十品目 オークの左腕2
言うが早いか、私とキリボシは我が物顔でオークのもとへと歩いていく。
その途中、当然のように私たちの存在に気付いて、一定の距離を保つように後退し始めるコボルト。それに素直でよろしいと私はコボルトを視線で制しながら、引き抜いた剣で棍棒を握っていないほう、オークの左腕を両断する。
「キリボシ」
「任せて」
巨体から切り離した腕を肩に担ぎ上げるキリボシ。コボルトが思った以上に大人しいのは獲物を諦めきれないからか、それともオークにやったように反撃の機会を窺っているからかは分からないが、何にせよ好戦的でないのはありがたい。
仮に襲われたとして問題はないが、そのつもりはなくても狩ってしまった場合、キリボシのことだから食べると言い出しかねない怖さがある。
いや、確実にキリボシなら食べるだろう。であればこそ何事もなく終わってほしいところだが……。
より筋肉質なゴブリンたちを見据えたまま、用は済んだと背を向けるキリボシに続いて私も後ろ歩きでオークから離れる。
これだけ距離が開けばもういいだろう。そう思ったのは私だけではなかったのか。
オークへと群がりだすコボルトたちを前に、私は何となくすごいものを見たような気分になる。
「コボルトの知能はゴブリンと大差ないと聞いたことがあるが、このコボルトたちはとんでもなく賢いな」
「大森林もレティシアから言えばかなり奥深くまで来たからね。バルバラが周囲の森に手を入れているのもあって、この辺だと特に賢くないと、そもそも生き残れないのかもね」
「バルバラ先生の教育の賜物というやつか。しかし魔物の知能を上げては、本末転倒だろうに」
「脅威度だけで考えればね。でもそのおかげで狩りすぎなくてすんだわけだし、僕からしたらすごく助かるけどね」
「その内に会話でも出来るようになれば、たとえ森に一人でも寂しくないか? お前はそれでも食べるときには躊躇なく食べるのだろうが……」
私は軽く想像してダメだなと首を横に振る。
「もしそうなったら、私はいよいよもって魔物を食べられなくなるだろうな」
「言葉を交わして相手を深く知ることで抵抗感が強くなるのかな? 僕は魔物を食べることに慣れてるから、その辺の感覚が鈍くなってるのかもね」
「私もお前の言うように、慣れればそうなるのかもな。今の食生活を考えれば、むしろ早くそうなってくれたほうがありがたいくらいだが」
「アザレアさんはやっぱりラミアを食べたこと、後悔してる?」
「それはないな。何なら最近は手にかけたなら食べなければと、そう思い始めているくらいだ。ただ人としての禁忌に触れたような気がしてな。その正当化に苦慮しているというか……いや、もういいだろう。コボルトからも十分離れたことだし、話はここまでにして食事にしよう」
「そうだね」
肩に担いだオークの腕を地面に下ろすキリボシ。その横で草を刈る私。すぐにキリボシも草を刈り始め、ほどなくして料理できるだけの空間が森に出来上がる。
そこからは自然と手分けするようにキリボシは腕の解体、私は火起こしとそれぞれの作業に専念する。
いつも通りの食事の準備風景。ただ今日は少しばかり気まずい雰囲気が漂っていて。
「済まなかったな。変な話をして」
「いや、僕も少し自重するよ。病気になるからだけど、人間は食べないわけだし」
「そういうことには詳しいんだな。だが食べられるものがあるだけマシという状況下で、自重までする必要はない。ただ目標にするのはいいかもな。私もお前がエルフを食べる姿は見たくない」
「アザレアさんも人間は食べないでね」
キリボシはそう言ってふっと顔をほころばせる。だから私も自然と微笑んだ。
そのなんてことない会話。ただほんの少しの歩み寄りを言葉にしただけで、ついさっきまで気まずいと感じていた雰囲気が今は妙に心地よい。
やはり言葉は偉大だな。
だからこそ私はこれからも考え続けることになるのだろうが。それも一人で悶々と考えるのでなければ悪くはないのかもしれない。
それからキリボシと適当に話しているうちにこんがりと焼き上がるオークの腕。一口大の賽の目と同じ形の肉が皿に盛られて私の手元にやってきたところで、キリボシとの会話の内容も自然とオークに変わる。
「肉から肉の匂いがしなかったらそれはそれでおかしいんだが、雑食のわりにそこまでだな」
「コボルトには負けちゃったけど、レティシアの近くなんかだと、オークには森で何を食べるか選り好みできるだけの力があるからね。それに少なくともネズミやスライムは食べないだろうし」
「私たちよりもいいものを食べているということか」
羨ましい限りだなと私はフォークの先端を肉に突き刺し、指先に伝わってきた適度な肉の弾力に思わずあれ? と拍子抜けする。
「ゴブリンを引き合いに出すから身構えていたが、言うほど硬くないじゃないか」
私は心配していた匂いと硬さがゴブリンほどではないと分かったことで、あとは味だけだなと随分と気が楽になる。
ただそのままの流れでいただきますと、深く考えずに口の中へと肉を放り込んだのは間違いだった。
そう、それがすべての始まり。奥歯でしっかり噛み締めたときにはもう、肉からあふれ出した濃厚な脂が口の端からこぼれ落ちていた。
「ちょっ、なっ、なんだこれっ。吸血鬼を絞ったときみたいに際限なく脂が……」
「さすがはアザレアさん、鋭いね。吸血鬼からは塩がとれるように、オークからは脂がとれるんだよね。ただ個体差があるし、日持ちもしないから、僕はわざわざそのために狩ったりは、って。大丈夫?」
「大丈夫じゃない……う、上を向いていないと脂が……」
口の中で大洪水を起こす脂をこぼさまいとする私にようやくキリボシが気づいて、言葉で触れてくる。
ただ狼狽える私を見て楽しそうに笑っているだけで、キリボシには助けようという気がまるで見られない。
「オークを食べるとなぜか自然と上を向いちゃうんだよね。さっさと飲み込めばいいだけの話なんだけど、本能的に体が拒絶してるのかな? まあでもオークの体の中では一番食べやすいところだし、味はそんなに悪くないでしょ?」
「あ、味?」
言われて探す口の中。私は脂の海の底深くで、隠れた酸味を舌にとらえる。
「胃液みたいな味がする」
「あれ? オークの肉というか脂は特に甘みが強いんだけど、どうしてだろう?」
「いや、こっちが聞きたいんだが?」
「ああいや、そうか。分かったよ。たぶんそれは本当に胃液だと思う」
「吐いていいか?」
「アザレアさんは肉自体あまり食べてこなかったみたいだし、オークの脂の量に、本当に体が拒絶してるんだね」
「なあ、吐いていいか?」
「手にかけたなら食べないと。誰の言葉かは忘れたけど、良い心がけだよね」
いや、このオークを手にかけたのはコボルトだけどな。そう思いながらも、あまりにもいい笑みを浮かべるキリボシを前に私は言い返す気になれず、結局嫌がる胃に無理やりオークの肉と脂を押し込んだ。
ああ、いつかこいつにも私と同じようにゲテモノを食わせて、それを横から笑顔で眺めてやりたい。
私がジトっとした目でキリボシを見ていると、キリボシもまた目を細める。
「そんな目で見てもだめだよ。残さず食べないとマリーナまで体が持たないよ?」
「ちなみにだが、今の私がどんな目をしているか教えてくれないか」
「え? あー、コボルトにしておけばよかった?」
私は無言で残りのオークを口の中へと詰め込んだ。
こいつ全然わかってない!




