九品目 ラミアのハンバーグ1
バルバラのよく整理された路地を足早に抜けると、すぐに見えてくる大通り。早朝を過ぎ、いよいよ活気を見せ始めた街を歩く私は、武器屋に道具屋、薬屋に鍛冶屋とガラス張りの店内を外から流し見る。
そして目に入る寝具屋。一度通り過ぎたところであり得ないと引き返した私は、ガラス越しに見える一枚の値札を前に、その場から動けなくなる。
「ハーピィの羽毛を使った新商品……枕だけで白金貨一枚だと?」
「白金貨? そんなに価値があるなら、ギルドでも買い取ってくれたらよかったのにね。まあ、そのギルドももうないから売りようがないんだけど」
私が驚いていると横に並んでくるキリボシ。ただ私ほど目の前の事実から受けた衝撃は強くないのか、その横顔はいたって平然としている。
「いや、これなら直接店と交渉したとしても金貨一枚――いや、ハーピィの難度と遭遇頻度を考えれば、金貨二枚は固いか。キリボシ、一応確認なんだがこっそり隠し持っていたりはしないよな?」
「羽は食べられないからね。足はまだ残りがあるけど」
「足、足かあ。買い手がいればそれなりの値段は付きそうなものだが……」
機会に恵まれながら取りこぼしてしまった金貨が頭の中をぐるぐる回る。
ああ、せめて食べた一体分だけでも羽根を集めておけば、今ごろ好きなだけ果物を食べられたものを。
頭の中の金貨が果物に姿を変え始めたところで、後悔の念もより一層強くなる。
「アザレアさん?」
「分かっている。分かってはいるが、逃した魚はどうしても大きく見えて仕方ないというかな」
「そう? よく分からないけどブドウはもういいの?」
「ブドウ?」
「あそこにあるけど」
私はハーピィのことなど一瞬で忘れて、キリボシの視線の先へと目を向ける。そうしてその存在を数軒先の店先に認めるや否や、私は前のめりに歩き出す。
「そうだよな。バルバラだものな。ないわけがないよな」
レティシアでは毎日のように通った青果店。いつの間にやら遠ざかっていた果物の美しい整列。森の中で募らせた気持ちを抑えきれずに私の歩みは一歩ごとに速くなる。
あと少し、あと少しで手が届く。ああ、バルバラに来てよかった。あのとき、森でテングダケの匂いに釣られてよかった!
得も言えぬ幸福感からついには駆け出し、店先で果物たちと感動の再会を果たしたのとほぼ同時――今後のことを何も考えなければ、ギリギリ手の届く範囲だった値段が、店の奥から顔を出してきた青年の手によって値札ごと入れ替えられる。
「き、金貨六枚、だと?」
「あー、お客さん。惜しかったね。今ちょうど値上がりしたんだよ。まあでも、それじゃあ可哀そうだから……三つ買うなら金貨一枚分くらいは交渉に乗るよ。どうする?」
「どうするって……」
どれだけ考えを巡らせたところで足りないものは足りない。そもそも一つですら手持ちの金貨をすべて吐き出す覚悟が必要だったのだ。
それを三つからだと?
頭をよぎるのは先ほどの老婆の対応、朝食のネズミ。どうやらバルバラはレティシア陥落以降、ますます金がなければ話にならない場所になってしまったらしい。
「あれ、さっきまで金貨四枚とかじゃなかったっけ」
キリボシが後から追いついてきて、すぐに入れ替えられた値札のことを指摘する。しかし青年はへー、と感心するだけでまるで悪びれもしない。
「お客さん目が良いんだね。やっぱり冒険者か何か?」
「よく言われるんですけど、商人なんです。だよね? アザレアさん」
「金貨四枚……今すぐ値札を戻すなら見逃してやる」
「ちょちょちょ、それはないよお客さん。ここはバルバラ、レティシアじゃそれで通用したかもしれないけど、ここじゃ通用しないよ」
「四枚……」
そう言って私が剣に触れようとしたところで、横からキリボシに腕を掴まれた。
「アザレアさん、やめとこう。周りには衛兵もいるし、それ以外にも――」
「あんたらよくそれで商人を名乗ったもんだな。金がないんなら商売の邪魔になるから、さっさと失せてくれ」
「そうします。ね、そうしよう? アザレアさん?」
動きたくはなかったが、キリボシに無理やり腕を引っ張られ、ブドウの前どころか青果店から引き離された。
くそ……ひきつる青年の顔からして、もう一押しなのは明白だったのだが、それだけにキリボシの弱腰が気に食わない。
「なぜ邪魔をした。もう少しで――」
「買えたかもしれない? それは違うよ。もう少しで僕らは檻の中。悪ければそのまま処刑、明日には見せしめで城門前に吊るされていたかもしれないよ。アザレアさん。彼が言ってた通りここはレティシアじゃない。ここは彼らの街なんだ」
「私がこの街の衛兵程度に負けるとでも?」
「そういう問題じゃ……いや、そうだよね。僕がアザレアさんにもう少しいいものを食べさせてあげられていれば、こうはならなかったよね」
「それは違う」
「なら最低限の節度は守ること。いいね?」
「お前……そのやり方は卑怯だぞ」
私は思わずキリボシから視線を逸らす。
「ならみっともなく喚けばいい? それとも頭ごなしに怒鳴りつけたら分かってくれる?」
「それはそれで見てみたい気もするが……もしかしなくても怒ってるのか?」
「別に、怒ってはいないけどさ。好物の匂いに鈍感だったり、その、周りの――冒険者だったのかな。傭兵にも気付いていなかったみたいだし。ちょっと心配だよ」
「それは――いや、話はあとにしよう」
今度は逆にと私がキリボシの腕を引く。そのまま足早に路地へ。そして一つ目の角を折れたところで、行く手を塞ぐように現れる初老の男性。私とキリボシが足を止めると、初老の男性はふっと笑みを浮かべる。
「合格です」
「合格? なんだ、尾行はもういいのか?」
「試験と言ってほしいですね。元よりそちらの男性は、こちらに敵意がないことなど、お見通しのようでしたが」
「えっ?」
「え?」
思わず顔を見合わせるキリボシと初老の男性。正直かなりどうでもいいが、話がややこしくなりそうなので間を取り持つことにする。
「尾行の腕から推察するにかなりの実力者であることに疑いはない。だがそんなお前でも見立てを間違えることはある。下手な言い訳は必要ない。さっさと用件があるのなら話せ」
「なるほど、やはりバルバラに招いて正解だったようですね。さすがはレティシアが誇る金級冒険者アザレア様。と、ここまで言えばもうお分かりですね?」
初老の男性は白と黒が入り混じった顎髭に手で触れると、重ねて確認するように首を傾げてくる。
「代償か」
「その通りです!」
初老の男性はニヤリと笑う。
「あなた方にはこちらが支払った労力に見合うだけの、対価を支払っていただきたいのです。そう、冒険者風に言うのであれば、依頼という形で」
「やれやれ」
急に面倒になってきたなと私は頭をかく。
「それで? その依頼とやらを断れば街から追放か? 商人のやることはいちいち癪に障って仕方ないな。言っておくが街を出ろというのであれば、私たちは今すぐ出たっていいんだぞ? そもそも労力だか何だか知らないが、勝手に払っておいて恩着せがましく対価を要求するあたり、断られたら困るのはお前らの方なんじゃないのか? 商人らしくない。焦りがやり方に滲み出ているぞ?」
「アザレア様には冒険者以外にも商人の才がおありのようで。仰る通り商人は、バルバラは焦っているのでしょう。ただ貴女にはそれだけの価値がある。この焦りは貴女を重く見ていることの裏返し。そう思ってはいただけませんか?」
「それこそ商人らしくないな。自らの弱みを晒け出して何になる? まさか私の同情でも買おうというのか? まあそれならそれでいいさ。だが私の同情は安くないぞ?」
私がそう言うと、初老の男性はホッとした様子で胸に手を当てる。
「ブドウが買える金額であることだけは保証しますよ」
そして初老の男性は語りだす。バルバラの傭兵、その成り立ち。レティシアの冒険者が自由であるのならば、傭兵は不自由であると。
個人での経済活動の一環、あるいは延長で王都を、ひいては王国全体を守護する冒険者とは違い、傭兵は雇い主である商人たちの意向によってのみ動くことを許された、個人の利益を守るためだけの番犬であると。
「傭兵を管理しているのはバルバラですが、あくまでもそこから先、運用となると雇い主である商人一人一人の判断に任されているのです。しかしそれではいざというときに動かせない。いや、頼れない。ですがあなた方は違う。そうでしょう?」
「何が言いたい」
「傭兵は商人にとって都合のいい仕組み。であるならば、バルバラにとっての都合の良い仕組みがあったとしてもいいとは思いませんか?」
「この街には衛兵がいたと思ったが?」
「彼らは法の番人。あくまでも内側に対する抑止力であって、外に向けて行使する力ではありません」
「なるほどな」
傭兵がどうのと話し出した時にはどうなるかと思ったが……私はとりあえず傭兵になれというわけではないらしいなと、街の中心の方へとそれとなく目を向ける。
「傭兵ではバルバラを守れない。そんな風に現状を憂う誰かさんが、気を利かせて新しい組織を立ち上げることにした。そこに新たに育成する手間も省けて、ある程度組織だった動きにも慣れた人材がレティシアから流れてきたとなれば、使わない手はない。そういうことだな?」
私は自分で言いながら頭を抱えそうになる。
バルバラが冒険者を受け入れる。その判断がもう少し早ければ、シャビエルたちも死なずに、もしかするとマルタ村の悲劇も防げたかもしれない。
ただバルバラからしても誰でもいいというわけではないだろう。
シャビエルと一緒に居たようなのは実力があっても素行不良で落とされて結局野盗化。バルバラに処理されるという結末がなぜか容易に想像できてしまうのだが。
「その通りです。ただ我々も冒険者であれば誰でもいいという訳ではありません。あなた方が本当に使い物になるのか、試す機会を頂きたいのです」
「それは勝手にしろという感じだが……まあいいか。どうせ焦っているのもそれが原因だろうしな。ここから冒険者の足で二日の距離――マルタ村にまでは魔王軍の配下が来ているぞ?」
「やはりご存知でしたか。であればこそ話が早くて助かります。あなた方にはその魔王軍の配下、マルタ村に留まる吸血鬼を狩っていただきたいのです」
そう至って真面目に告げる初老の男性を前に、私は表情を変えずに、キリボシはしっかりと頭上に疑問符を浮かべて、どちらからともなく顔を見合わせた。




