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二品目 焼きゴブリン

 無慈悲な決定、飛び交う怒号(どごう)。欲にまみれた馬車の荷台で、目を閉じ両手で耳を塞ぐ私はまだ何者でもなかった。

 それは私がまだ幼かったころの記憶。苦いものにならなかったのは、幸運にも手を差し伸べてくれた彼が、この世界の広さを教えてくれたからだろう。

 あのとき初めて()()()()()()()肉の匂いと、禁忌に触れたかのような独特な味は今でもよく覚えている。

 そうだ、あの時もこんな風に煙の奥から獣がやってきて……。


「やあ、よく眠れたみたいだね」

「ああ……」


 私は横たわったまま木々の隙間から正面の青空を見上げる。やがてはっきりとしてくる思考、そして認めざるを得ない時間の経過。

 ふと昨晩のことを思い出して、食い物に釣られるなんてと、今さら自分が恥ずかしくなる。


「まさか毒キノコを食べて、朝寝坊とはな。これで多少なりとも体が楽になっていなければ――」


 いや、違うなと私は思いなおす。それで上半身を起こし、頭を下げる。


「礼がまだだったな。助かった。ありがとう」


 私がそう言うとすぐにそれは違うよと訂正してくるキリボシ。何が違うんだ? と私が顔を上げると、キリボシは鍋をつつきながら、困ったように苦笑する。


「礼を言うのは僕のほうだよ。街には帰れないし、だからって別の場所を目指すにしても情報が少なすぎるし。そんな状況でアザレアさんに会えたんだから」

「それで? どうするか決まったのか?」

「僕はいいけど、アザレアさんのためにも村を目指したいところだよね。まっ、とりあえず今はご飯にしない?」


 そう笑顔で提案してくるキリボシの言葉を断れなかったのは、きっと腹が減っていたせいだろう。

 キリボシから流れるように差し出された(はし)と木皿に盛られた赤黒い肉を受け取り、私は遅い朝食をとることにした。


「いただきます」


 手を合わせたのち、さっそく食べ始めるキリボシ。私はそれを見て、昨晩と同じように毒はなさそうだなと手元の赤黒い肉を箸でつまみ上げる。

 ただ腹は減っているというのに、そこから先に進める気がしないのはどうしてだろうか。

 鼻をつく獣臭さに顔をしかめている自分に気づいて、そういえば聞いていなかったなと、つまみ上げた肉を一度皿へと戻す。


「キリボシ、これは何の肉なんだ?」

「ゴブリンだよ」


 キリボシはあっけらかんと言う。


「ゴブ――待て、なんだって?」

「ゴブリンだよ。昨日アザレアさんが食べたいって言ってたでしょ? だから早起きして捕ってきたんだ。でも魔王軍が近くにいるからかな。なかなか見つからなくて、朝食のつもりがほとんど昼食になっちゃったよ」

「それは……面倒をかけたな」


 私は返答に困った挙句、言葉を絞り出すようにそう告げる。

 ゴブリンを食べたいなどと言った覚えはないが、分からないなりにキリボシの人となりが少しでも分かったと思えば、そう悪いことばかりでもない。


「ただ私が好きなのは新鮮な果物であってだな」

「そうなの? まあ僕も、ゴブリンはあんまり食べようとは思わないからね。脂肪をため込みにくい体質なのか、筋肉質だし」

「それよりも味のほうはどうなんだ。あと臭いとか」

「アザレアさんは昨日のテングダケが相当(こた)えたみたいだね。まあ、食べられなくはないから」


 キリボシはそう言って笑う。ただその平気そうな顔に二度も(だま)されてやる気はない。それでも決していいとは言えない現状を考えれば、例え食べたことのないものだとしても、食べるものがあるだけ幸せであるからにして。


「ゴブリンか……いただきます」


 私は勢い任せに肉を口の中へと放り込む。結局は食べることになるのだからこれ以上、躊躇しても仕方がない。

 ただ噛み締めると予想通りに口いっぱいに広がる獣特有の臭い。しっかり焼けているというのに、生臭さと尿が入り混じったかのような臭いにむせそうになる。

 いやこれは――と、堪えている内に問題はそこではないとすぐに気づかされる。


「どう? 食べやすいように出来るだけ薄くは切ってみたんだけど」

「いや、薄いとか厚いとかそういう問題か?」


 すでに対策してこれかと肉の硬さに私は辟易する。にしてもどれだけ噛めば柔らかくなるのだろうか。限度を超えたゴブリンの硬さに完食が遠のくのを感じて、消化に悪そうだなと思いながらも無理やり喉の奥へと押し込む。

 直後にどっと押し寄せてくる(あご)の疲れと不快な臭い。一度手を止めたら最後、もう喉を通らなくなるような不安に駆られて、咄嗟に次の肉へとかじりつく。


「気に入ってくれたみたいだね」

「そんなわけあるか。うっ……この調子だと食べきっても、半日はゴブリンを口内に飼うことになりそうだ。これならまだ苦いだけで香りはいいテングダケのほうが百倍マシだった」

「夕食は決まったね」

「冗談に決まっているだろう。私はもっと――そうだな。とにかく素材そのものを生かした料理はもう十分に堪能した。ありがとう。そこで私から提案だ。ここから最も近い村を目指そう。そこで塩か砂糖でも手に入れば、たとえ素材が何であれ、我々の食卓は今以上に豊かになる。そうは思わないか? 料理長」

「そうだね。このままゴブリンを食べ続けて、アザレアさんの顎が壊れないか心配し続けるよりはいいかな。だけどここから一番近いっていうと……魔王軍がすでに通ったあとかも」

「その可能性はあるが……魔王軍は多種多様な種族によって構成されている。大森林を避けて進軍してきたのも、多種族ゆえに揃わない足並みをそろえておくためだろう。そしてこの場に奴らが居ない以上、今も道なりに進んでいるとしたら――」

「大森林を最短距離で抜けていく僕たちのほうが早いと」


 そうだと、私は軽くうなずく。もはや喋るのも億劫になってきた。それでも食べるというより飲み込み続けた甲斐あってか、残された肉の枚数の少なさに私は人知れず勝利を確信する。


「でもよかったよ。アザレアさんがまた食べたいって言い出さなくて。ゴブリンは特に雑食だから、病気に冒されてたり寄生虫がついてることも少なくないから」

「おい」

「それに毒素を分解できないのに食べるから、内臓に溜まるんだよね。結局、安全に食べられるのは肉付きのいい――」

「おい、それ以上言ってみろ。吐くぞ」

「ここからだと村に着くのは明日の夜になるのかな? そういえばあそこの、マルタ村のワインで煮込んだ料理は絶品だったよ」

「ワインか……」


 もしグラス一杯のそれがあったなら。いや、それでも口内に一度住み着いた獣たちを追い出すのは不可能だろう。


「もうなんでもいいから顎に負担がかからなくて、それでいてみずみずしい……できれば甘いものが食べたい」


 そんなものがこの世界にあるとしたら――それはきっと果物に違いない。


「そんなのあったかなぁ……?」


 ブドウブドウブドウブドウブドウブドウブドウ――キリボシには今一度ワインが何から作られているのか思い出してもらいたい、そう思った。

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