九品目 ラミアのハンバーグ2
「もちろんこちらが得ている情報は全てお渡しいたします。これはその内の一つに過ぎませんが、日中はハーピィが複数体で村の守りを固めていることも、事前の調査で判明しております」
「そうか。ただ残念ながら、その依頼を私たちが受けることはない。いや、受けられないと、そう言った方がより正確か」
「受けられない、ですか。何か事情がおありのようですね。差し支えなければ理由をお聞かせ願えませんか?」
私は初老の男性を見据えたまま腕を組む。マルタ村に吸血鬼がいないことはそのうちに分かることだ。だがそれをいま知ることで出来ることもあるだろう。
ただその事実を教えてやる義理がない。それもタダで。
加えてまだ街に入って半日と経っていないのに、私のバルバラに対する印象はとてもではないが良いとは言えなくなっているのも問題だ。
それでも話すというのであれば私はただのお人よしだが、おあつらえ向きに目の前には商人がいる。そして私も今は商人ということになっている。
つまるところが情報を商品として、目の前の状況を取引として考えるのであれば、話せないこともない。
何より口ではすぐに街を出てもいいとは言ったものの、それではせっかくのブドウを食べる機会まで失ってしまうからにして。
どうせそのうちに売れなくなる情報だ。欲しいというのであれば売ってしまうのも悪くはないだろう。
私はそっと組んだ腕を両脇へと下ろした。
「バルバラに入れるよう手引きしてくれたことには感謝する」
まあそれも本当かどうか怪しいところなのだが。
「その代わりに聞かせてやる。マルタ村に吸血鬼はもういない。だからその依頼は受けられない。それだけのことだ」
「いない? マルタ村に? そんなはずはありません。我々がマルタ村についての情報を更新したのは、つい昨日のことですよ?」
初老の男性は信じようとしない。いや、むしろそれは正常な反応と言ってもいいだろう。
そもそも自分たちで重要だと判断して、情報を集めているぐらいだ。私でも部外者にそれは違うと言われたら、まずは相手を疑う。
ただ一つ、証拠を提示されたときを除いて。
「まあ周りのゾンビはそのままだからな。ただ教会にいた吸血鬼ならすでに私たちが始末した。何なら証拠もある。キリボシ、塩を見せてやれ」
私はそう言ってキリボシに目を向ける。しかしどういうわけか、出し渋るキリボシ。小声で何事かと聞いてみると、食べるわけでもないのに日中取り出して、いたずらに傷ませたくはないと言う。
私は至極当然のことだと思った。ただここで証拠を見せなければ、いま話した情報は確認されてそれで終わり、代償という話も怪しくなってくるだろう。
そういう事情もあって、ここはなんとしても証拠を提示しなければならない場面なのだが――。
ふとキリボシから初老の男性へと目を向けた私は、思わずなんで怪訝な顔をされなければならないんだ? と表情を微かに険しくする。
「あの、塩を見せられて私にどうしろと?」
「それは……」
言われてみればそうだなと、口に出しかけた言葉を私は飲みこむ。そもそもなぜ私は塩で証明できると思い込んでしまったのだろうか。
当たり前のように吸血鬼と塩を私は結び付けていたが、その場に居合わせたわけでもない相手にそれを信じさせるのは不可能だ。
仮に説明出来たところで正気を疑われるだけだろう。
しかしここで引き下がったのではあまりにもバカ。なりたくてなったわけではないが、本当にお人よしになってしまう。
どうにかこの塩は吸血鬼を絞ってできたものなんです、などと言わずに済む方法があればいいのだが。
そんなことを考えていると、不意に微かな悲鳴を耳が捉える。
「何だ?」
かなり距離があるみたいだが……いや、むしろ話をなかったことにできる好機では?
咄嗟に路地を引き返そうとしたところで、すぐに初老の男性に出鼻を挫かれる。
「こっちです」
言うが早いか、一人でさっさと走り出す初老の男性。私としてはそのまま逆に走り出してもよかったのだが、まあ理由ぐらいは聞いておくかとキリボシに目配せして、とりあえず初老の男性の背中を追いかけることにする。
「遅い!」
初老の男性に追いつくや否や飛んでくる鋭い視線。その顔つきは商人というより歴戦の兵士という感じだったが、今はそんなことはどうでもいい。
「お前が早いんだ。誇っていいぞ? で? 悲鳴とは逆に向かっているようだが、何か考えでもあるのか?」
「まずは情報の集まる中心地に向かいます。幸いなことに悲鳴は壁の外から――なんですか?」
私がうわあと汚物を見るような目で足を止めると、合わせてキリボシも初老の男性も足を止める。
どうやら商人というのは本当に自分たち以外どうでもいいらしい。
「幸いなことに、ね。悪いが私たちはここまでだ」
キリボシ、行くぞ。そう目配せして二人で来た道を引き返そうとすると、初老の男性がすぐに目の前へと回り込んでくる。
「待ってください。まだ何が起こっているのかも、これからどうなるかも分からないんですよ」
初老の男性は信じられないという顔をする。
「今から引き返すおつもりですか? ただの徒労で終わるかもしれませんよ。それにお二人が向かって解決できるならまだしも、もし手に負えなかったときにはどうするおつもりですか」
「悲鳴が一つや二つならまだしも、な」
私は少しずつだが大きくなり、近づいてきている悲鳴を背に苦笑する。
「少なくとも徒労で終わるということはないさ」
「ではなぜ……レティシアを守るために、魔王軍と最後まで戦われた他ならぬアザレア様なら、初動がいかに大切かよくご存知でしょうに!」
「落ち着け。誰に聞いたのか知らないが、私はそもそも最後まで戦っていない。こうして生きているのがその証拠だ」
しかし魔王軍か。レティシアのときを思えば騒ぎは小さいが、まあその可能性もあるなと一応、頭に入れておくことにする。
「いや、そんなことよりもだ」
そこまで言ってから私はあることに気づく。適当に騒ぎを収めて外の連中から謝礼でも貰おうかと思っていたが、目の前の商人から巻き上げればいいのでは?
「私はお前らと手を組む気はないが、協力できるとは思っている。私の言いたいことが分かるか?」
「商人の考え方ややり方が相容れないと、そう言いたいんでしょう」
「違う」
私はまあその通りだけどなと思いながらも、首を横に振る。
「手分けしようと言っているんだ」
「手分け?」
急にそういうことならと、目に見えて話を聞く気になる初老の男性。私はこれだから商人はと頭をかいて、まあ素直なのはいいことかと苦笑する。
「お前が、というよりもお前ら商人がどう思っているのかは知らないが、レティシアのために最後まで戦われたアザレア様とやらに言わせれば、魔王軍から街を守るのは不可能だ。だが少なからず人は守れる。人がいれば街はいくらでも作り直せる。私はお前らがもう少し優先順位というものについて話し合うことを望んでいるが、これまで商人として培ってきた損得勘定を捨てるのは、生き方を変えるのは簡単なことじゃない。だからそれまでの――」
私はそこで口を閉じる。初老の男性がもういいと手で遮ってきたからだった。
「貴女は街を、バルバラを蔑ろにしろと言うのですか?」
そんなこと出来るわけがないと、初老の男性はその顔に薄笑いを浮かべる。
「貴女がた冒険者にとっての王都とはわけが違うんですよ。仮宿とはね」
「やれやれ。お前は傭兵を不自由だと言ったが、私から見れば資産や損得に思考や行動を縛られている商人も大概――いや、もういいか」
私は面倒になってため息を吐く。結局のところ街をどうするかは街の人間で決めるべきだ。その最期も然り。自分で決めたことならどのような結末を迎えようとも、納得は出来るだろう。
初めから口を挟むことでもなかったなと私がキリボシをチラと見て歩き出すと、初老の男性もまた小さくため息を吐いて歩き出す。
そうしてすれ違い、一歩で二歩分の距離が初老の男性との間に開いていく。
「よく分からないけど……良かったの?」
それが何歩目だったかは分からない。ただキリボシにそう聞かれた私はそっと足を止めた。
良いわけがない。
私が振り返ると、初老の男性もちょうど振り返ったところだった。
「金貨十八枚。それで少しだけ時間を稼いでやる。文句あるか?」
「大ありですよ。情報は速度が命。あなたに付き合った時間を差し引いて――そうですね。金貨十四枚。もちろん何事もなかった場合には返金していただきますが、それでいいですね?」
「お前らなら街なんかなくても人さえいれば稼げるさ。いくらでもな。乗った」
私は褒めたつもりだったが、初老の男性は苦笑いを浮かべた。そして最初からまるでこうなることを予見していたかのように、初老の男性の手を離れて宙を舞う小さな巾着。それを一歩も動かずに手元に収めた私は、すぐにその中身を確認する。
金貨が十一、十二……十四枚。用意がいいなと呆れたように笑うと、初老の男性は満更でもなさそうに笑った。
別れの挨拶がどれかと言われればそれだった。私と初老の男性はほぼ同時に背を向け、今度は歩くのではなく一歩目から駆けて行く。
互いの距離は見る見るうちに離れていって、すぐに足音も聞こえなくなった。
「金貨十四枚かあ。随分と儲かったね」
「事と次第によってはそれもどうだか」
キリボシと共に来た道を引き返し、大通りが見えてきたところで並んで足を止める。どうやら話し込んでいる間に、混乱は街の中にまで波及してしまったようだ。
「人が多すぎる。壁が崩れたような音はしなかったが、外の人間がこれだけ入り込んでいるとなると、問題はすでに内にあると見た方がいいかもな」
「とにかく別の道を探したほうがよさそうだね」
「待て」
踵を返すキリボシの肩を掴んで無理やりその場に押しとどめ、私は返事も聞かずに目の前の人の波へと飛び込んだ。
そして隙間を縫うように道を横断した先で、目当ての物と人を見つける。
「おい、金貨十八枚だったな。受け取れ」
「ひぃいぃぃ」
「貰っていくぞ」
怯える店主に私は巾着と追加で金貨四枚を押し付ける。そうして店先からブドウを三房手に取り、両手に宝物のように抱えて再び人の波へと飛び込んでいく。
そこからは一歩一歩慎重に、傷つけないように道を横断していると、いつの間にやらブドウの盾としてそこにいるキリボシ。その顔は呆れ果てているが、今はありがたいことこの上ない。
そのまま二人で人込みを避けるように路地へ。
「アザレアさん」
私は何も言うなと両手に抱えたブドウ、三房の内の一房をキリボシへと手渡し、喧騒から少し離れるように歩き出す。
ただキリボシはブドウを受け取った後も、依然として何かもの言いたげで。
「分かった。お互いに一房ずつ食べた後の二房目は、一粒ずつ交互に食べる。それでいいな?」
「いや、そうじゃなくて。アザレアさんがブドウを買いに行っている間に少し考えてみたんだけど、さすがに騒ぎが大きいかなって。さっきの商人じゃないけど、一度高いところにでも上って、様子を見てみたほうが良いかもしれない」
「商人との口約束はどうするつもりだ? いや――」
そんなのは命に比べたらどうでもいいなとそっと足を止めて、私はバルバラへと入る時にくぐった防壁をそれとなく見上げる。
「どこに上るつもりなんだ?」
「ちょうどアザレアさんが見てる壁なんか、階段もあって上りやすそうではあったよ」
「バルバラご自慢の壁か。レティシアほどではないだろうが、展望はよさそうだ」
そうと決まればと、また歩き出した私にキリボシが背後から体当たりしてきたのは――ブドウの房を頭上に掲げ、いよいよだと大口を開けた――その直後だった。




