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三品目 トレント棒

「待った、あれを見てみて」


 目的地を定めてからはや半日。すっかりと夜に飲まれた大森林の中で、息を殺すキリボシの背中越しに見る世界は、正に神秘とは何かを物語っていた。


「ドライアド……」


 大森林とはいえ滅多にお目にかかれない彼女たちの姿。その存在を覆い隠す宝石のような緑の髪に、時折のぞくスラリとした四肢と物憂げな表情――現世とは一線を画すその美しさは、同時に絶対に触れてはならないと思わせられる、ガラスのような儚さをかねそなえていた。

 そして気付く。いや、思い出す。私たちがなぜ危険を顧みず、夜の森を彷徨(さまよ)っていたのかを。


「お前、キリボシ。まさかとは思うが……食う気じゃないだろうな」

「ドライアドの本体は古木。はっきり見えてるから勘違いしやすいけど、あれには触れることもできない。新芽ならまだしも、古いだけの木はちょっとね」


 こいつ……やけに詳しいんだなと思ったが、あえて口にはしなかった。どうせろくな情報は流れてこない。どこぞのドライアドには同情するが、そのおかげで目の前のドライアドが救われた。いまはそれだけで十分だ。


「それで? いつまで女の尻を眺めているつもりなんだ?」

「尻? 足元じゃなくて?」

「人の趣味にどうこう言う気はないが……少し気持ち悪いぞ」

「気持ち悪い? ああ、確かにそう思う人もいるかもね。でもトレントの足は甘くて――」

「トレント――?」

「え? あ、うん。え?」


 改めてドライアドの足元をよく見てみる。いる、か……? いや、あれがそうなのか? どう見ても普通の木にしか見えないが……。


「悪い。どうやら私には見分けがつかないようだ。出来ればその術、伝授してはくれないか」

「ドライアドが話しかけてるでしょ?」

「ドラ――悪い。もう一度言ってくれるか」

「ドライアドが話しかけてる」

「お前……」


 正直なところ、探せと言われたら端から木を切り倒していく以外にその方法を思いつかない。それくらいに森の中でトレントを見つけるのは難しい。

 だからこそ何か画期的な方法でもあるのかと期待してしまったわけだが――ドライアドが話しかけている、か。聞こえない声に耳を澄ましては、結局、天を仰ぐ。


「あ、話が済んだみたいだよ」


 頭を抱えたくなる気持ちを抑えては、森の奥へと消えていくドライアドの背中を見送る。そして残される静寂。やはりな……と、緩やかな木の歩みを目の端で捉えては、思わず体が前のめりになる。


「トレントだ……」

「トレントだね」


 未だに信じられないが、そこには確かにトレントがいた。


「まあ動きも見た目もお気には召さないかもだけど、味だけは保証するよ」

「そんなことはどうでもいい。追いかけるぞ。逃げられたら面倒だ」

「待った。トレントは臆病な性格をしていてね。下手に刺激して傷つけるのは得策じゃない」

「食べるんだろう? だったら――」

「止まるまで待つんだ。そして寝ている間に、食べる分だけ根を頂く。これがトレントを食べるときの掟だよ」

「掟?」


 また何を言いだすかと思えば……そうは思ったものの、目の前でトレントを見分けられた手前、それ以上何かを言う気にはなれなかった。


「まあ、お前がそういうなら従うさ」

「ありがとう」


 途端に緩やかになる時間の流れ。牛歩すら早く感じられるであろうトレントを追うキリボシを追う私。何度目かのあくびと共にようやく追いついては、言われるがまま、抜き身の刃でその根元に線を描く。


「お見事」

「暴れは……しないか。何だ、呆気なかったな」


 キリボシから差し出された根を受け取っては、軽く土を払う。うん……?


「寝ている間はトレントもただの木。擬態の一環なのかな? まあ、こうして配慮するのも、またどこかで出会うことが出来れば食べられるからなんだよね。ただ探しても見つからないから、いつもドライアドに見つけてもらうんだけど」

「そうなのか。いやそんなことはどうでもいい。いま聞きたいのは、お前が、私に、これを生で食えと、そう言っているのか否か、それだけだ」

「皮をむいて食べるんだよ。アザレアさん言ってたでしょ? 瑞々しくて甘いものが食べたいって」

「それは……そうだが」


 どう見てもただの木の根にしか見えないそれを、いざ土だらけな根を前にしてしまうと、今まで培ってきた常識からしてどうしても否定したくなってしまう。


「本当に食べられるのか? 毒はないのか? 他にもありえないほど硬いとか、臭くは……ないようだが」


 どうしても食べる気になれずに疑っていると、いただきますと目の前で皮をむいて食べ始めるキリボシ。歯ごたえがいいのか、シャクシャクと聞いたことのある音を立てては美味しそうに頬張る。

 なるほど。これは期待が出来そうだ。一気に食欲がわいてきたところで皮をむいては一口かじる。


「甘い!」


 甘かった。それに食感は果物そのものだ。これはもう果物と言ってもいいのでは? その考えがもう甘かった。


「な――い、なんだ! 生きてる? 生きてるぞこれ!」

「しっかり噛んで味わってね。でないと胃から生えてくるかも、なんてね」

「わ、わわ、わわわわわ」


 初めての体験に肌が粟立つ。意味が分からない。本当に意味が分からない。


「寝ている間は木と同じ? トレントはトレントじゃないか!」

「はははははっ」


 なんだこいつ、そう思ったが現在進行形で口の中がそれどころではない。ぞわぞわと、もさもさと、土から切り離されて落ち着きを失ったのか。

 噛んでも、噛んでも、噛んでも噛んでも噛んでも噛んでも、そのしぶとく動き続けるさまは、正に何度踏まれても立ち上がる、街中のひび割れに咲く花のようだ。

 ああ……植物ってすごいなあ! これはトレントだけど!


「気に入ってくれたみたいでよかったよ」

「そんなわけあるか!」


 とにかく今後キリボシ相手に注文をつけるのはやめよう。そう思った。


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