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十二品目 野生のマンドラゴラ

 水が飲みたい。とにかく水が飲みたい。そう思い始めてから、いったいどれだけの時間が経っただろうか。

 キリボシに出会ってからこれまで、我慢できないほどの水分不足に陥ったのは初めてだった。

 ではなぜそうなったのか。なぜそうなってしまったのか。

 キリボシはもちろんのこと、私も冒険者以前から培ってきた技術と経験で水の確保については、それなりに長けていたというのに。

 考えたときに思い浮かぶ原因は一つしかない。そう、魔王軍だ。

 キリボシも出会った当初に言っていたことだが、ゴブリンすら簡単に見つからなくなってしまった大森林。恐らく人間と同じでどこかへ逃げてしまったのだろうが、今や森では魔物以外の動物はすっかり見なくなっていた。

 もしかすると魔王軍がエドアルドへの侵攻の際に、食料を森に求めた結果なのかもしれない。

 何にせよ、レティシア陥落以前と以後で、森の様相ががらりと変わったのは確かだった。

 しかし水が手に入らないことを、森が干からびようとしている理由をすべて魔王軍に求めるのはいくら何でもやりすぎだろう。

 ただ今はそういうことにしておいて、怒りでも何でも原動力にしなければ動けなくなりそうなほど、私が水に飢えているのも事実だった。


「このままだとマリーナ行きは断念せざるを得ないな」


 私は掘り返した地面を見据えたまま、額に張り付いた汗を手の甲で拭う。どうやら足元の地面と違って、まだ体には汗が出るだけの水分が残っているらしい。

 ただ強い喉の渇きはそれを嘘だと言いたげだ。

 ふと気を紛らわせるように空を見上げれば、もう昼過ぎかと自然と焦燥感に駆られる。

 ああ、最後に水を飲んだのはいつだったか。

 せめて一滴だけでもと見るからに活力の失われた細い蔓を私は剣で切って、まあそうだよなと潤いを忘れた喉でため息を吐く。


「キリボシ……」


 そういえばと私はわずかな望みを託すように、その姿を探して歩き出す。

 思えば二手に分かれてからかなりの時間が経っている。ただその間キリボシは一度も顔を見せていない。要するに期待はできないわけだが、それでもキリボシなら何か水につながる手がかりを得ているかもしれない。

 頭では望み薄だと分かっていながら、私の歩調は自然と早くなる。

 弱り切った雑草の中に、立ったまま足元を見つめるキリボシの背中を私が見つけたのは、それからほどなくしてのことだった。


「キリボシ、何かあったか?」

「あ、アザレアさん。ちょうど良かった。いま探しに行こうと思ってたんだよね」

「それはつまり、なんだ。あったのか、水が」

「いや、まあ、そうとも言えるかな。ただどうしようか決めかねててね」


 キリボシは背中を向けたまま妙なことを言う。私もそうだが、キリボシも喉は渇いているであろうに。何をそんなに悩む必要があるのだろうか?

 居てもたってもいられず、キリボシの正面へと回り込んだ私は、そこに何があるんだと足元へと視線を落としたところでその理由をすぐに理解する。

 キリボシの視線が向かう先には、干からびかけた森で場違いにもみずみずしい緑の葉をつけた、一見して根菜のようなものが生えていたからだ。


「マンドラゴラか」


 確かにこれなら喉の渇きなど一瞬で()()()だろうが……。

 私はキリボシも恐らく考えたであろうことを後追いするように考える。

 マンドラゴラはあくまでも薬の材料だ。素人が気軽に採取できるものではない。その難易度の高さは、キリボシが手を付けていないというだけでも窺い知れるというものだ。

 要するに専門家でもなければ、採れないのだから見つけても意味がない代物。だからこそ高級品として街で取引されるわけだが、私たちは今それをどうにかして手に入れなければならない状態にある。

 ではどうするか。簡単だ。危険を承知で挑めばいい。


「キリボシ、こいつを採取したことは?」

「子供の頃に一度だけ。でもそのときはしっかり気絶したよ」

「よくこいつの叫び声を聞いて生きていたな。しかしどうする。お互いにそろそろ限界も近いだろう。ここは二人という利点を活かしてだな」

「一人が危険を承知で引き抜いて、もう一人がマンドラゴラと一緒に回収すればいいって? 残念ながらそれは無理だよ」


 キリボシはそう言って苦笑によく似た、自嘲的な笑みを浮かべる。


「マンドラゴラの叫び声には、引き抜かれた際に周囲の生物を気絶させるのとは別に、魔物を引き寄せる性質があるんだ。これは実体験だから確かだよ」

「待て、気絶するだけならむしろ問題ないと思うんだが、違うか?」

「絶対に気絶しない距離が分かっていればね。それが分からない以上、二人で一緒に気絶しちゃう可能性もあるし、出来れば避けたい方法ではあるよね」

「しかしだな」


 現状ではそうも言っていられないだろうと私は乱暴に頭をかく。するとキリボシはふっと笑みを浮かべて、その場に屈み込む。


「なくはないんだよね。方法」

「何?」

「引き抜かずに根の部分をかじるんだよ」

「お前……」


 私は頭を抱える。


「そもそもマンドラゴラが土に埋まっているから、こうして何とか引き抜こうとしているわけで」

「どこからどこまでが根なのか。植物なら葉が出てなくて、地面の下にある部分。つまり表面の土を思いっきりかじれば、食べられると思うんだよね」

「待て待て、仮にかじったとしてだ。いやかじれたとして、それで叫ばない保証がどこにある?」

「たぶん大丈夫だよ。実はアザレアさんがここに来る前に、上の葉を少しかじってみたんだよね」

「お前というやつは……」


 あっけらかんと言うキリボシに私は呆れ半分怒り半分で、自分でもどうしたら落ち着けるのか分からなくなって結局、天を仰ぐ。


「それでもし、お前も私も気絶することになっていたら、どうするつもりだったんだ。土の中で叫ばれる分には問題ないとでも思ったか?」

「マンドラゴラは引き抜くと叫ぶ。でしょ? それにアザレアさんには魔法がッ」


 私は気が付くとキリボシの頭頂部をかなりの力で殴っていた。


「魔法はマンドラゴラほど万能じゃない。それに向き不向きや得手不得手の問題もある。今も魔法でどうにかなるのなら、迷わずそうしているところだ」

「ならなおのことかじるしかないと思うんだよね」

「早計だ。そもそも葉ではだめだったのか?」


 そう聞いてから気づく当たり前の道理。それで済むのなら、すでに葉を食べたキリボシが改めて根を食べようなどと言い出すわけがない。


「いや、何でもない。だが仮に食べるとして、だ。何も食べる場に二人揃っておく必要はないだろう」

「そうだね。僕が先に食べるよ。言い出したのは僕なんだから」

「分かった。私はあとで食べる。と言いたいところだが、ここは私の方が適任だ。お前の言うように魔法があるんだからな。異論はないな?」

「い、異論は……ない、くは、ない、けど、うん。あ、それなら僕に魔法を――」


 物分かりの悪い奴だなと、私はまたキリボシの頭頂部に、今度は優しく手刀を振り下ろす。


「気持ちは嬉しいがそれはできない。というより難しいと言ったほうがいいか。魔法は自分に行使するのと……」


 私はそこで口を閉じる。不意にずきりと頭が痛んだからだった。そっと額に手を当てると、熱が出始めているのが分かる。

 どうやら限界が近いらしい。


「キリボシ、話は後だ。さっさと距離を取れ。私はここを離れたらもう戻ってこられるか分からない。仮にお前に任せて、お前が一人で気絶したとしてもだ」


 だから頼むと私が頭を下げるようにその場に膝をつくと、キリボシはそれまでの頑なな態度を崩して素直に立ち上がる。

 どうやら私に任せる気になったらしい。


「その、絶対に無茶だけはしないでね。たとえば途中で気が変わって引き抜こうとするとか。あとはええと、喉や口内が乾いてるときの食事は、誤嚥に繋がりやすいから気を付けて」

「ああ、分かったからもう行け。心配せずともお前が食べる分くらいは残しておいてやるから」


 私がそう言うと、キリボシは分かりやすく呆れながらも最後には笑ってため息を一つ、すぐに背中を向けたかと思うと喉の渇きを感じさせない速度で駆けていく。

 なるほどな。体調不良を理由にすればあいつは納得してくれるのか。

 そんなことを思いながら、キリボシの姿が木々の向こうに見えなくなったところで私は周囲に生えた雑草をかき分け、マンドラゴラと一人向き合う。

 なんてことはない。あとはただかじるだけだ。

 地面に手と膝をついて、私はマンドラゴラの葉を優しく持ち上げる。案の定というべきか、根は見えない。

 そっと鼻を近づけると周りの草の匂いに混じって、青臭い匂いがかすかにした。


「さっさと食べるか」


 気持ち的にはマンドラゴラの根を覆う、表面の土を少しでも手で押しのけてからかじりつきたいところだが、それで叫ばれたのではわざわざ引き抜かずに食べようとしている意味がない。

 しかしこいつをもし引き抜けたなら、いったいどれほどの富をもたらしてくれたことやら。

 手持ちの少なさからついそんなことを考えてしまうが、もちろん考えるだけで行動に移したりはしない。

 にしてもなぜこいつだけこれほどまでに元気なのだろうか?

 あまりにも周りと対照的で、自然とこいつが原因であるかのように思えてくる。

 まあ今はどうでもいいことか。


「いただきます」


 私は大口を開けて、マンドラゴラが埋まっているであろう、地面へと顔を近づける。

 キリボシには魔法がどうだのと言いはしたが、もう頭痛が酷くてそれどころではない。要するに普通にかじりつくだけだ。

 そうして思いっきり前歯で土を抉り取り、まずはと変わらぬ静けさに安堵する。それからゆっくりと中身を確かめるように噛み締める。

 硬い。当然だ。土といっても細かい石は混じっている。

 だが下手に吐き出すわけにもいかない。このジャリジャリとした食感の中にマンドラゴラが入っているかもしれないのだ。

 私はとにかく探し続ける。そして舌で捉える明らかに土とは違う、柔らかい感触。まるでトレントのようだなと思ったが、甘くもなければ動き回りもしないそれは、ただの柔らかい植物の根だ。

 そのまま何事もなく飲み込んで、私はふうと一息つく。


「すでに頭痛が治まり始めている。それに喉の渇きも……少し渋いが効果は覿面(てきめん)だな。いや、結構渋いか? 待て、かなり渋いぞこれ!」


 後から後から押し寄せてくる渋み。なぜ大森林で私が口にするものはこうも攻撃的なものばかりなんだ? と不満を募らせていると、不意に舌が痺れてくる。

 それでトレントの次は野草かと立ち上がった私は、最悪な組み合わせから意識を逸らすように大きく息を吸い込む。


「キリボシー! 舌が痺れてるんだがー! あと、しぶーい!」


 私は口元に手を当てて、聞こえているかどうかは関係ないと、とにかく溜まった鬱憤(うっぷん)を晴らすように思いのままに叫ぶ。

 言うなれば大きい独り言。次は何を叫んでやろうかと考えていると、遠くから名前を呼ばれて、私は少しだけ驚く。


「マンドラゴラはー! 薬の材料でーす! 用量を守って、食べてくださーい!」


 なるほど、私は食べすぎたわけか。

 確かにマンドラゴラが一口大で取引されているのは見たことがない。

 あって指の先ほどの欠片や粉末で少量ずつだが――。


「マンドラゴラの適量なんて知るわけないだろ! もし知ってるなら教えてくれー!」


 答えは返ってこなかった。


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