九品目 ラミアのハンバーグ5
そうあっけらかんと言うキリボシに皿を要求し、私は口内を労わるように鉄板の上から四分割したハンバーグを集める。
その間も口の中で主張し続けるラミア。食べているときには熱さでほとんど分からなかったが、後味からしてハーピィ、つまり鳥肉に近い味をしていたような気がする。
食感はどうだろうか。キリボシは骨が多いと言っていたが、ひき肉にされているのもあってか、何の印象にも残っていない。要するに柔らかすぎず硬すぎず、普通と呼べる範囲内に収まっていたということだろう。
ただ! と私は心の中で声を張り上げる。
この鼻を突く臭いはいったいなんなのだろうか?
単なる獣臭さとは明らかに違う、刺激臭。そう、たとえるならば掃除の行き届いていない便所のような悪臭は、どういう経緯で生成されているのだろうか?
ラミアと接するうえで臭いと思ったことなどないため、余計に気になって仕方がない。
「しかしネズミよりマシか。まあ、この街のネズミと比べれば大抵のものはそういうことになるんだろうが……」
心情的にはブドウを腹いっぱい食べたいところだが、仮にネズミと同様に汚染されていた場合、倒れるだけならまだしも、次も無事に目覚められる保証はない。
そういう意味でも確実に街の外からやってきたラミアは、一度倒れた私にとって唯一安心して食べられる食材だ。
まあ出荷元が魔王軍であることを気にしなければの話なのだが。
「手間はかかったけど、気に入ってくれたみたいでよかったよ。それにしてもアザレアさんも慣れたものだね。ラミアぐらいじゃ、もう動じなくなってる」
「別に気に入ってもいないし、慣れてもいないし、動じていないわけでもないんだがな」
私はそう言ってハンバーグをほおばる。
「ネズミのせいでそれどころではないというだけで――」
私はそこで口を閉じる。何も食べながらしゃべるのが行儀が悪いと思ったからではない。脳裏にふと、ここまでなぜか気にしてこなかったある疑問が思い浮かんだからだった。
「そういえばなぜ同じものを食べたというのに、お前は何ともないんだ? お前と私の違いと言えば――なんだ。お前なら分かるだろ」
「うん。でも僕が大丈夫だからって、他の人も大丈夫だとは限らないし」
それは確かにそうだと思った。キリボシと一緒にされたのでは、普通の人間が可哀そうだ。
「まあ、あえて食べさせてみるという手もあるが、街の食料がすでに汚染されているとしたら、わざわざ調べなくてもそのうちに分かることだしな。しかしラミアのようにただ首をはねればいいというわけでもなし、魔王軍よりも厄介かもな」
「せめて汚染されているかどうか見分けがつけばいいんだけどね。それも今のところ分からないし」
キリボシはそう言うと肉を焼く手を止めて、フォークを片手に自分でもハンバーグを食べ始める。
「うん、よくできてる。でもやっぱり肉だけだとまとまりが悪いかな? まあ十分美味しいけど」
「そうだな。掃除をしなければお前らの主食は今日からこれだと、街を仕切っている商人連中に食わせてやりたいぐらいだ。ついでに外の連中にも同じように食わせてやれば、バルバラに余力がなくとも喜んで協力してくれるかもしれない」
まっ、私のように石化していなければの話だが。そう自嘲気味に後から思い出したように付け加えると、キリボシは不意に私の一部を指さしてくる。
「アザレアさん、手」
「手?」
私は促されるがままに右手を見て驚愕する。動きを止めていたはずの手がいつの間にか動くようになっている。
いや、本当にいつ石化が解けたんだ?
「私が眠っている間に何かしたのか? いや、起きた時にはまだ石だったよな?」
「アザレアさんが寝ている間に僕がしたことなんて、誰とも顔を会わせないで済むように目を光らせてたことぐらいだよ。善意なのは分かるけど、せめて医者だけでもって、今みたいに無人でもなかったから」
「善意か。商人は見張りを置いておきたかったんだろうが……」
キリボシは私が眠っている間に身体変化が解けないか、気にかけてくれたのだろう。結果的に解けることはなかったが、その気づかいは普通にありがたい。
「しかし何もしていないとなると、ますます分からないな。ネズミでおかしくなっていたとはいえ、時間では解決しないという見立ては今でも変わらないんだがな」
「そうだね。僕もそう思うよ」
「なんだ、いつもなら聞かなくても教えてくれそうなものを。解く方法に心当たりがあると言っていたお前のことだ。分からないというわけでもないんだろう?」
「それなら聞くけど、アザレアさんは本当に知りたいと思ってる?」
「それはまあ――いや待て、少し考える」
そう言って、私は自分の選択を疑う。キリボシに会ってからこれまで、ここまでの念押しをされたことなどあっただろうか?
キリボシは暗に聞かない方がいいと、そう言っているわけだが、だからといって聞かないという選択はありなのだろうか?
大量の石像を抱えるバルバラのためにも、今後同じような敵が現れたときのためにも、やはりどう考えても聞いておくべきことだと頭では分かっているのだが、どうにも踏ん切りがつかない。
いや、違うな。次も私だとは限らないのだ。
キリボシが石化したときのために私は知っておかなければならない。私にはそれを知っておく義務がある。
何よりキリボシは私を助けられるが、私はキリボシを助けられない。そんなのはご免だ。
私はそっと背筋を伸ばした。
「キリボシ。私はいま聞いておかなければきっと後悔する。だから聞かせてほしい。石化を解く、その方法を」
私がそう言うと、キリボシは静かにうなずく。
「目だよ」
「目?」
「うん。このハンバーグにはメデューサの目が入ってるんだ」
キリボシは至って真面目な顔でそう言った。
「ちょっと待て、メデューサ? 私たちが相手していたのはラミアだろう?」
「ハンバーグに目が入っていること自体には、何も思わないんだね」
「思う、思うが……」
キリボシの口から出てきたメデューサという名称。それは石化と聞けば誰もが思い浮かべる伝承上の化け物だ。
そもそもそんな存在が居るという前提で、目がどうのと言われたところではいそうですかとはならないのだが、石化された際にその尋常ならざる技の出来から、私が自然とメデューサを想起したのも確かだった。
私はキリボシの顔を疑い深くまじまじと見る。キリボシは本気だ。
となると本当にメデューサはいるのだろうか?
もしそうだと言うのなら、まずはその存在を証明してからキリボシには目がどうのと言いだしてほしかったところだ。
信じられる要素のない今、その過程をすっ飛ばして結論だけ述べられても困ってしまう。
「急にメデューサの目と言われてもな。とにかくそれがハンバーグの中に入っていて、それを食べたから私の石化は解けたということなのか? だがそんなものがなぜここにある? まさか元から持っていたとか言い出さないだろうな?」
「持っていたのはラミアだよ。路地で石化されかけて、そのあと大通りを歩いてみて、最終的にはラミアの目玉を手に取ってみて、アザレアさんの石化が解けたところでようやく確信したんだけどね。たぶん魔王軍だろうけど、酷いことをするよね」
「ラミアが持っていた? どういうことだ? 結局、石化はラミアの力で、目は不測の事態に備えて魔王軍が持たせていたということか?」
「ラミアの目はメデューサの目だったんだ。入れ替えたのか、入れ替えられたのかは判断がつかないけどね」
「え――?」
目を入れ替えた? 私の口は開いたまま塞がらなくなる。キリボシはいったい何を言っているのだろうか?
「まあ、簡単には信じられないだろうけどね。ただこのラミアと目がどう巡り合ったのかは知らないけど、少なくとも元の持ち主じゃないってことだけは分かる。僕はこの目を一度見たことがあるんだ。メデューサの――彼女の綺麗な目をね」
キリボシは淡々と語る。いや、努めてそうしているのだろう。気丈な姿にあれこれと聞きたい気持ちを抑えて、私はただキリボシの声に耳を傾け続ける。
「メデューサはいるんだよ。それに石化は制御できる。元の持ち主の手に返れば、残りの石化ももしかしたら。魔王軍に期待するのも変な話だけど、可能性がある限り、一つは食べずに取っておこうと思うんだ。勝手だけど、いいかな?」
「いや、お前……」
私は逡巡する。キリボシの話を最後まで聞いたうえでなんというべきか。気の利いた答えもすぐには思い浮かばずに、私は結局ただ今の気持ちを言葉にすることにした。
「そんな大事なもの食わせるなよ!」
「でもアザレアさんには必要だったし、それにさっきも言った通り、可能性があるだけでメデューサはもう――」
「おい! それ以上言うな! お前がそんなことを言うな! お前だけは絶対に最後まで諦めちゃいけない。そうだろう?」
「ごめん。そうだね。うん、その通りだよ」
「心配するな。私も手伝ってやるからな」
私はそう言いながら目頭を指で押さえる。別に調子が悪くてくらりと来たからではない。ちょっとだけ泣きそうになったからだった。
やはり聞いてよかった。しかしここまで感動するとは。もしかしなくても、いやきっと、病み上がりだからだろう。
「絶対に返さないとな」
「うん」
「友人だったのか?」
私の問いにキリボシは黙って首を横に振る。
「知り合いか?」
キリボシはまた黙って首を横に振る。
「じゃあ何なんだよ!」
「いやその、勘違いで襲われてさ。誤解を解くのに少し話しただけだから、あえて言うなら顔見知りというか」
「聞くんじゃなかった!」
「でもそのときに石化を解く方法も教えてくれたから、今があるわけで」
「目を食べろと? メデューサもメデューサだな、おい!」
私は怒りながら笑みを浮かべる。なんだ、結局のところキリボシが優しかっただけなのか。だけなのか?
キリボシに感情を振り回されていると、不意に屋敷の陰から初老の男性――私たちに依頼を持ち掛けてきた商人が、険しい顔つきで庭へと小走りで現れる。
「アザレア様! それにキリボシ様。今しがた確認が取れたことなのですが、マルタ村に吸血鬼はいませんでした。それでご報告なのですが、ぜひお二人に冒険者を率いていただきたいとのことです。もちろん、お受けしていただけますよね?」
私は何の話だとキリボシに目を向ける。すると耳元に近づいてくるキリボシ。口元を手で隠したかと思うと、実はと小声で話し始める。
「ここを借りるときにラミアを仕留めたのは僕らだってことを話してさ。まあラミアを持ってたから話さざるを得なかったし、持ってなかったら場所を貸してくれたかも怪しいんだけど、その時に相談されてさ」
「相談? あの商人は報告と言っているが?」
「なんでだろうね?」
本当に分かっていない様子で首をかすかに傾げるキリボシ。私は苦笑と共にまあそうなってしまったものは仕方がないかと頭をかく。
どうせキリボシのことだ。私が眠っているのを理由に、返答を先送りし続けたのだろう。その際に考えておくとでもキリボシが繰り返せば、前向きに検討してくれていると商人たちが勘違いしてもおかしくはない。
まあ、キリボシの場合、うまいこと誘導されて言わされていた可能性はあるのだが。
何にせよ、それを言質として、私たちは貴方たちのために準備したのだからと詰め寄られたら、まあ断りづらいことこの上ないだろう。
実際に初老の男性の言葉は、まるで決定事項のようだ。
まだそうと決まったわけではないが、仮にこれがバルバラの総意として街に浸透していれば、簡単には逃げ出すことも出来ない。
否、すでにそうだとしたら。
キリボシの口ぶりからして最初は見張りを置いていたというのに、途中から屋敷が無人になったのも、その必要がなくなったからだとしたら納得もしやすい。
「しかしよりによって商人の飼い犬か」
「アザレアさんっ、声がでかいよ」
「心配するな」
私は言いながら立ち上がり、キリボシをその場に残して、大股で初老の男性へと近づいていく。
そうしてお互いに手を伸ばせば、握手できるくらいの距離で足を止める。
「いくつか言いたいことがあるんだが、いいか?」
「もちろんです。アザレア様」
「であればまず感謝させてくれ。屋敷を貸してくれてありがとう。そして庭で肉を焼いて済まない。それから詳細は省くが、部分的な石化ならメデューサの目を食べることで元に戻るはずだ」
まあ、メデューサの目など、簡単に手に入るわけもないのだが。
「あとはネズミに気をつけろ。それもまたなぜかは詳細を省くが、とにかく掃除しろ。街がきれいになって困るやつもいないだろうしな」
「メデューサにネズミ、ですか。ラミアと吸血鬼の件がなければ、からかわれているとそう思っていたことでしょうね」
「お前ら商人に飼われてやる気はない。失せろ金の亡者」
「えっ?」
目と口を開いて動きを止める初老の男性。私はそっとキリボシへと振り向き、得意げに胸を張る。
「私もメデューサほどではないが、石化が使えるんだ。すごいだろ?」
「心配するなってこういうことだったんだね。まさか普通に断るなんて、すごいやアザレアさん。それで? どうするつもり? バルバラは簡単には逃がしてくれないと思うけど、今すぐ逃げてみる?」
「いや、とりあえず――風呂だな」
私がそう答えるとキリボシは何も言わずに、鉄板の上へと新しいハンバーグを並べ始める。
どうやら朝食はハンバーグだったが、昼食もハンバーグのようだ。
わあ、うれしいな……。




