四十三品目 ベルゼブブ1
白と黒で統一された上下、首元になびく小さな赤いリボン。一見して堅苦しくも上着を脱げば形式ばらないその制服は、正に学院で学ぶ者が着用するに相応しいものだった。
ただし、長いこと戦闘の中に身を置いてきた弊害かもしれないが、触れば分かる素材の良さや作りの丁寧さよりも、防御面や機能性にばかり目がいってしまっては、どうにも頼りなく感じられて素直に袖を通しづらい。
加えて動きやすさに偏重した丈の短いスカートは、険しい自然を相手にしながら幾度となく野宿を繰り返してきた私にとって、とてもではないが受け入れられるものではなかった。
それでも着替えることにしたのは、せっかく風呂に入って身綺麗になったのだから、この際血と煙の匂いは忘れて服を新調しようということになったからだった。
まあ、もともと荷物が多いだけで軽装のキリボシは、用意された制服がズボンということもあって、特に問題はないのだが――私はと言えば、どうしてもスカートを着用する気になれず、最終的には学院から新たにズボンを貰うことで手を打つことにした。
ただ下がズボンだからと言って、上まで男物で揃える必要はなかったのかもしれないが……。
「アザレア、やってみろ」
学院の広い中庭、その一角にて。クスノキという白髪の目立つ男性教諭に名指しされては、待ってましたと周囲の視線が集まってくる。
それもそのはず、朝から急に一緒に学ぶことになったというだけでも十分すぎるぐらいだというのに、格好でも無駄に注目を集めることになってしまっては、もはや学生たちの私に対する期待度は良くも悪くも最高潮に達していたのだ。
だからこそ漏れてきた溜息があり得ないほど深かったのであろう。
炎や水で作られた竜巻を見せられたあとに、竜巻でもなければ炎や水でもない、ただのつむじ風を披露した私に対する周囲の落胆は相当なものだった。
ただもちろんそうさせた原因のほとんどは私の力不足にあるのだが、勝手に期待したのはそっちだろうという突き放す態度もよくなかったのか。
もともと短期間だからと馴染む気も馴染める気もしていなかったのだが、私は一日目の午後にはもう、誰にも触れられない腫れ物のような存在になっていた。
まあ余計な邪魔が入らないと思えば悪くはないか。
そんな風にむしろ学習に集中できることを喜びすらしていたのだが、良く言えば周りの空気に流されなかった、悪く言えば空気の読めない者も、数多くの人が集まる学院ともなれば中にはいるようで。
とりあえず飲み水の問題だけでも解決しなければと書庫で一人、黙々と本をめくり机に積み上げていると、その場の静寂を破るように、横から勢いよくお転婆を絵にかいたような金髪の少女が覗き込むようにして顔を見せてくる。
「あなたがアザレアさん?」
「違う」
「ええっ」
つい面倒ごとを避けるように否定してしまっては派手に仰け反る少女。ただ本心ではなく流れでそうしてみせただけだとでも言うように、すぐに躊躇なく隣の席へと腰を下ろしては、また横から覗き込むようにして顔を見せてくる。
「私の名前はタチバナ・ドートリッシュ・エドアルド。今日はアザレアさんにお礼を言いに来たんだけど、少しだけでもお話させてもらえると嬉しいな」
「人違いだ」
「ええっ、ってもうそれはいいからっ。アザレアさんとはレティシアで会って以来だけど、命の恩人の顔を見間違えたりするはずないもの。だからあなたは誰が何と言おうと、絶対にぜーったいにアザレアさん。でしょ?」
食い下がる金髪の少女、タチバナは何もかもお見通しだとでも言うように口角を上げる。
しかしレティシアの生き残りか。
また珍しい人間に会ってしまったなとその真偽はさておき、少しぐらいなら話を聞いてやってもいいかという気になっては本を閉じる。
「要件は」
そう言うとタチバナは急に席を立つ。そうして椅子を元に戻したかと思うと周囲の人の目も気にせず、その場で姿勢を正して深々と頭を下げてくる。
「アザレアさんのおかげで多くの者が命を救われました。その一人として、同時にエドアルド王家に名を連ねる者として心より感謝申し上げます。本来であれば曾祖父にあたる王自ら礼を述べるべきところを私のような若輩からしかその旨お伝え出来ないこと、ご容赦ください。その代わりと言っては何ですが――」
タチバナは下げていた頭を上げて、にっこりと笑う。
「今はこの学院を運営してるクスノキとも縁の深い、タチバナ家の当主を私は務めておりますので、何かお困りごと等ありましたら何なりとお申し付けください。微力ながら、きっとお力になれるかと思います」
「そうか」
付け足すならいくらでも言葉を並べ立てることは出来たが、なんだか無粋な気がして私はそう静かに告げた。
「ところでその変な髪型はなんなんだ?」
「へっ――これは帝都でいま流行の髪型、縦ロールって言うのっ!」
頬を膨らませてまた隣の席へと腰を下ろすタチバナは、王侯貴族のエドアルドではなく、いい意味で空気を読まないお転婆な少女に戻っていた。




