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十七品目 カビたパンと湿気たパン1

「出生地マリーナ、名前マリーナ、年齢マリーナ……マリーナに来る前はマリーナをやっていたと。なるほど、どうやら真面目に答える気はないようですね」


 手狭な空間に机と椅子が二つだけという、そこに開放的な窓がなければ一見して息苦しさを感じそうな一室にて。

 差し込む夕日と心地よい潮風を背に、それまでの厳格な態度を崩してまで対面の女性が見せた諦めにも似た表情と深いため息は、その日の取り調べが終わったことと同時に、翌日への持越しを意味していた。


「出生地マリーナ、名前マリーナ、年齢マリーナ……マリーナに来る前はマリーナ……ね」


 閉じた天窓から差し込む明かりが最大に達したころ。少し席を外す――そう言って口元を手で押さえながら、小綺麗な牢屋の前を離れていった見るからに真面目そうな男は、それ以降いくら待てども帰ってはこなかった。それが二日目のことだ。


「出生地マリーナ、名前マリーナ、年齢マリーナ……マリーナに来る前はマリーナをやっていただと? 人を馬鹿にするのも大概にしろ!」


 錆が目立つ鉄格子を間に挟んでは、職務はどうしたとつい言いたくなる気持ちを抑えて見据える、厳つい門番の顔。

 その額に浮かんだ青筋と眉間に寄ったシワは、ただの取り調べにしては鬼気迫るものがあるが――怪談の落ちに出てきたら盛り上がるだろうなと――それを照らし出すのが雰囲気のある、油に灯された小さな火では、その迫力の意味もまったく違ったものに見えてくる。

 しかしそんなことはどうでもいい。そう思えるほどに鼻にまとわりついて離れない、しつこい魚の油の匂い。まさか窓がないことで生まれる弊害に、光以上のものがあるとは思わなかった。


「なんてな……お前の名前はアザレア。そうだろう? レティシアで冒険者をやっていた。それも金級だってな? ははは! お前のことは仲間のキリボシとかいう男があらいざらい吐いてるんだよ! いいか! それが分かったならさっさとこの街に何をしに来たか言え! どうせろくでもないことだろうがな! 冒険者は魔王軍と変わらない。違うか! 違うならお前もあの役立たず共と同じだ! 力を貸すだ何だと上から目線で金に食料と要求しておきながら……大口を叩いておきながらオルトロスにも勝てない! そうだろう! この寄生虫が! なんとか言え!」

「あ」

「お前――!」


 鉄格子に掴みかかっては、今にも噛みつかんばかりに赤くした顔をその隙間にねじ込む男。別にそのまま放っておいてもいいのだが、見ていて楽しいものでもないので、少しだけ相手することにする。


「なんだ、そもそもお前には一度名乗っただろう。その時にレティシアの冒険者であることも、金級であることも話したはずだ。別にそれをキリボシが改めて話したところで私には知る由もないが、お前がそれを知っているのは当然だろう」

「ならこれは知っているか? お前の相棒はもうここにはいない。とっくの昔にな。お前は見捨てられたんだよ」

「あり得ないな。あいつが私を見捨てるわけがない。私があいつを見捨てるならまだしもな」


 まあ……見捨てたところであいつがどうなるとも思えないが……そう考えると見捨てられて困るのは私のほうか。自然と苦笑が浮かんでは、鉄格子が甲高い音と共にひと際大きく揺れる。


「お前というやつは人をどこまでも――もう我慢ならん! 生意気な口がきけないように……マリーナが被害を被る前に、いまここで斬り殺してやるッ!」

「た――隊長っ!」

「困ります!」


 目の前で剣が引き抜かれては一気に騒がしくなる牢屋。鉄格子がある以上、近づけるわけもないのだが……後になって慌てるぐらいなら、そもそも武器を携帯させるなよと思わなくもない。それが三日目の今日のこと。

 そうして静かになった牢屋で一人、カビたパンを一口かじっては、そっと皿の上へと戻す。


「味気ないな……」


 思わずと口をついた言葉に自嘲の笑みが漏れる。今日で三日連続パンか……野草のスープが続いたときも最悪だったが、まさかパンを食べて気分が落ち込む日が来るとは思わなかった。

 そこまで考えては頭に浮かぶキリボシの顔――そういえばと、どこかで聞いた覚えがあるが、食事の味は何を食べるかではなく、だれと食べるかで決まるらしい。

 いやいや……まずいものはまずいだろうと、これまでの実体験から否定したくなるが、だからといって、それがすべてというわけでもないのかもしれない。

 要検証だな――そんな風に考えていると、不意に聞こえてくる間隔の長い足音。ただなぜか近くまで来た後に寸前で引き返しては、またすぐに立ち止まったのち、小走りで鉄格子の前に一人の青年が現れる。


「あ、あの、あ、あざっ、あ――」


 緊張した面持ちで視線を彷徨わせる青年。顔にも声にも今のところ覚えがないが、一目見て聖職者と分かるその格好には見覚えがあった。


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