四十二品目 帝都ラヴィニアの味はいつも一つ2
「おもてを上げよ」
耳に届く仰々しい声。私はあえてそれに従わず、床に片膝をついたまま頭を下げ続ける。
というのも皇子などとという、いわゆる国の代表者などと謁見する際には、一度下げた頭はたいてい二度目の指示で上げるものだということを、伝統や慣例を重んじるエルフたちから身をもって学んでいたからだった。
まあその知識が帝国にも通用するとは限らないのだが……。
とりあえずよく分かっていなさそうなキリボシには、道すがら口を開かなければ最悪は避けられることと、作法については真似すればいいと簡単に伝えておいたのだが、上手くできているであろうか?
あまりにも気になって、隣で同様に膝をつくキリボシへと目だけを向けては、中途半端に顔を上げているのが見えて思わず吹き出しそうになる。
こんな序盤で躓いていたら、部屋を出る頃には本当に牢屋に入ることになりかねない。
帝国の皇子が寛大な人間であることを祈りながら、一人冷や汗をかいていると、すぐに二度目の許可が私とキリボシにおりる。
どうやら私たちは許されたらしい。
これが仮にエルフ相手だったなら、そう考えるとゾッとしなくもないが、とにかく何とかなったのならそれでいいと胸をなでおろしては、そっと顔を上げる。
そうして見据えることになる空の玉座――と、その隣に置かれた小さな椅子に鎮座する、人の頭ほどの半透明の球。
皇子に会わせると言われてあれよあれよという間に通された絢爛豪華な皇帝の間にて、私とキリボシは、なぜか当たり前のように皇子を名乗る球を前に、疑問を挟む余地もなくヒイラギに言われるがまま跪いていた。
「早速だが、目的を聞かせてもらおうか。お前たちはこの帝都に何をしにきた?」
球から聞こえてくる仰々しい声。だがすぐには言葉を返さない。相手は球とはいえ、一応は皇子ということになっているのだ。
ではどうするのか。例えば皇子のような地位にあるエルフが相手だった場合、まず発言するのに許可が必要かつ、話すのにも第三者を介さなければならないという決まりがある。
となると帝国でもそうなのかどうかはおいておいて、万全を期すならまず初めに発言権を得る必要がある。
その相手は当然ヒイラギだろう。すぐに顔だけで背後へと振り返っては、立ち尽くすヒイラギへと視線を送る。しかし短く頷き返されるだけで、それが何を意味しているのかよく分からない。
こいつ……その意思疎通は付き合いが長くなければ成立しないであろうに。
無駄口を叩けないこちらの立場もよく考えろよと、教える側のヒイラギに内心毒づいては、不意に壁際の床が甲高い音を上げる。
「何をしている! さっさと答えろ! お前らの目的は何だと聞いているんだ!」
何事かと目を向ければ、凄まじい剣幕で声を荒げるサエグサ。ただそれだけでは気が収まらないのか。
続けざまにガンガンと鞘ごと引き抜いた剣の先で足元の床を鳴らしては、その度に細かな破片が飛び散っていく。
おいおい、ここは確か皇帝の間のはずだよな……?
そう思っていると、余計なことは言えない私に変わって、ヒイラギがみっともないからやめてくださいと床について言及してくれる。
「おいおい、いまさら床の傷なんか気にしてどうなるっていうんだ?」
「私は物に当たるなと言っているんです。それからお二人の目的ですが魔法と料理、その二つを学びに――」
「ヒイラギィ! 俺はこの二人に聞いているんだがなあ!」
私の返事が少し遅れたばかりに、勝手にやり合い始めるヒイラギとサエグサ。幸いなことにこの広い室内でそれを聞いているのは私とキリボシ、そして球だけではあるのだが……。
いくら身内とはいえ皇子の前で言い争うというのはどうなのだろうか。
理性と共に徐々に品性を失い始めたヒイラギとサエグサの汚い罵り合いを前に、それを止めたのはやはりというべきか。
球から静まれと一言、仰々しい声を響かせた、皇子その人だった。
「見苦しいところを見せたな。しかし魔法と料理か。確かにそれらを学ぶのに帝都ほど適した場所はないだろう。だが帝都はいま門を閉じている。お前たちだけを特別扱いすることはない。出ていけ――と言いたいところだが、今回の一件にヒイラギが噛んでいるとなれば話は別だ。お前たちには特別に遇されるされるだけの価値がある。そうだろう?」
皇子の言葉に自然とヒイラギに集まる視線。ただ当のヒイラギはというと、何を考えているのか分からない無表情を浮かべるだけ。
そんな態度がサエグサには気に入らなかったのか、はたまたつい先ほどまで言い争っていた熱が抜けきっていないのか。
ヒイラギを横から睨みつけるサエグサの眼差しは、本当に味方同士なのか? とつい疑いたくなってしまうような鋭さで敵意を放っていた。
「沈黙は肯定と取るがそれでいいか? ヒイラギ」
「私は偏にこの国を思って行動しただけです」
「なるほど、では聞かせてもらおうか。ヒイラギにそこまで言わせる理由、帝都はお前たちに知識を授けるが、お前たちは帝都に何をもたらす?」
「それにつきましては――」
「秘薬の製法にございます」
私はヒイラギの言葉を遮るように、直接皇子へと商品を売り込む。いつ切り出そうかと思っていたが、まさかここまで自然な形で取引をやり直せるとは思わなかった。
チラとヒイラギの顔を見ると分かりづらいがその無表情が固まっている。
要するに皇子は安住の地について知らない可能性が高い――元はと言えばサエグサが部屋に乱入してきた時のヒイラギの反応からして、どうにも独断くさいと思っていたのだが、その予想は当たっていたようだ。
そして私はどうやら、たった一言で売り場に並んでいた非売品の共和国に関する情報と、元々売りたかった秘薬の製法とを入れ替えることに成功したらしい。
「秘薬の製法……? なるほどな。ヒイラギが特別扱いするのもよくわかる」
「違います!」
ヒイラギは叫ぶ。だがもう遅い。皇子はすでに秘薬の製法をこちらの価値として認識し、商品として手に取った。
今更ヒイラギが何と言おうと、あとはもう適当に否定するだけで、いくら欲しかろうとも安住の地などという商品は元からなかったことにできる。
さて、あとはどう取引を成立させるかだが……。
安住の地がどうのと必死に話すヒイラギを横目に、あまりに上手くいきすぎて変な笑いが漏れそうになっては、まだ勝ちを確信するには早いぞと気を引き締めなおす。
「安住の地か……サエグサ、お前はどう思う」
「クソくらえですね」
サエグサはまるで汚物でも見るような目でヒイラギを一瞥しては、そう吐き捨てた。




