四十三品目 ベルゼブブ2
「もうっ、アザレアさんも学生になったのなら少しは学生らしくしてよね。流行を知らないことは恥ずかしいことぐらいに思ってないと、すぐ周りの子たちと話が合わなくなっちゃうんだから」
「心配するな。そんなの恥の内にも入らないぐらい、盛大な恥を今朝方かいたばかりだ。注文は魔法で竜巻を作れだったが、ちょうどお前の髪型のようなつむじ風を作ってな」
「誰の髪型がつむじ風よっ!」
書庫に響くタチバナの声。おいおい、ここがどこだか忘れてないかと口元に人差し指を立てると、それを見たタチバナは反省した様子でそれでもと唇を尖らせる。
「書庫ではお静かに、でしょ? 分かってるわよ。でもつむじ風だなんて……あ、そうだ。アザレアさんも縦ロールにしてみない? そうすればきっと変な髪形って認識も変わると思うんだけど」
「しかしこんなところでレティシアの生き残りに会うことになるとはな。それもエドアルド王家の人間に」
「でもどうせならどこかでお披露目したいし――あ、そういえば今度ちょっとした社交の場が開かれるんだけど、そこなんかどうかしら」
「まさかレティシアの生き残り、それもエドアルド王家の人間にこんなところで会うことになるとはな」
「あー、でもそっか。そうなるとドレスを用意しなきゃなのよね。私のを仕立て直すにしても絶対に採寸は必要だから……アザレアさん。もしかしなくても今日、この後とか空いてたりする?」
「空いてない。というか話を聞け」
それを言うならアザレアさんもでしょ? そう声にはしないまでも悪戯っぽい表情でタチバナに諭されては、今度は私の方がそれでもと唇を尖らせそうになる。
「ていうかアザレアさん、男物だけどその制服二級でしょ? 竜巻が難しいなら三級から始めればよかったのに。ヒイラギは気を利かせたつもりなんだろうけど、でもそれでアザレアさんが余計に苦労してたら意味ないわよね」
「ヒイラギ? なんだ、タチバナ家というのは随分と顔が広いんだな?」
「先代まではね。私の代になってからは全然。でも顔を覚えるのは得意だし、昨日たまたまだけど学院でヒイラギの人間を見かけたから。それでなんとなくね」
タチバナはそう言うと机に積み上げていた内の一冊を手に取っては、パラパラとめくる。
「にしても水についてばっかり。剣士のアザレアさんがなんでよりにもよってって感じだけど、魔法での戦闘が遠戦になりやすいってことぐらい知ってるわよね? 距離がある分、相手も自分も対応しやすいから、ぶつかり合う魔法の相性が露骨に出ちゃう。だから魔法は満遍なく学ぶのが基本なんだけど……」
タチバナはそこで一度口を閉じては、ニヤニヤと机に突っ伏し、上目遣いで下から覗き込んでくる。
「もしかしなくても、弱みを補ってくれる人がいるのね? できたら――ううん、ぜひ直接会ってお礼を言わせてほしいんだけど」
「その必要はない。あいつは私と違って、レティシアの防衛戦には参加していないからな。それと勘違いしているようだが、私は戦闘を学びに来たわけじゃない。ここにはむしろ――」
私はそう言いながら内心で苦笑する。そもそも戦闘に使われるような高威力の魔法は魔力の消費も激しい。
ただそれでどうにかなるならいいが、それでどうにかならなかったときに消耗と釣り合わないのは、魔力の少ない私にとって死活問題だ。
それに私がこれから相手取ることになるのは、砂漠のエルダーなのだ。今から魔法を学んだところで対抗できるとは思えない。
ただ剣は違う。近づけさえすればどうにかできる自信がある。
だからこそここ帝都ではエルダーに近づく方法に関して何か取っ掛かりでも得られればと思っているのだが――それはもうエルフにはない人間のひらめき、発想の転換、偶然に期待するしかないだろう。
「そうだな、ここにはむしろ戦闘以外を学びに来たといっても過言ではない。帝都の街並みを見るだけでも、帝国が魔法だけでないことはよくわかるしな」
「そうなの? ならなおさら三級のほうがいいと思うけど……」
「一つ聞いてもいいか?」
「もちろんっ」
「さっきから二級だ三級だと言っているがそれはなんなんだ?」
「へ? ヒイラギから聞いてないの? って、聞いてないから聞いてるのよね」
タチバナは苦笑する。
「この学院はもともと年代別に三つの枠組みに分かれてたんだけど、それが年齢制限を撤廃した時に、分けてた三つが二級魔法士候補生とか三級魔法士候補生って名前に変わったのよね。で、それ以降は能力別に配属されるようになって、三級は基礎、二級は応用、一級はまとめ役として用兵なんかも学ぶようになったのよね」
「なるほどな。つまるところが間口を広げて兵を募っているわけだ」
「事実だけどその言い方はあんまりしないほうがいいかな。年齢制限を撤廃する前から在籍してた人たちの中には、なんで私までって思ってる人も少なくないし」
「嫌ならやめれば――いや、こんな状況でそんなことをすれば、臆病者として石を投げられるのは目に見えているか」
「それぐらいで済めばいいけどね」
タチバナはそっと視線を逸らしては、表情に影を落とす。
「中には極端な行動に出る人もいるから……」
「具体的には?」
「意地悪」
タチバナからジトっとした目を向けられては、コロコロと表情の変わるやつだなと思わず笑みがこぼれる。
「別に逃げたければ逃げればいいと思うけどな。逃げる先があればの話だが」
「その……アザレアさんは――」
「私はもう元冒険者だ。用が済んだら出ていくさ」
「そう、だよね」
「ああ、場合によってはレティシアの時とは立場が逆になるなんてこともあるかもな」
「そっか、うん。もしそうなったら、アザレアさんは私が絶対に守るから。それにいつだってタチバナは恩人に尽くす準備は出来てるし、二級のアザレアさんは遠慮なく一級の私のことを頼ってくれていいんだからね?」
タチバナはふふんと自信満々に胸を張る。
「一級か。なんだ、頼ってほしいのか?」
「頼りたいの間違いでしょ?」
「奇遇だな。いま頼りたくないの間違いになったところだ」
「レティシアにいたときは炎ばっかりだったんだけどね。今は水の扱いもけっこう得意だったりして」
「確かに、三日に一度は風呂に入ってそうだもんな」
「毎日入ってるわよ!」
勢いよく立ち上がるタチバナを前に、私はまたそっと口元に人差し指を立てた。
「内緒な?」
「何が?」
どうやら飲み水の問題はどうにかなりそうだ。




