十一品目 ポイズンホーネットの巣と共に
「うわっ!」
その日。いつものように木の根元に背中を預け、座り込むようにして寝ていた私は、珍しく夜中に騒ぎ出したキリボシの声で目を覚ました。
「あ、アザレアさん! いたたっ! ハチだよハチ! 起きて!」
「やれやれ、何事かと思えば」
たかがハチじゃないかと、私は目をこすりながら剣を抜く。たき火の周りを駆けまわるキリボシは、すでに刺されているようだが、だからと言って一回も二回も同じだと放っておくわけにもいかないだろう。
「いいからじっとしていろ」
「そ、それってホントに?」
私が剣を手に近づくと、キリボシは半信半疑といった様子で足を止める。直後に好機と見てか、キリボシを好き勝手刺し始めるハチ。それを素早く剣で叩き落とし、その数が二十を超えたところで私はキリがないなとため息を吐く。
「どうやら近くに巣があるみたいだな」
「そんな悠長な!」
二人で示し合わせたようにたき火のそばを離れる。しかし一向に追うことを諦めてくれないハチの群れ。月明りとうるさい羽音を頼りに叩き落とし続けるも、ハチはむしろ嘲笑うようにその数を増やしていく。
そしてキリボシだけでは刺し足りないと、ハチたちはついに私のほうにまで群がり始める。
「なんなんだこのしつこさは……チッ」
不意に足元を服の上からハチに刺された拍子に、私は思わず舌打ちを漏らす。直後に私を中心にして、円を描き始める風。キリボシの腕を掴んで強引に引き寄せたところで、私は感情的に魔法を行使する。
「あ、アザレアさんっ?」
「心配するな。追い払うだけだ」
一回転するごとに速度を上げていく風。数回転で群がるハチを押しのけ、それでも刺そうとしてくるしつこいハチたちを最後には回転に巻き込み、バラバラに切り刻んでいく。
「わあ、お見事」
「そんなことよりキリボシ。お前、顔真っ赤だぞ」
腫れに腫れたキリボシの顔を横目に、私はもういいだろうと風を散らす。しかしいったいどれだけハチに刺されればそうなるのだろうか。
周囲を見回すまでもなく、うるさい羽音が聞こえなくなった森は、とりあえず本来あるべき夜の静けさを取り戻していた。
「ああ、うん。ポイズンホーネットだからね。まあ、大したことないよ」
「お前はそうかもしれないが……」
刺された足元が地味に痛む。それに先を急いでいるわけでもない中で、不調を抱えたまま歩き続けるというのも気が重い。となると。
「この際だ。まだ魔力には余裕があるし、たとえ身体変化が解けたところで誰もいなければ問題もない。私も足を刺されたしな。ついでにお前のも――」
「あ、大丈夫大丈夫。ポイズンホーネットは巣に秘密があってね。解毒って言い方が正しいのか分からないけど、少し食べるだけでこのくらいなら簡単に治るよ。それに栄養満点。せっかく出くわしたんだから、食べない手はないよね」
「巣を食べるのか? まあいいが……」
私は急に雲行きが怪しくなってきたなとかすかに眉をひそめる。ポイズンホーネットにそこまで詳しいわけではないが、確か巣は地中につくるはずだ。
それを食べるというからには、当然いまから穴を掘ることになるわけだが、こんな夜中にそんなことをするくらいなら、魔法に頼ったほうがいいような気もする。
ただ魔力を温存できるなら、そのほうが確実にいいからにして。
「それで? 私はどうすればいいんだ?」
「うーん、無駄に刺されることもないかな。いつも一人でやってることだし、巣のことは僕に任せてよ」
「なんだ、私は足手まといか? もし気を遣っているのなら、それは違うぞ?」
「気遣いというか、ええと、なんて言えばいいのかな。たとえ食べれば治るとしても、刺されながら巣を取るなんて、アザレアさんにはさせられないよ」
「なるほどな」
私は納得だと微笑み、そっとキリボシから目を逸らす。
「自分は無茶をするが、私には無茶をさせられないか。他人行儀もいいところだな」
「そんな、違うよ。僕はただアザレアさんに……もしかしなくても、怒ってる?」
「怒ってない。だからさっさと行け」
「うん……じゃあ、行ってくるけど……」
腑には落ちていない。でも巣は欲しいから行く。別れ際に見せたキリボシの顔と離れていく背中には、分かりやすくそう書いてあった。
そうしてその場に一人残される私。キリボシの姿が夜の闇に見えなくなったところで、いやいや、そんなわけないだろと私は頭をかく。
キリボシには私が怒っているように見えたらしいが、何が原因だろうか?
そもそもキリボシの言っていたことは正しいことばかりで、あまりにも正しいからちょっと冗談交じりに気になった点を私は指摘しただけだ。
「うん? 気になった点?」
ああ、そういうことかと、ようやく分からなかった怒りの正体に私は行き着く。
要するに私はキリボシの言動に怒ったのではなく、必要とされていない事実に寂しさを感じた自分の気持ちを強気でごまかしたのだ。
それをキリボシは怒っていると勘違いしてしまったのだろう。
「そもそも大森林に一人でいる時点で、そうだよな」
同じ冒険者かつ、駆け出しという肩書に引っ張られ、初対面で見誤ってしまったキリボシの実力。私にもあるように、キリボシにも冒険者以前というものが当然ある。
勝手な思い込みで守ってやらなければといつも気にかけていたが、いま思えば出会ってからずっと、守られているのは私の方だ。
やれやれ。思い上がりもいいところだな。というか普通に恥ずかしい。出来る事ならば気づきたくなかったくらいだ。私が無意識に強気でごまかしたのも今なら何となく理解できる。
とにかくキリボシが帰ってきたら勘違いさせてしまったことを謝ろう。
ただキリボシにはなぜ謝ることになったのか、そこまで知っておいてほしいような気がする。いや、そう思うのはわがままだろうか?
いっそのこと今からキリボシのことを追いかけて、二人で仲良くハチに刺されたなら。言葉で伝えるよりも、私の気持ちがより正確に伝わるかもしれない。
そうだ。私は遠慮されたり、気を遣われるのが嫌なわけではない。ただそれをときには否定したり、否定されたりすることが許される関係性を望んでいるのだ。
言うなれば対等。それは言葉でいうほど簡単なことではない。すぐには難しいだろう。
だがそれでも――そう思った時にはもう、私の体は自然と動き出していた。
「キリボシ! キリボシ! 大変だ!」
私は叫びながら、夜の森を駆ける。速度を上げるほどに冷たい空気が頬を激しく撫で、私に冷静になれと諭してくるが、私の足はもはや羞恥心程度では止まらなくなっていた。
「え、ちょ、どうしたの?」
「どうやら私は一度ハチに刺されたほうがいいらしい!」
「え?」
月明かりの下。頭の先から足の先までハチに覆われたキリボシを見つけたときには、やはりやめておけばよかったか? と後悔しかけたが、一緒になって刺されたあとには、やってよかったなという清々しさだけが私の中に残っていた。
それからほどなくして、たき火を前にした私は黙って耳を傾けてくれるキリボシに、なんとか経緯を説明することができた、と思う。
というのも考えと違って気持ちを言葉にするというのはなかなかに難しい。
いや、そんなことをしようと思ったこともなかったので、私がただ慣れていないことをしようとして、そう思っただけかもしれないのだが。
ただ私がいかに愚かで最低かを伝えたうえで謝罪すると、キリボシは戦利品である巣の欠片を無言で手渡してきて、静かに首を横に振った。
「僕もだよ。アザレアさんの話を聞くまで考えたこともなかったけど、たぶん知らず知らずのうちにそう思ってたんだと思う。だから、ごめん」
「なんだ、お互いさまだったのか。謝って損した」
私がそう言って笑うと、キリボシもふっと笑みを浮かべる。
「そうだね、謝って損したね? さっ、それが分かったなら食べよう? 実は腫れすぎてもうほとんど前が見えてないんだよね」
「なんだ、お前もだったのか」
いただきます。私がそう言うと、キリボシもそのあとに続く。
ただ巣にかじりつくのはキリボシが先。私はというと、小指ほどの真っ白なハチの子と狭くなった視界の中で目が合ってしまい、夜中で食欲があまりないのもあってか、一度は口をあけながらも寸前で躊躇してしまう。
「キリボシ、一応聞いておきたいんだが、巣だけじゃだめなんだよな?」
「巣だけでもいいけど栄養がほとんどないからね。要するに傷は癒えても体力までは回復してくれない。だからまあ、ダメかな」
キリボシは断言する。その顔は笑っているような気がするが、よく見えなくて苦笑なのか微笑なのか分からない。
まあ仮に分かったとしても私の悪態が一言、二言増えただけであろうが。
やれやれ。私はため息を吐く。望んで毒針に刺された体がさっさと食べろとその熱でもって催促しているかのようだ。
それで私は仕方なく一口かじって、まあそうだよなと遠い目をする。
「幼体がどうとか以前に、とんでもなく木だな」
「巣に使われているその木がポイズンホーネットの毒によく効くんだよね。たぶん他の毒にも効果はあるだろうし、巣が独自の配合で作られてて真似できないものでなければ、僕も真似して持ち歩きたいくらいなんだけどね」
「巣を持ち歩けばいいんじゃないか?」
「土から掘り起こすと、だいたい三日目には傷んで食べられなくなるんだよ」
「ふーん」
と、私はまた巣にかじりつく。
「というか、土臭くないか?」
「そこに気づくなんて、さすがはアザレアさんだね。ポイズンホーネットの巣は、とれた場所で風味が変わるんだよ。また食べる機会があるかもしれないから、今日の味を覚えておくといいかも?」
キリボシは笑顔でそんなことを言う。
うん? 笑顔で?
私はそこでようやく狭くなっていた視界が広くなっていることに気づく。
「味はともかく、効果は本物らしいな。まあ、巣の風味とやらは覚えられる気がしないが」
「大丈夫。巣の場所は覚えてるから、朝になったらまた取りに行こうか。三日でダメになるって言っても二日は持つわけだし、それに二人でやればすぐだよ」
「いや、できれば忘れたいんだけどな?」
私がそう言うとキリボシは残念そうに少しだけ肩を落とす。それで私は仕方ないなとなるわけもなく。
「そもそも巣の風味ってなんだ。木の味がして土の匂いがするだけだぞ」
「うん、だから土で風味が変わるんだよ。ポイズンホーネットは意外とどこにでもいるからね。僕は見たことがないけど砂漠にもいるらしいよ?」
「なるほどな」
私は適当にうなずいてから、砂漠? と後から気になって頭の中で繰り返す。
いや、砂漠の風味って、何……?




