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十五品目 生のカリブディス2

 そこからは早かった。というか早すぎた。

 カワマタがこの日のためにと、あらかじめ準備を整えていたのもあるだろうが、まさか村を訪れてその日のうちに、海に出ることになるとは思わなかった。

 ただカワマタが馬鹿みたいに出航を急いだのも、今なら分かる。

 というのもこれは海上に出て、しばらくしてからカワマタに聞かされた話なのだが、私たちの前任者――と言っていいのか微妙なところだが、カリブディスの名前を出しても協力しようと名乗り出てくれた者は、これまでにも数名いたらしい。

 ではカワマタはすでに何度かカリブディスに挑んでいるのか? というとそういうわけでもないらしい。

 何なら船を出せたのも今日が初めてなのだとか。

 それがどういうことかと言うと、カワマタ曰くこれまでの協力者には本当にやる気があるのか確かめる意味も含めて、出航まで数日の猶予を与えてきたそうなのだが、例外なく途中で怖気づかれて逃げ出されてきたらしい。

 それで今日この日まで海に出ることを見送ってきたらしいが、さすがに魔王軍が近くに出たと言われては悠長なことも言っていられない。

 というわけで今に至る、らしい。

 ただだからといってここまで急ぐか? 焦りすぎだろ。危なっかしい奴だな。と色々と思うところはあるのだが、あくまでもカワマタは依頼主であり、ただの案内役でしかないので正直その辺はどうでもいい。

 そう、背中を預け合うわけでもないのだからどうでもいい、はずなのだが……。

 私は帆船の帆の向きをキリボシと共に調整しながら、舵を握るカワマタへと目を向けて、すぐに何とも言えない気持ちになる。

 カワマタは手伝ってほしいとはっきり言った。

 要するに本人は戦う気満々というわけだ。それも妻の仇というのが本当であれば、お前のように浮き足立ったやつは、たとえゴブリンが相手でも要らないと言ったところで素直に引き下がりはしないだろう。

 となると今度は私が上手く説得する番ということだ。

 いやいや、自分で言うのも何だが、船に乗りたがっていた私を船に乗せるのとはわけが違うぞ? 仇討ちしたがっているやつに、仇は私が取ってやるからお前は大人しくしていろと言って聞き入れるか? 普通に考えて無理では?

 まあ最後は殴ればいいか、と私は傾いた船の甲板から、傾き始めた日を見据えて、そっと考えるのをやめた。

 カワマタの安堵の声が聞こえてきたのは、それからほどなくしてのことだった。


「よかった……渦こそ見えませんが、それでも日暮れ前に……」


 地平線に沈みゆく光源。青空を染める燃えるような赤。胸をなでおろすカワマタの姿を見て、ああついに到着したんだなと私は理解する。

 しかしそうしてたどり着いた場所はやはりと言うべきか。どこを向いても海しか見えないとはいえ、日帰りも慣れれば難しくなさそうな、()()だった。


「やれやれ」


 私はそう言って凝り固まったというほどでもない肩をぐるぐると回す。


「最初はこんな小さな帆船でどこまで行けるものかと心配したが――さすがに本職。杞憂だったな。しかし人手不足を理由に、ここまでこき使われるとは思わなかったが」

「すみません……」


 私があくまでも冗談交じりに不平不満を口にすると、カワマタはそう言って申し訳なさそうに苦笑する。


「これからだというのに、その前に疲れさせてしまって」

「僕はけっこう楽しかったけどね」


 それにキリボシが暗に気にすることないと個人的な感想を漏らす。続けてこんな機会めったにないしと後から付け足して、満足げな表情を浮かべる様は、何なら私にもそうでしょ? と語りかけているようですらあった。


「まっ、確かに退屈はしなかったな。それに私たちはこの程度なんともない。ただ大丈夫ではなかった男も若干一名いるようだが」


 私はそう言って、誰とははっきり公言せずに、船の甲板を見下ろす。そこには青白い顔をして横たわり、小さく唸ることで反論する長髪の男がいた。

 否、それが私の言に対する反論なのか、それともただ調子が悪いからそうしているだけなのか、それについてはそもそも男の声が言葉という体をなしてすらいないので、判断のつけようがないのだが。

 ただ長髪の男が咄嗟に口元を押さえたのを見て、私はそっと目をそらした。


「仕方ないです。帰りの操船まで考えると人は一人でも多いほうがいいですから。誰もが怖気づくような状況で、それでも彼は船に乗ることを決意してくれたわけですから、それだけでも感謝していますよ」

「お前は今から帰りの心配をしているのか?」


 私はそう疑問を口にしてから、ああ、そういうことかと内心で一人勝手に納得する。


「なるほどな。それで荷物として三人も余分に連れてきたというわけか」


 私はそこで一度口を閉じて、これみよがしに気に入らないなと鼻で笑う。いや、ただ笑うのではなく、嘲笑う。


「お前、生きて帰る気がないんだろう」

「そんなことは……」


 カワマタは即座に否定する。しかし口ではそう言いながらも一瞬、落ちかけた視線と尻すぼみの声の調子を聞けば、その内心に沿っていない発言であろうことは明らかだった。


「言っておくが、私たちがここにいるのは金をもらってマリーナに行くためだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。だからお前の自棄や憂さ晴らしに私たちは付き合ったりしない。要するにだ。カリブディスの排除にお前の存在が邪魔になるというのであれば、私たちはまずお前を先に排除しなければならない。これ以上は、もう言わなくても分かるな? カワマタ」

「アザレアさん……」


 私の言葉にカワマタは視線をそらす。それだけで私は、そのあとに続けられるであろう言葉の意味が、不服であろうことを先んじて理解したわけだが、カワマタはそれだけでは伝わらないだろうとばかりにさらに顔を強張らせる。


「私の身を案じてくれているのですね。短い時間ながら同じ船に乗り、言葉を交わした今だからこそ私にはそれが分かります。しかし無理なものは無理なのです。なぜなら私は、あの日からずっと、今日のために――」

「準備してきたか?」


 私が先回りするように声を遮るとカワマタは口を閉ざす。それを見て図星か、と私はまたこれみよがしに今度は小馬鹿にするように鼻で笑う。


「船の中を勝手に見させてもらったが、まさか海中の化け物相手に、剣を振り回して戦うつもりか? それとも魔法の込められた杖や書で、一人二役も三役もこなしてみせるか? 確かに魔道具は強力だ。よくもまあこれだけの数を集めたなと褒めてやりたいくらいだが、それもどこまで通用するかな?」

「分かっています。それでも私はやらないといけない。それでも挑まなければいけない。たとえ無意味に終わるとしても、私にはもう……それしかないんです」


 やれやれ、と私は思い詰めたような表情を見せるカワマタを前に、分かっていたことだが、一筋縄ではいかないなと頭をかく。

 どうやらカワマタには上から押さえつける、あるいは言い聞かせるようなやり方はあまり効果がないらしい。私は少しだけ説得のやり方を変えることにする。


「カワマタ、言い忘れていたが、私はカリブディスを知っている。だがそのことについてお前に話すことは出来ない。私はお前の言ったようにお前の身を案じているからだ。だから分かってほしい。それから……」


 キリボシ、と私はいつの間にか視界の端で全裸になっているバカに、服を着ろとジトっとした目を向け――なぜか逆に、海に潜るのだから服を脱ぐのは当たり前では? と真っ向から目で反論される。


「いやいや、そんな目で見ても私は脱がないぞ。いいから服を着ろ。魔法で潜る。それとも全裸で私に抱き着く気か?」


 そこまで言ってようやく渋々と服を着始めるキリボシ。直後にカワマタに名前を呼ばれて顔を向けた私は、見事なまでの平身低頭を目にすることになる。


「何の真似だ?」

「私は野盗ではありません。だからお願いしているんです」


 カワマタの率直すぎる物言いに、私は思わず苦笑した。否、普通に面白い奴だなと笑いそうになったところをぐっと我慢して苦笑にとどめた。

 ただやり方を上からではなく、普通に頼んでみるという誠実さで攻める方向に切り替えたのは、かなり効果があったようだ。


「カワマタ、私は話せないと、そう言ったはずだが?」

「すべて話せとまではいいません。ただせめて話せない理由だけでも話していただきたいのです。でなければ私は納得どころか、良し悪しを判断することすらできない。あなたは私を信用ならないと評しましたが、私はあなたを目で見て、話して、そして今、あなたを信じたいと思っています。だから……だから、お二人で行かれるというのであれば、せめて私がここに残れるように説得してください」

「説得、ね」


 私は正念場に立たされる。次の一言は重要だ。カワマタは引き下がりたくはないが、引き下がろうと現在進行形で努力してくれている。

 きっとカワマタの言う私の優しさだとか、誠実さだとかを汲み取ってそうしてくれているのであろう。

 しかし話せと言われても、カリブディスについてはほとんど話せないというか、話したくないことばかりなわけで。

 それでも話さなければならないというのであれば、話せる部分だけを話すしかない。そんな状況下に置かれた、というか自分で自分をそのような状況下に追いやった私は、明らかに納得させるには足りない情報量を補うべく思考を巡らし、平身低頭のカワマタをため息交じりに見据えて、これだ! と思わず微笑んだ。


「カワマタ、一度しか言わないからよく聞いておけ。海に巨大な渦を作っているのはカリブディスではない。そもそもカリブディスなど存在しない。渦は……作られたものではない。渦は……いや、これ以上は話せない。すまないが、どうかこれで納得してほしい。頼む、カワマタ」


 私はそう言って、勢いと熱量、それから真摯さでもってその場を乗り切るように深く頭を下げる。一秒、二秒、三秒……。もういいだろう。

 勝手に沈黙を是とすることにして頭を上げた私は、無言でキリボシを傍に引き寄せ、人知れず魔法を準備する。

 潜るのに必要なのは海中でも活動できるだけの空気。そして水に押しつぶされないための強固な空間。私は先を急ぐように、揺れる船の手すりに足をかけた。


「キリボシ、先に言っておくが、私から離れたら命の保証はできないぞ」

「分かった」


 キリボシがうなずいたのを見て、私は私にしがみつくキリボシと共に勢いよく船から飛び出した。というより逃げ出した。

 まあ、とにもかくにも殴らずに済んだのだから良しとしよう。

 そして空中で行使する魔法。私を中心にして、全身がすっぽりと収まるように周囲の空間を上下左右前後の六方向から蓋をするようにして切り取り、形成した箱の底面が海面を叩いたところで、続けざまに箱の内側へと着地する。

 どうやら上手くいったらしい。

 だがそうしてホッと一息つく暇はない。残りの魔力量を気にしながらも、足元の水を押しのけるようにして強引に箱を海中へと沈め、そのまま海底を目指して、下へ下へと突き進んでいく。

 日暮れ前ということもあって、すぐに失われる光。視覚では何も捉えられなくなり、完全な暗闇に包まれたところで、何となくキリボシのほうへと目を向ける。


「キリボシ」

「ん?」

「お前はカリブディスが何か知っているのか?」

「全然」

「そうか」


 私は言葉少なに会話を切り上げる。カリブディスのことは船に上がってからでも話せることだ。無駄に空気を減らすこともないだろう。

 しかし黙ると黙ったで聞こえてくるのがお互いの息遣いだけというのはなんというか、新鮮を通り越して妙な感じだ。

 暗闇でしがみつかれているのも変に落ち着かないというか、やけにキリボシの存在を意識させる。

 思えば一人で潜るほうが空気にも空間にも余裕があったはずなのに、私はなぜキリボシをわざわざ海中にまで連れてきたのだろう?

 そうするのが当たり前とばかりに疑問すら抱いていなかったからか、理由を考えたところでどれもこれも後付けというかこじつけというか、そのようなものしか浮かんでこない。

 いや、当たり前で思い出したが、そもそもキリボシとはバルバラで別れてもよかったわけで――。

 そこまで考えたところで急にふっと蘇ってくる不確かな記憶。ラミアを森に誘い込み、実際にはただの体調不良でしかなかったわけだが、石化したと勘違いして倒れた私は、何やらキリボシにとんでもないことを言っていたような……。

 もう少し時間をかければ思い出せそう。

 ただお前にはもっと他にやるべきことがあるだろう。そんな風に箱の底面が目指していた海の底を叩いたことで、私はそれまでの考えをどうでもいいこととして脇へと追いやった。

 さて、ここからは時間との勝負だ。

 私は両目に暗視の魔法を施し、周囲に目を凝らした。

 カワマタが巨大な渦が出たという場所に正確にたどり着けていれば、すぐにでも見つかりそうなものだが……。


「あった」


 そして目当ての()()はすぐに見つかった。


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