると妙に獣臭い干し肉をあくまでも仕方なくかじる。
「どう? おいしい?」
「なんだこれは……ひどい味がするぞ」
「どんな?」
そういわれて考えるも、少なくとも味わったことのあるもので近いものはない。ただ強いて言うなら――。
「実際には食べたことはないんだが……むかし処刑場で見た、汚げな斧に浮いた錆みたいな味がする」
「へー、私も鉄みたいな味がするってのには賛成なんだけどさ。吸血鬼って、血を飲むじゃない?」
「お前は吸血鬼の舌を馬鹿にしすぎだ。いいか、こんなのはな――」
「一言で」
「血には程遠い」
なるほど、と。ロサは満足そうに手をたたいた。それにしてもこれはいったい何のどこの肉なんだ……?




