四十二品目 帝都ラヴィニアの味はいつも一つ4
「行きましょうか」
帝都の壁をすり抜けたときのように、足早なヒイラギに先導されては玉座の間を後にする。そうして建物の装飾や調度品に興味のない私にとっては、ただ長いだけの廊下をひたらすらに歩き続ける。
どうして権力者というものは何もかも必要以上に大きくしたり、派手にしたりしてしまうのだろう。権威を知らしめるためとはいえ、それを理解できない私はきっと権力者に向いていない。そう思った。
「あれは兵士の詰め所、あれは雑貨屋、あれは装飾品店ですが服も買えます。あのでかいのは――まあ養成所とでも言っておきましょうか」
街に出たヒイラギは簡単な説明を交えながら、淡々と左右に平気で三階建て四階建て、あるいはそれ以上の高さの建物が立ち並ぶ帝都を突っ切っていく。
その何の感慨もなさそうな口調と足取りは、単純にヒイラギが帝都の街並みを日頃から見慣れているというのもあるだろうが、私とキリボシはそうではないからにして。
皇子に会わせると言われて歩いた道はどれも裏道や隠し通路のようなものばかりで、味気ないものだったが、改めて帝都を内側からしっかりと見ると、中々に刺激的で面白い。
さすがに人間の最先端を行くと、そう言われるだけのことはある。
そんな風に飽きることなくヒイラギの説明に耳を傾け、一つ一つの建物を興味深く眺めていると、やがて見えてくる大型の門扉。
クスノキ魔法学院、その下にクスノキ魔法研究所と書かれた看板を横目に、どうやら目的地に着いたようだなと躊躇なく突き進むヒイラギの後を追う。
そうして踏み入れる巨大な建物。権威のありそうな名前のわりに絵の一つも飾られていない廊下をしばらく歩いていると、不意に進行方向から漂ってくる食欲をそそる匂い。
壁を隔てて人気はあちこちにあるものの、最後まで廊下では誰ともすれ違わないまま食堂と書かれた空間にたどり着いては、そこにずらりと並んだ机と椅子の多さに圧倒されているところに、どうぞとヒイラギからお盆が手渡される。
「では食事にしましょうか」
今日は魚の煮つけと酢漬けの二種類から選べるそうですよ。ヒイラギは矢継ぎ早にそう言った。
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長い机にお盆が三つ。乗せられた料理に若干の違いこそあれど、私とキリボシ、その対面に座るヒイラギ以外には誰も食事を取る者がいない静かな食堂で、いただきますとそれぞれ思い思いに告げては、少し遅い昼食がようやくと始まる。
だがいくら空腹でも、すぐには食べない。
先にヒイラギが魚の酢漬けを食べ、芋のスープをすすり、パンにかじりついたところで毒はなさそうだなと順を追うようにまずはと魚の酢漬けに箸を伸ばす。
そうして味わう一口目。口に入れた瞬間、そして噛み締めた瞬間と二度にわたって口いっぱいに広がる、甘酢の爽やかな酸味とちょうどいい甘みに、思わずこれこれえ! と天を仰いでは、感動のあまり少し泣きそうになる。
まさか食事にここまで心を揺さぶられる日が来るとは……。
魔物とは違う癖のない味、しばらく触れていなかったせいで忘れかけていた普通。私はついに日常と呼べる場所に帰ってきたんだと幸せな気持ちに浸っていると、うん、だめだこれと、はっきり不満を漏らすキリボシに横から水を差される。
「分かりにくいけど、魚も芋もパンも、どれも昔酸性湖の近くで食べたスライムと同じ味がするよ」
「そんなわけないだろ」
すぐさま否定するように、キリボシの魚の煮つけ――は危険な可能性があるので避けては、同じスープに浮かぶ芋をひとかけらだけ頂戴したのち、口に放り込む。
「どう? アシッドスライムの味がしない?」
「いや、普通に芋の味がするけどな……」
意見の不一致に急に場がきな臭くなる。やはりキリボシにも同じ魚の酢漬けを選ばせるべきだったかもしれない。
ただそれはそれとして、どういうことだとヒイラギに目を向けると、なぜか面白がるように手を叩かれる。
「すごいですね。たまに素材の味が似ていることに気づく人はいるんですが、それも何度も食べた上での話ですし。初めてで言い当てた人は恐らくキリボシさんが初めて。それもスライムというだけでなく、その種類まで言い当てたとなると、もはや驚異的を飛び越えて少し怖いぐらいですよ」
「待てまて、これがスライムだと? そんなわけあるか。どう考えても魚は魚の味がしたし、芋は芋の味がしたぞ」
「そう味付けしているだけです。と言っても信じられないでしょうね。ですが帝国にはそれができる。ただそれだけのことです」
ヒイラギはどこか誇らしそうに語る。ただそんな突拍子もないことをはいそうですかと飲み込めるわけもなく。
「ありえない。なんでスライムが魚や芋になるんだ? 自慢じゃないが、私はスライムをかなり食べてきた。もちろん中には味のいいものもあったが、それは魚や芋にとって代わるような味でもなければ食感でもなかった。それこそ他の魔物だってそうだ」
「確かに王国には無理でしょう。もしかしたら魔王軍にもそれは無理なことかもしれません。それこそ帝国自身も、まさか魔物の研究が結果的に人の食糧事情を一変させてしまうとは思っていなかったことでしょう。ただそんな思いもよらないことが、日々あり得ないを可能にしていく。だからこその魔法の最先端。いくら非常時とはいえ、その中心たる帝都が何の考えもなしに外からの補給を断ったりはしない。そうでしょう?」
「それは……そうだろうが」
一理あるどころか、正しくそうだと思った。
帝都が門を閉じている理由が何にせよ、ある程度の蓄えや備えがあるからといって、実際に補給を断つのには危険が伴うし、何より勇気がいる。
しかし帝国は決断した。
となると危険を承知で勇気を後押しした根拠がそこにはあるはずだ。
分かりやすいのは友軍の存在。それは籠城戦としての基本だが、前提として耐えてどうにかなる見込みがあるのなら、積極的に閉じこもるのもありだろう。
ただすでに半身を失っている帝国が、わざわざ戦力を外に分散させるだろうか?
仮に分散させているとして門を閉ざしている以上、帝都からの補給は期待できない。そんな状況で友軍が成り立つだろうか?
まあヒイラギの言葉を借りるなら、そんなあり得ないを可能にするのが帝国とのことなのだが……。
現状でどちらがよりあり得ないかと言われたら、五分五分もいいところだ。
ただ、どちらがより現状を無理なく説明できるかと言われたら、この魚や芋が実はスライムで食料の確保に困らないからというほうが、違和感も少ないのかもしれない。
何より友軍説にはまるでない根拠が、スライム説にはある。
そう、キリボシの証言だ。
「にしてもスライムか……」
「正確にはアシッドスライムですが。何でも通常のスライムでは食べないようなものも溶かして食べるらしく、餌の調達が容易で増やしやすいそうですよ?」
「だそうだ、キリボシ。私のバカ舌ではまったく分からなかったが、よくこれがスライムだと分かったな?」
「いや、だってこれ体に毒だし……」




